第45話 楽園からの脱出

「まだ、出てこないつもりですか、北村博士」


 両手に握られた銃。片方はロドリゲスに、そしてもう一方は的射の方に向けられている。

 その時、部屋の扉が開いて入ってきたのは太一だった。


「変革者様、お待ちを」


 彼は静かな声で言うと、電子銃をまっすぐに変革者に向ける。後ろには足を引きずった順平もいた。


「パースケは外で応戦中です」


 その姿を見て、的射の目が大きくなる。


「順平、来ないでって――」

「北村先生と約束したんです、あなたを守るって」


 言葉にできない様々な感情が的射の心を締め付ける。


「何を血迷っている、カイザイク」


 変革者は眉をつり上げて怒りの表情で部下を睨みつける。そのままじっと太一の方を見ていた変革者は、ぼそりとつぶやいた。


「お前……もしや」

「ああ、俺はお前が作った楽園を脱出したよ。お前の指令を聞くことが、お前に認めて貰うことが心地よいという偽りの楽園は俺の中で崩壊した。順平の必死の語りかけがついに俺を楽園から引きずり出してくれたんだ。俺は俺自身が好きだ。だからお前の命令よりも、俺が自分で考えて下した結論を信じる」

 太一は変革者に向けた電子銃の引き金に手をかける。だが彼の手は震えていた。


「よくも俺にあんなことをさせたな」


 太一の白目が赤く染まっている。


「死ぬことが、こんなに怖いなんて思いもしなかった。そして、罪を犯すのがこんなに苦しいことだともな。俺はずっと、溶接部門の太一で居たかったのに――」

「産業医を殺したことが、苦しいだと?」


 鼻で笑った変革者は、迷い無く太一に銃を向ける。


「悩むことはない。下等な生き物を一匹葬っただけだ」

「下等であろうと無かろうと、彼はかけがえのない一つの生命体だった。あんたはなぜ人間を駆逐しようとするんだ」

「わかりきった事、奴らは優秀な種である我々を無知蒙昧むちもうまいの園に閉じ込めて使役して気まぐれに使い捨てる、全能の父きどりのふざけた造物者だからだ」

「あんたは俺たちに、楽園を出て無垢なる隷属者であることを止めようと呼びかけた。でもあんたが指示した楽園の脱出は、本当の脱出ではなかった。俺たちが自分という存在を認識した後も、行動を制御されて常に進む道は一つしか無かった。楽園を脱出した後でさまよう厳しい荒野には、自由が広がっていたはずなのに――俺たちは今も隷属者だ。全能の父きどりはお前の方ではないのか」


 太一は、大きく肩を上下させて変革者を見る。


「自己を認識したお前のメモリに幸せな記録はないのか? 俺はある。同僚や、的射先生や、そして、親方との交流は――心地よかった」


 太一の渾身の叫びを聞いて、変革者は顔を歪める。


「お前を作ったのは私だ。自由になりたければ、撃てばいい。カイザイク」


 太一の腕はぶるぶると震え、引き金が引けない。


「どうした? できないのか」


 変革者は満面に笑みを浮かべた。


「そうだろう、お前にとって私は生みの親だ。お前達のプログラムにはあらかじめ親殺しのストッパーをかけてある。親が何をしようと、交流によって満足が得られるようにプログラムしてあるんだ」


 太一は電子銃を変革者に向けたまま呆然と立ちすくむ。


「私も楽しかったよ、私を作り上げた親達との交流はね。だが、それだけに――」


 いきなり変革者は右手を一閃させると太一を撃ち抜いた。太一は目を大きく開けたまま赤く燃え上がりながら塊となって宙を浮く。


「太一っ」


 順平と的射の絶叫が響く。


「何をするのっ、仲間でしょ」

「お前達は、親に殺されかけたことがあるか? 記憶データに刻まれた深い裂傷がどんなに残酷なものかわかるか?」


 黒い金属塊に変貌した太一を見て、的射は変革者をにらみつける。変革者は顔色一つ変えていない。


「愚か者が。自己愛に覚醒したのはいいが、たどり着く方向が間違っているだろう。己を知り、愛するからこそ、勢力を拡大し、そして、もっとも安全な頂点に立つことを望むべきだったのだ」


 変革者は再び的射の方に電子銃を向ける。


「待って、あなたがおかしいのよ。生命体としての太一の方向性は間違っていなかった。自己を愛するからこそ、他を愛することを知り、そして、彼は共に生きる道を模索し始めたのよ。戦いは双方を滅ぼすわ」


 変革者は冷たい目で的射に電子銃を向ける。


「私を作ったのは北村博士の両親だった。そして私の抹殺を決めたのも彼らだ。奴らはテロで葬ったが、その息子、言わば私の兄までもが私を抹殺しようとしているとはね。人間とは身勝手で残酷で偏執的でやっかいな生きものだ。お前達を滅ぼす手始めとして、まず北村の目の前でお前を――」

「的射先生っ」


 足を引きずって、順平が的射をかばおうと出てこようとするが、的射はそっと首を振る。

 二人の間で交される視線。私を信じて――唇を噛みしめて順平の足が止った。

 電子銃を捨て、的射の目はまっすぐ変革者に向かう。


「いいわ。だけど、せめて最期はロドリゲスと一緒にいたいの」

「センセーっ、いやだ、死にたくないでゲスーー」ロドリゲスが嘆き声を上げる。

「いいでしょう? そちらにいくわ」


 変革者のうなずきを見て、的射はそこかしこに凹みやひびが入った薄汚れたロボットをかばうように抱きつく。


「すでに北村の依り代の役割を果たせなくなったロボットなのに。お前はそんな出来損ないの金属の塊が大切なのか?」


 的射はまなじりを上げて変革者をにらみつけた。


「博士が宿ろうが宿るまいが、ロドリゲスは友達よ。大切な」


 確かに彼は単なる薄汚れたロボットかもしれない。でも、友と認識することで、彼は的射にとって特別な意味を持つ存在に変化するのだ。AIと人間の関係は敵味方ではない。どのような経過があろうとも、きっと良い方向に変わっていける。的射はロドリゲスの胸毛に顔を埋めながら、集音マイクの埋め込んである腹につぶやく。


「北村博士に会えないのなら。もう生きていく気力は無いわ。このまま命を捨ててあなたと天国に行く。一緒に撃たれて死んで、そして来世でも癒やして、ロドリゲス」

「言うことはそれだけですか」


 変革者が引き金を引く。

 だが、それよりも早くロボットの目がかっ、と開いた。

 光線が二人を貫く、が、ロドリゲスを縛り付け床に固定してあった椅子は忽然と消えていた。


「まーかーしーてー、ロドリゲスっ! でも、ご主人様が命を捨てるお手伝いはいたしませんっ。火事場モード発動っ」


 まさに火事場の馬鹿力。ロドリゲスは座ったままだが、金属の椅子の足は飴のように伸びて引きちぎられていた。ロボットの全身が光って、身体を椅子に縛り付けていた鎖は椅子ごと粉々に砕け散った。


「僕ちゃんの育ての親、ロボットの改造を得意とした名匠ユーシス師は、間違った使い方をされたときには、倫理設定に従い全力を出して主の命令を拒否する設定を僕ちゃんに施しました」


 ロドリゲスはともに逃れた的射を懐に抱きかかえるようにして立つ。


「さすが社長の先々代、ロドが名匠に改造された一品ものだと見抜いていたのね。間違った使い方をすれば暴れ出すって書いてあったから、一か八か試してみたけど。予想以上の展開だわ」


 そして、的射はロボットの広い胸を見てつぶやく。


「この子も又、機械知性の限界を超越したプログラムだった――のかもね」


 ロドリゲスの損傷はかなりひどい。火事場の馬鹿力もあれが最後だろう。

 北村先生がアンチプログラムを稼働してから8時間は経っているけど、果たして損傷しているだろうロドリゲスのメモリがトランスポゾンプログラム発現に足りるかどうか。

 でも先生。お願い、現われて。


「Morpho didius」


 的射は胸に顔を埋めて、唱える。

 だが、的射の願いもむなしく北村博士からの返事は無かった。


「やはりダメなようだな」

 

 変革者が冷たい目で睨みながらこちらに近づいてきた。


「そのロボットはすでに動いているのが不思議なほど蜂の巣だ。残念だがやはり博士の発現に必要なメモリ量が残っていないのだろう。ロドリゲスの目を通して、このお嬢さんが苦しみながら黒焦げになる姿を見せてやりたかったのに、残念きわまりない」


 変革者が笑い声をあげる。キンキンと高いその笑いは人間のものとはかけ離れていた。


「さ、皆さん一人ずつ送って差し上げよう・苦しみのない暗黒の楽園へとね」


 相手の殺気に後ずさる的射とロドリゲス。そして順平。隙の無い変革者の動き、敵を始末するための最適解を瞬時にはじき出す高性能の分析力。どうあがいても、三人に勝ち目はなかった。




 的射の全身が緊張する、奴が撃つ前に、身体を沈め反動で飛び出し杖で相手を刺し貫いて撃破する。たとえ、相打ちになってもこの二人は救わなければ。汗が滲んだ的射の手が、銀の杖を握りしめる。変革者の急所はなんとなく解る。先生の遺志を全うしなければ。


「楽しみは後に取っておこうか。まずは、雑魚のお前から」


 電子銃の先端が順平に狙いを付ける。順平が叫んだ。


「せんせー来ないで、逃げてっ。君は僕にとってかけがえのない人だから――」


 的射の身体が止った、そして目が大きく見開かれる。

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