第13話 パワハラ案件
翌日、女子トークで盛り上がったのか、的射は元気に出社してきた。途中アンダと社宅に寄ったのか、折れてしまった杖の代わりに新しい銀色の杖も持っている。ボタン一つで伸縮自在、手首に固定する事もできるその杖を的射は気に入っていた。
「おはようございます」
事務室に顔を出した的射は、応接室から出てきた社長に出迎えられた。
「社長、出張じゃなかったんですか。 どうされたんです?」
「急遽帰ってきたんですよ。的射先生、昨日は大変な目にあったそうで、このぼろ社屋に変わってお詫び申し上げます」
透かして見える顔面の筋肉が大きく動いて、顔に深謝の表情を作る。
「どうしてこんなことになったのか、今調査をさせています。天井裏に居た整備ロボットがバグを起こして破壊してしまったようで、申し訳ない」
と、いいながら強面の社長はさらに数回頭を下げた。
「なんでバグを起こしたのかも今調査中ですが、経年劣化かもしれません。怖い思いをさせて、本当に悪かった、できるだけこの償いはさせてもらいます」
「い、いえ、もういいです。原因さえ究明していただければ、幸い無傷だったので」
はたと手を打って社長がつぶやく。
「先生は
「なぜ?」
「左がわの通路の壁に、不思議な穴が空いていたらしいんです。何か銛のような尖ったものが刺さって抜けた
「さあ」
原因はわかっているが、的射はそこで言葉を濁した。
二回目の安全衛生委員会では、前産業医死亡の件に関して、夜間の作業場への入室には誰であってもパトロールロボットの付き添いを必要とする、柵の高さを天井に付くまで伸ばして常態化していた機械稼働時の侵入を止めさせるという2点を事業者に提言することが決まった。
そして、特殊溶接部門に関しては、室内で捕集した空気を分粒装置で分け、肺胞にまで到達する吸入性粉塵の量を測定し、その分析結果を持って早急に経理に談判に行くこととなった。
「今度、経理部門がごね始めたら、社長に報告書を出します。それでも聞いてもらえなければ勧告します」
産業医には労働安全衛生法に定められた勧告権がある。それは新労働安全衛生法になっても受け継がれ、勧告権は以前よりさらに強化されている。事業者が勧告に従わないことが労働基準監督署に知れたら法的な処罰が下されることとなり、それは会社にとってはかなりの痛手であった。
溶接部門の件に関しては、的射は一歩も譲る気はないようだった。
「他に何かありませんか?」
議長である順平の言葉に手を上げたのは、零介だった。
「最近、欠勤が多くて困ってるんです、俺んとこ」
「欠勤理由は?」
「みんな、心が折れたって言うんですよ、仕事に来ようと思っても気が滅入って寝床から出られないってね」
よくよく聞いてみると、零介が主任を務める金属加工部門の管理AIロボットの物言いが最近特に厳しいらしい。
「あいつら、重箱の隙を突くような事までほじくり出して、こちらのちょっとしたミスを理由に完膚なきまでにたたきのめすんですよ、時には言いがかりに近いような事まで。昔はこうじゃなかったんですが、最近自己バージョンアップしたらしくて、人間を馬鹿にするんです。こちらとしても、なまじっか奴らの言うことは間違っちゃいないから反論もできなくて、みんな参ってんです。俺はなんともないんですけどね」
図太そうな零介を見て、さもありなんと皆がうなずいた。
「まずいですね、これはパワーハラスメントと言ってもいいでしょう。うちの工場のAIは統括AIを頂点にみんなで情報共有していますが、ある程度のローカルな事例は統括を通さず管理AIどうしでも自己バージョンアップが共有できるようになっているんです。しかしこの変化が広がりすべてのAIがそんな態度になってはますます人間側のプレッシャーがひどくなってしまう」
順平は腕組みをして考え込む。もともと統括AI自体が人間を小馬鹿にしているところがある。部下ロボットの横柄な態度に気が付いても推奨こそすれ、諫めることはないだろう。
「社長のプログラミングでしょ、なんとかならないの? 順平」
「最近、自己バージョンアップ機能のおかげで優秀になった反面手に負えなくなったってぼやいてますね。そもそも自分のプログラムだから、子供みたいに可愛いみたいであまり手を入れたがらないんです。それに、社長はAIのシンギュラリティ、人間を凌駕する生き物になる瞬間が見たいって常々言っていますから――」
「本当のシンギュラリティはまだまだ先よ。人智の奥深さは半端じゃないわ。とりあえず、金属加工部門の皆さんと面談してみましょう。産業医との面談希望者のリストをください」
希望者リストが上がってきたのは翌日のことだった。例のごとく、怠け者の零介に変わってアンダが采配し、的射の端末にリストを送ってきたのである。応接室で的射はいま最初の面談者を待っているところだった。
「ちょっと感じ悪い人だけど、アンダって有能よね」
的射は、泊まりに行ったときにこれ見よがしにベッド代わりのハンモックと一緒に揺れていた形の良い胸を思い出して、肩をすくめる。
トントン、ノックと共に目の下に隈ができた中年の女性が医務室に入ってきた。
「始めまして、お世話になります。金属加工部門の江田・R・ハンナです」
大柄な体型の女性は、勧められると脂肪を揺らしながら席に着いた。立ち居振る舞いが板に付いている、上半身に比べて足が細い、おそらく偽ルナ育ちであろう。この会社の勤務歴も長そうだ。
「零介主任から、金属加工部門で気分の変調を訴える方が多いとうかがい面談のご希望を募りました。この面談の内容は会社に報告することになりますが、もし伝えて欲しくないことがあれば、遠慮なさらずにおっしゃってください。内容をぼかすこともできますし、どのように会社に伝えるかは相談の上で決めましょう」
ハンナは的射の言葉をうなずきながら聞いていたが、ふとハンカチを取り出して目を拭いはじめた。
「大丈夫ですか?」
「こんなに優しく言われたのは久しぶりで――」
「久しぶり?」
「ええ、以前はそんな職場ではなかったんです。ロボットは何も言わずにせっせと働いて、私たちはボンヤリそれを監視していれば良かったんです。でも、去年ぐらいから、そう、管理AIロボットが、急にうるさくなってやれ立ち位置が悪いの、目配りがおろそかだの、ぶちぶちぶちぶち言い出して」
ハンナの声がだんだん高くなる。おとなしげな第一印象はどこへやら、積み上がった鬱積を晴らすようにそれから30分の間、時折入れる的射の相づち以外、ハンナが一人で管理ロボットへの愚痴を話し続けた。
「では、目を伏せたというだけで、15分も居残りで注意されたんですか?」
「ええ、それも5日間連続ですよ。あきらかにやり過ぎでしょう。零介主任が間に入ってくれようとしても、全く聞く耳を持たないんです。管理AIロボットの方が、主任より上位権限を持っているらしくて。ああ見えて主任はいい人なんだけど、それを言われちゃうと何にも言えないみたいで、結局頼りにはならないんです。AIに、誰だってできる仕事だけに口答えをするといくらでも代わりがいますからね、って言われて……」
悔しいが、ここはラブリュスでは給料がよい職場なので泣き寝入りをしていたらしい。
「まあ、これも賃金のうちって我慢してたんですけど、なんだか職場に行くのが嫌になってから寝られなくなってしまって。で、結局眠くて何度か倒れてしまったんです。そしたら、また無気力だって怒られて」
「賃金は、職務を果たした報酬であって、ハラスメントを我慢してもらうためではありません。改善方法を考えていきましょう」
「今日は話を聞いて貰っただけで気分がかなり晴れました。先生は、若いのに、うちの零介主任よりしっかりしてるわあ」
ハンナは惚れ惚れとした表情で的射を見つめた。
「会社にこの話はしてもいいですか?」
「ええ、ここまで来たら腹をくくってます。全部伝えてください。悪い事してないんだから」
ハンナの表情は入室時より明らかに明るくなっていた。
「それでは、これで面談を終了しますね。おっしゃっていた不眠や、軽い頭痛が続くようであれば、他の病気である可能性もありますから必ず病院で診てもらってください」
「ええ、そうします」
ハンナは何遍も頭を下げて出て行った。
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