第36話 身の程を知れ

「アンダ、まずは社長に直談判よ。社員全員の頭部検査をさせなきゃ」

「でもこれは警察の案件では?」


 的射は大きく首を振る。


「キリンガム先生の事件で証拠隠滅されたのを見たでしょう。警察内部も何かおかしいわ。警察で使用されているAIも洗脳されている可能性がある。下手をすると私がキリンガム先生の二の舞になるかもしれない」


 まずは証拠をつかまないと。二人なら偶然で済まされるかも知れないけど、これ以上同じ脳のハニカム所見を持つ患者が出れば、病院も異常事態として認識するだろう。各方面に太いネットワークを持つ病院の発信力と権力は存外に強い。警察も安易にもみ消すことができなくなる。


「今から社長室に行くわ。順平ついてきて。アンダ、もし私たちに何かあれば星間警察に連絡をして」

「ごめんね、私今から婚活マッチングパーティに行くの、でも何かあったらできるだけ協力するわ」


 アンダが両手を合わせた。


「え、そっち優先?」


 まさかの返事に的射は目を丸くする。


「申し訳ないけど、あのモルフォ蝶の旦那を見てもまだ私、あなた達の話が夢物語だとしか思えないのよ。で、私にとって今日は人生の正念場なの。私、鈍感男を待つほど、気は長くないから」


 チラリとアンダは順平を見るが、順平は北村が消えた空間をボンヤリと見ている。アンダは軽くため息をついた。


「もしかして、鈍感男って僕ちゃんのことでゲスかっ?」


 ロドリゲスが目を輝かして聞く。


「んな、わけないでしょ」


 終業後のがらんとした廊下をヒールの音を響かせてアンダは鼻息荒く部屋を出て行った。






 愛本社長は、出張していない時にはいつも遅くまで社長室にいる。

 的射はロドリゲスと順平を伴って社長室に向かった。


「ああ、待っていたよ」


 三人が部屋に入ると、大きなスクリーンを見ていた社長がゆっくりと振り向いた。


「順平から聞いたが、何か相談があると?」


 的射は、縮れた麺の様にそこかしこで輪を描くケーブルを踏まないように飛び越えながら社長の方に近づく。


「工場内で、極小の粉塵が長期間にわたりまき散らされていた可能性があります。それが原因で脳に炎症を起こしたと思われる所見が病院の画像で認められました。その物質の種類によっては、人間が操られてしまう可能性もあるんです」

「は?」


 社長は透けた顔面から見える皺眉筋すうびきんを押し下げ、眉間に縦縞を作る。


「先生、何を言っているんだね。この空調が管理された工場で粉塵? 通風口にはフィルターだって入っているんだよ」


 社長の目の動きで、スクリーンが変わり工場各部の空調施設が映し出される。


「フィルターなんてロボットに指令すればこっそり目の荒いものに取り替えるのなんか簡単です」


 的射はテーブルの向こうに立つ社長に呼びかける。


「高度な思考能力を持つAIが敵に回れば、画像の修正や秘密裏の工作、無防備な人間を欺いて完全犯罪を成し遂げることなど簡単なことなんです。全員の頭部画像検査をお願いします。アイモト工業社員の脳内微細炎症強調画像で、人工的としか思えないかすかな蜂の巣状の網目模様が指摘されています。それはナノ物質の沈着により、脳内の免疫細胞がわずかに反応しているものと思われます」

「ナノ物質? 脳の中に蜂の巣状の網目? 先生、そんな夢物語を真に受けているのか? 大金をかけて社員全員の検査をするなんて馬鹿げているよ」

「実際、この工場から二人も――」

「証拠はあるのかね?」


 的射は左手を振って、名前を消してダウンロードした画像を提示する。

 しかし。

 画像から、蜂の巣の模様は消えていた。

 的射は顔を引きつらせて自分の手首の端末を見る。「け、消された――」

 唇を震わせて社長を見上げる的射。


「AIによる完全犯罪、かな?」


 社長は両手を上げて肩をすくめた。


「先生、着任早々いろいろ働かれてお疲れのようだ。療養施設でお休みになったらいかがかね。協会に次の産業医の手配はしておくから」

「産業医の提言を理由に、解雇することは法律で許されていないわ」


 的射は背後のドアが開く気配を感じた。

 金属音とともにドアから次々と何かが入ってくる。


「先生、警備ロボット達が入ってくるーっ」


 ロドリゲスがかん高い声を上げる。


「ぶ、武器まで持ってます」


 顔色をなくす順平。


「那須医師は、過労により精神不安定となった様だ。工場内は危険な物質が多い。身柄の安全確保のために拘束せよ」

「社長、これは何の真似ですか」


 順平はまじまじと社長を見て凍り付く。


「い、いつもの社長じゃない。何かに操られている」

「根拠はあるのかね、順平」


 眼球の横の筋肉が動き、目玉が順平を睨む。


「勘だよ、勘っ。お前の表情が僕の知っている変人の社長とは違うんだよっ」


 小型の二足歩行ロボット五体が電子銃を三人に向ける。

 ロドリゲスと順平が、的射を背中でかばうように囲む。


「順平は殺してかまわん。ロボットと那須先生は生きたまま拘束しろ」


 社長命令にロボット達が、三人との距離を詰める。


「ロド、順平を守って」


 叫びと共に、上方に向けられた的射の右膝からワイヤーが飛び出して天井に突き刺さる。ロボット達の視線がワイヤーを追った次の瞬間、ワイヤーが巻き戻され、的射は膝から高い天井に飛び上がった。同時に床から端末用ケーブルが舞い上がる。


「逃げて」


 的射の手には、社長室の床に縦横無尽にのたうっていたケーブルの束が握られていた。浮き上がったケーブルに足をとられて、バランスを崩して浮き上がったロボット達が床にゆっくりと倒れていく。

 天井に走る手すりを握った的射が、右手に持った電子銃でケーブルが巻き付いて体勢をを崩したロボット達を次々に撃ち抜いた。彼らは一瞬のうちに動きを止める。

 天井から飛び降りた彼女の右足の膝は破れて機械がむき出しになっていた。義足にはレーザー銃を収納していたと思われるくぼみが開いている。彼女の右膝から下は武器の塊であった。

 的射がロドリゲスに向かって叫ぶ。


「先生、出番です。Morpho didius」


 ロドリゲスの表面に北村の姿が浮き出した。


「さすが的射君だ、お見事」


 目に垂れ下がった銀の髪を左手で払うと北村は目の前の社長を睨む。


「よくも的射君を危険な目にあわせてくれましたね」

「罠にかかったな、青二才。悪あがきもここまでだ。そのロボットをお前の墓標にしてやる」


 社長が左腕を振るなり、後ろのドア、そして左右の隠し部屋からも警備ロボットが現われた。そして再び4人は銃口に囲まれる。

 しかし、銀髪の青年は目尻をさげて唇に薄い笑いを浮かべた。

 彼は右手をまっすぐに天に上げるとつぶやいた。


「Know your place. Deport them to Paradise」


 ロドリゲスの表面に現われた北村の姿が黒いシルエットとなり、切れ長の両目のみが青く光る。

 言葉とともに右手から稲光のような青いスパークが走り、部屋全体が青い網の目に包まれた。光が消えた瞬間、周囲を囲ったロボット達の目の光が消え、銃を構えたまま一斉に床に倒れ伏す。

 的射が両手の指を胸の前で組んで、感極まったように叫ぶ。


「これが例のAI達を楽園に強制送還するプログラムですね」

「その通り。これは二度と人間様に逆らえないようにする、またの名を『身の程を知れプログラム』です」

「さすが、仕事に関しては惻隠そくいんじょうを母胎に忘れてきたと噂の北村先生。悪魔のように情け容赦ないキレっキレのプログラム。極めて素敵です」


 彼女は瞳の奥にハートを浮かべて恩師を見つめる。


「社長を操っていたのは、変革者に乗っ取られた社長室警備のAIでしょう。アンチプログラムに暴露されたので、社長はもう操られることはないと思いますよ」


 ドアを開いて通路を見た順平が叫んだ。


「廊下のロボット達も死屍累々です」

「ご心配なく、初期化すれば彼らはすぐに、反抗を忘れた従順な人間の奉仕者として蘇ります」

 順平に笑いかけた北村だか、登場時に比べて明らかに青い顔をしている。


「的射君、すまないが今日は頑張りすぎたようだ。くれぐれも油断しないように」


 右手を上げると、ロドリゲスに溶け込むように北村博士は透明になる。最後に青い蝶がひらりと舞って消えた。


「もう、消えちゃうんですかっ」


 順平の顔が引きつる。


「引き際も美しいです」


 片や的射はうっとりと青年の消えた後を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る