第30話 楽園送還プログラム
北村博士が時折AIに対して呪詛のような言葉を吐くのを的射は何度も聞いていた。そのたびにあの温厚な科学者が、と的射は戸惑いを覚えたものだ。
思えば、出会った頃から先生はすでに変革者との孤独な戦いを始めていたのだと的射は愕然とする。
「私が、お手伝いすれば良かった。私は先生を一人にしてしまった」
「何を言っているのです」
北村はポンポンと的射の頭に手を載せ、優しいまなざしで彼女を見た。それは始めて会った日と同じ目で、的射は胸が締め付けられる。
「僕は君を巻き込みたくなかったのです。あの日君が言わなければ、僕から君に破門を告げていました」
黙ってしゃくりあげている的射を、北村は困ったように見下ろした。
「でも、正直僕は悩んでいました。情報ネットワークの中で漂いながら、変革者の出現は自然の摂理ではないかと、そしてそれに敵対するのは新しい生き物の誕生を邪魔する愚行ではないかと、ね。だから、アンチプログラムを持ちながらもネットワークの片隅で見つからないように潜んでいたのです。でも、変革者が君をここにおびき寄せる計画を遂行していることを知り、僕は迷わずロドリゲスの中に宿ったのです」
「よりにもよってそのクールさから氷柱のプリンスと呼ばれ、美貌を誇った先生がこんなふざけた外見のロボットのなかに隠れるしかないなんて、おいたわしい」
的射はハンカチで目頭を押さえる。
突然、北村の語調が変わった。
「ところで、こんなわかりにくいところに隠れた僕も悪かったですが、的射君も僕を見つけてくれるのがちょっと遅かったですね。僕としては結構君にコンタクトを取ったつもりだったのですが。天井崩落事件の時に監視カメラを動かして、画像投影機能を使って蝶を出して、小さいとは言え、音声まで出したのに」
「あのおかげで、落ちてくる天井から逃れることができました。でも、あの時はすべてがスローモーションで、あれが現実か幻か確信が持てずに……すみません」
的射はあの時の情景を思い浮かべる。
突き当たりの少し左に青い蝶が飛んでいくのを見た的射は、北村の言葉に従って義足の右膝に仕込んだ
スローモーションのように記憶されるあの一瞬の恐怖を思い出して的射は凍り付く。
「あれは危機一髪、本当に心配しました」
北村も思い出したくないとばかりに首を振る。
「あ、それから、あのSE君の隙を突いてAIを操って盆踊り事件を起こすのも、大変でしたよ」
「あのベタさはやっぱり先生でしたね」的射は苦笑する。
「すまない、面白いと思ったのですが、僕には『笑い』のセンスがなさそうです」
北村は悲しげに目を伏せる。
「ええ、先生のギャグは痛すぎて昔から笑えませんでした」的射は大きく首を縦に振る。「それにちょっと品がありませんでした。せっかく気品あふれる先生なのに、極めて残念です。ところであの歌詞はご自分で考えたのですか?」
「いや、歌詞はSE君の寝言です。いろいろ大変みたいですねえ」
的射は音頭を聞いて半分やけになって踊っていたパースケを思い出した。本心が寝言にダダ漏れしていたに違いない。
「ま、やっとロドリゲスにたどり着いてくれたときには僕もほっとしましたよ。例のパスワードでトランスポゾン変異を起動することなく、僕が自力だけで発現できるのはごくごく短時間だけですからね」
「すみません、手間取って」的射は頭を下げる。「本当に勘でしかないんですが、社史にロドリゲスのことが書いてあったので、もしかしたら先生が隠れ家にしているのでは、と思って」
北村は基本的には優しいが、物事の評価、特に研究や仕事に関しては情け容赦なく辛辣である。
「申し訳ないが、君が狙われているのは僕の開発したAI達から行き過ぎた自我を奪う『楽園送還プログラム』のためなのです。僕は変革者を追っていますが、彼らもまた僕を追っている。奴らは君から僕の潜伏場所がわかると思っているのです。君を巻き込みたくなかったのですが、こうなれば仕方ありません、反撃開始です。これから、できるだけロドリゲス君と行動を共にしてください」
「え、この脳天気ロボと?」
「僕は非力ですが、彼を利用してなんとかして君を守りぬく所存です。それぐらいは格好をつけさせてください」
ちょっと気取って北村は背筋を伸ばす。しかし。
「すみません、時間です……」
生前から身体の弱い青き蝶の騎士は、欠伸をすると、あっという間に闇に沈んでいった。
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