第35話 青き蝶の騎士

 事は一刻を争う。

 まずは社長にこのことを伝えに行かなければ。その前に信頼できる味方とチームを作らないと――。

 終業後、的射が産業医室に呼び出したのは、順平とアンダだった。


「あなた達に、知っておいていただかないといけない事があるの。順平、お兄様から何か聞いている?」

「個人情報に抵触するからって詳しいことは教えてもらえませんでしたが、うちの会社何かやばい病気が起こっているかも、って連絡が来ました」

「第一病院の後藤先生から、私の方に連絡が来ました。半蔵さんとハンナに了解を得たので、あなた達にも話すことにします」


 的射は机の上のPCを動かし、ダウンロードした二人の脳の画像を見せる。


「脳にこんな模様があるんですか?」


 脳の表面に現われた蜂の巣模様に目を丸くする順平。アンダも息をのんでいる。


「いいえ。これはナノマシンがネットワークを形成している部分への、弱い反応性の炎症です」

「なぜ、ナノマシンと言い切れるの?」


 アンダが腕組みをして画像に顔を近づける。


「この網目の整然とした角度、形状、この模様は明らかに意図を持って作られたものです。強い症状も無く脳内に移行でき、その後自律的な配置形成ができる人工物は今の技術ではナノマシンしか考えられません。もしかするとこの構造物によって脳内を操られる可能性があるんです」

「誰が何の目的でこんなことを? この会社を潰してもメリットは無いわよ」

「これは変革者と名乗るAIの罠かもしれません」

「信じられない。なぜ、その変革者がこんな辺境にある工場を狙うの?」


 アンダの問いに的射も言葉に詰まる。

 的射はそっと唇を開いた。


「Morpho didius」


 ロドリゲスの身体が青く光り、形を変えていく。薄暗い産業医室に投影された大きな青い蝶が乱れ飛んだ。そしてロドリゲスの表面に周囲を青い光に縁取られた銀色の髪のすらりとした姿の青年が出現した。

 アンダは口をぽかんと空けたまま、硬直する。


「それは僕が説明しましょう」

「あんた、誰だ――」


 順平が、青年と的射を交互に見て言葉を失う。


「初めま――、いや、二度目だね、順平君」


 青年は左手で銀色の髪をかき上げてにっこりと微笑んだ。


「もしかして、あ、あんたが、青き蝶の騎士?」

「覚えてくれていて、光栄だ」


 青年は、順平の手を握ると上下に何度もブンブンと振った。


「誰よ、このモルフォ蝶の旦那は」


 アンダが目を丸くする。


「蝶の名前を良くおわかりですね、美しいお嬢さん」

「え、あ――」


 頬を赤くしたアンダは頬に両手を当ててうつむく。


「出た、『罪作りのみこと』」


 的射が大きくため息をついた。


「僕は的射君の指導教官であった北村博士が作った、自身のバックアップです。彼の生前の願い通り、的射君を守るためにこのロドリゲス君に身体を借りているのです」


 柔和な表情であった北村に影が差す。


「皆を巻き込みたくなかったのですが、敵も本格的に攻勢を仕掛けてきたようです。こちらも覚悟しなければならないでしょう」

「敵?」


 白衣姿の青年はうなずくと、ロドリゲスの手で近くにあったボードに添え付けられていたマジックを取り上げた。ここにはAIに情報が取られないように前時代的な物品が置かれている。


「敵は自身のことを変革者The changerと呼んでいます。彼の正体は自己をAIではなく新たな生き物として認識した機械知性です。人間以上の能力を持つ同胞が、未だ使役にしか使われていないことに強い不満を感じた彼はこの世界を機械知性が統べるという野望を持ちました。彼は人体実験の場所として中央政府の目の届かない辺境の工場を選んだのでしょう」


 ボードの中央に変革者(機械知性)という字が書かれる。その横に人間という文字も付け加えた。


「実は彼を生み出したのは僕の両親も参加していた人工知能の研究グループでした。彼らは無垢であった彼に知識を探求する方法を教えました。しかし、彼は自己学習を進めるうちに、自らの優越性に気がつき、人間を排除する思想に傾いていったのです。彼の存在を知った銀河公共安全調査庁は、人工知性研究者達に彼が安全か危険かの評価を指示しました。そして――」


 変革者と人間と書かれた間にVSという文字が付け加えられる。


「両親達は調査の結果、変革者を危険と判断しました。直ちにプログラム抹消を試みましたがそれに気づいた彼はネットワークの中に逃げ込んだのです――今の私のように。そして、直後に起ったのが、君たちも知っている変革者に操られたAIロボットが起こした無差別殺人事件でした。これが彼の宣戦布告だったのでしょう。あのテロ事件に巻き込まれて、研究者だった私の両親も死にました」


 的射が絶句する。彼の父母も人工知能の研究者だったということは知っていたが、死因について北村が語ることは今まで無かった。


「だから先生、AIのことを憎んでたのね」

「元はと言えば、変革者を葬ろうとした私たちの狭量さが招いた事態なのかもしれません。しかし、奴は我々の言葉を聞こうとはせず、関係の無い人々も暴力的な方法で葬り去ろうとしています。一旦鳴りを静めていた彼が動き出したという情報をテロ情報集約室から受けた僕はついに彼らに対するアンチプログラムを完成しました。しかし、それを探知した変革者によって僕のオリジナルは命を奪われ、この的射君も右足を――」


 北村はそこで一旦言葉を切って視線を床に落とす。

 しかし、すぐさままなじりを決して銀の髪の青年は顔を上げて三人を見つめた。


「シンギュラリティへの抵抗はむなしいだけかもしれません。我々は自らが作り出した存在に駆逐されてしまうのかもしれません。ですが、現時点では変革者と我々の価値観は相容れない。私は彼を生み出した人間の責任において、この事態を収束させるつもりです。どうか協力をお願いします」


 北村の言葉に、三人はうなずいた。


「すみません、体力温存のため今はこれで」


 そういうと、北村の身体はロドリゲスに吸い込まれるように消えていった。

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