第14話 鼻紙

「どうでした、面談」


 応接室に順平が紅茶を持ってきた。的射の多忙を聞きつけて、気を利かしてくれたのであろう。


「どうしたも、こうしたも――」


 さすがの的射も立て続けに5人の面談は疲れたのか、スイッチの切れたロボットのように、ぐったりと両手を伸ばしてテーブルに突っ伏している。

 聞く話、聞く話、みな厳しすぎるAIロボットへの愚痴であった。


「お疲れ様です。差し入れです」


 順平が少女の手が伸びているあたりに小さいシュークリームが山盛りに入った壺のような容器を固定する。


「ありがとうございます」


 行儀を気にする気力も無いのか、うつ伏せたまま的射は手を容器の中に突っ込むとシュークリームを掴んで、そのまま顔だけを横にひねってパクリと口に入れる。


「ん?」ボンヤリした瞳が鼻先に焦点を結んだ。


 的射の口から伸びた透明な糸にシュークリームが数珠のようにつながっている。最後尾は深い器の中に入っているようで、ちょっと動かすとシュークリームはふらんふらんと波打つように空中を泳いだ。


「なに? これ」


 疲れ切った目に生気が戻り、笑みが広がる。


「面白いでしょ。偽ルナ名物、ミニシューネックレスです。ミニシューはちょっとした事でバラバラに浮かび上がりやすいので、飛び散らないように特殊な飴でできた糸で串刺しにしてつないであるんです。食べたい所まで指で糸を切って食べてください」

「可愛い」


 上半身を起こした少女は楽しそうに器から口元までロープウェイのようにつながったシュークリームをツンツンとしながら次々に口に入れる。ちょっと席を外した隙に空になった容器を見て順平は目を丸くした。


「せんせー、これ全部食べちゃったんですか?」

「ええ」


 先ほどまでの脱力はどこへやら。的射はすました顔で背筋を伸ばす。と、同時にブレスレット型端末を操作し、空中に出たスクリーンとキーボードで報告書を作成していった。

 目に留まらないほどの指の動きと共に、スクリーンにはびっしりと文字列が並んでいく。


「きっと糖分を欲する脳みそが全部シュークリームを食べてんだろうなあ」順平はつぶやいた。

「すみませんが、順平」

「なんですか、せんせー」

「人事部って、AIロボットへの権限がありますか?」


 なんだか嫌な予感がして、順平は宙を仰いだ。




「そりゃ、先生。無理なものは、無理」


 太い唇から横柄な言葉が吐き出される。トドに似た脂ぎった顔をした人事部長の畠山巌は熱くもないのにパタパタと団扇で顔を仰ぎながら大きく首を振った。


「AIは聖域なんです。長い目で見てコスパはいいし正確無比だし、人間同士なら遠慮して言えないこともはっきり言ってくれる。会社にとってありがたい資源ですよ」

「だって、実際社員さんが精神的なストレスを感じておられるんですよ。話を聞いていると明らかに、パワーハラスメントです。何人かは心療内科に相談をお勧めしました」

「いや、ぶっちゃけ無能な奴ほど鼻紙はながみメンタルで困りますよ」

「は?」的射の口がぽかん、と開く。

「鼻紙ってこれですよ、これ」


 人事部長は空中にティッシュを放り上げると、空中で乱暴に掴み寄せた。破れた紙から細かい繊維が舞い散る。部長は大きな音を立てて鼻をかんだ。


「やぶれやすい鼻紙は所詮使い捨てって事ですよ」

「は、あ?」

「せ、せんせー」


 これはまずい。順平が小声でささやき、的射のスーツの裾を引く。


「あ、ああ」


 肩で大きく息をしながら、はたと我に返る的射。人事部長にアポイントメントを取る前に、順平からは何度も冷静に話し合いをするように釘を刺されている。


「考えてみてよ、先生。万が一AIロボットにケチを付けてご機嫌を損ねてご覧なさい。停止でもされたら大変でしょ。自分でトラブルシューティングまでしてくれる優秀な自己学習型ロボットをこの辺境に運んでくるだけで目ん玉が飛び出るくらいの値段なんです。彼らは気軽に買い替えるものじゃない。それに引き換え、人間ってのは下世話な話、夫婦にして放っておけば自然に増えますからね。AIよりも替えが安く付くんですよ」


 ぶちっ。

 順平は的射の忍耐が切れる音を聞いた。


「あんた人間でしょ、人間のことをよくまあそこまで侮辱できるわね。子孫を作るのは、安い労働力を造るためではないのよっ」


 少女は跳ね上がるように立ち上がると、人事部長にかみつくように叫ぶ。

 しかし、相手も伊達に人事部というしがらみや欲の渦巻くカオスな世界で部長を勤めている訳ではない。意に介した様子もなく鼻で笑いながら的射の言葉を遮った。


「文化の継承、愛情の連鎖……とでもいうつもりですか? きれい事、きれい事。このご時世、AI様の前では人間の価値なんて、鼻紙みたいなものなんですよ」


 呆然とした的射の目の前に、まだちり紙のくずが漂っていた。





「冗談じゃないわ、この会社。産業医は変死するし、横柄な管理職が多いし、ロボットに牛耳られているし、おまけに天井は安普請だしっ」


 あの面白そうな社長を見たときには結構イケてる会社かと思ったのだが、大間違いだったようだ。


「せんせー、辞めないでください」


 必死の表情で順平が追ってくる。


「先生をお呼びするのに、どんだけ協会に頭を下げたか」


 的射はピタリと足を止めた。順平がつんのめった勢いで、廊下で一回転して跳ね上がる。


「辞めないわよ、私」

「せんせー」腹の底から安堵を絞り出すような順平の声。

「逃げるのって、大嫌いなの」


 そう、いつも追ってばかり。的射は心の中でそっとつぶやく。

 ここから逃げるわけにはいかない。あの青い蝶を見たからには。


「やっと、見つけたんだから」

「何をですか、せんせー」


 順平が情けなさそうに額に皺を寄せてたずねる。しかし応えはなく、少女はじっと虚空を見つめていた。

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