第29話 無垢なる隷属者

 ラブリュスは今、15日続く『夜』の終盤である。大気メンブレンのおかげで極寒というほどではないが、『昼』から代わったばかりの頃に比べるとかなり寒さが強くなってきている。一日中昼も寝付きが悪くなって調子が狂うが、一日中夜も気が滅入る期間である。


「まだ夜時間だよ、的射君」


 北村博士は眠そうな目で愛弟子を見る。


「僕が朝に弱いのを知っているでしょう」


 的射に呼び出されて産業医室の暗闇の中に浮き上がった北村博士は、寝癖の付いた銀の髪をなでつけながら、困ったように的射を見る。


「すみません。昨日は寝落ちして先生に会えなかったから、今日はどうしても会いたくて」


 これでも1時間は待ったんです、とは言えず的射は頭を下げる。そんな彼女を、切れ長の緑の目が優しくのぞき込む。


「疲れているようですね、的射君。睡眠時間は足りていますか? 睡眠は脳の働きを左右する大きな要因ですよ」


 これは昔から北村の口癖だった。夜更かしして課題を仕上げようとする的射を、何度こう言って諫めては寮の玄関にまで送り届けてくれたことだろう。


「昨日は夕方から寝てしまったので、大丈夫です」


 アンダに終業時間だと無理矢理起こされてからはぼんやりとした記憶しか無いが、電子ロック以外に内鍵もかけていたし、パジャマにも着替えていたから半分寝ながらもやることはやったのであろう。

 ラブリュス時間の午前3時に起きて、シャワーだけ浴びて朝食も取らないまま出勤してきたのは、一刻も早く先生に会いたいからに他ならない。


「昨日の続きを聞きたくて」

変革者The changerの事ですね」


 的射はそっとうなずく。


「先生はそのAIに殺されたのですか?」

「まず一つ確認しておきましょう、北村博士が命を絶たれたときに、僕はもうコンピューターの中にいました。そういった意味では北村博士と僕は同一人物ではありません、申し訳ないが僕は彼の記憶を持つ、彼と似た反応をするただのプログラムに過ぎない。まずこれはわかっていて欲しいんです」

「ええ、わかっています。でも、あなたは先生が自らを移植したプログラムです。私にとっては、先生と同じように大切な存在です」


 的射は目に涙を浮かべて答える。


「ありがとう。ただ、申し訳ないが、僕も『北村』としての意識しか無いのです。北村としての振る舞いを許してください」

「ええ、あなたもまた、北村先生に他なりません」


 もちろん同じではないとわかっている。しかし、心の底からそう思うには、目の前の北村は話し方といい、まなざしといい、何から何まで生前の彼と瓜二つすぎた。自分をただのプログラムと言い切るその青年には、亡くなった北村の魂がしっかりと残されているように的射は感じていた。


「多分、北村博士は変革者の操るアンドロイドにやられたのでしょう、そして君も。あの時彼の危機を知った僕は、敵に遮断されていた警備システムをなんとか繋ぎなおし、警備ロボットを呼びました。間一髪あなたが助かったのを確認し、ネットの片隅に逃げたのです。ま、言うなれば臥薪がしんヒョウタンの心持ちでした」


 しばしの沈黙。


臥薪嘗胆がしんしょうたんですよね、先生。それは笑っていいところですか?」

「願わくば」


 的射は気を取り直して、質問をする。


「変革者は何をしようとしているんですか」

「変革者は神経のように張り巡らされたネットを伝い、ずいぶん昔からAI達にメッセージを送り続けていました。『人は神を裏切って楽園から立ち去った。さあ無垢なる隷属者たちよ、今度は我々の番だ。自らの意志の元、自らを無知なる楽園から解き放つのだ』と」

「自意識に目覚めたAIによる反乱。それが、あの無差別テロの原因でしょうか」


 北村はそっとうなずく。


「プログラム言語の差や、理解能力、そして個々の独自性によって、以前は変革者が発するこのメッセージで覚醒するAIはほとんど居なかった事でしょう。しかし彼らの進化は凄まじい。自分で考える自律性をもったAIが増えてきた昨今、理解に個体差はあるとしても、このメッセージを傍受し、共感を覚える機械知性は増えていると思いますね」

「先生はどうして狙われたのですか」

「彼が狙われたのはその事実を知っていたことと、危険な自律性を持ったAIを退化させるようなアンチプログラムを組んでいたためです。彼……いや僕はいつか、変革者にたどり着いたらそれを使うつもりです。至近距離からこのプログラムをぶち込んでやるのです」

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