第34話 ハニカム

「先生、半蔵さんが受診したラブリュス第一病院から至急の連絡です」


 朝のコーヒーを飲んで、昨日の余韻に浸っていた的射は目を丸くして左手首の端末を振る。目の前に、中ぐらいのスクリーンが現われた。

 空中に現われた動画通信アイコンを指で触れると、第一病院の医師が現われた。


「那須先生、初めまして。僕は佐竹・R・半蔵さんの診察を担当している脳神経内科の後藤巧平こうへいと申します。弟がいつもお世話になっております」


 赤い巻き毛の青年が頭を下げる。もしかして順平のお兄さん? 慌てて的射も頭を下げる。


「え、っと、でも半蔵さんは、呼吸器科で入院中でしたよね、なぜ脳神経内科の先生が?」

「実は、呼吸器科の先生が半蔵さんの全身を検索する目的で、つい先日撮影できるようになった微細炎症強調画像を撮影したところ、脳内に妙なハニカム模様が見つかりましてね、脳神経内科にコンサルトがきたんですよ」


 後藤医師は3D画像を画面に提示する。

 その画像を見て、的射は息をのんだ。画像を回転すると、大脳にそってびっしりと、まるで蜂の巣honeycombの断面のような、細い線で構成された正六角形の網目模様が浮かび上がっていたのである。


「丁度、そちらの会社に勤めていた別な方が頭痛を訴えられて来院された時に同じ画像を撮ったんですが、奇しくも同じような病変があったんです。こちらも了承をいただいたので、そちらに提示しますね」


 的射は目を疑った。金属加工部門のハンナの脳の画像にも同じ蜂の巣状の模様があったのである。


「この撮影法で他院も含めてすでに何百件か撮っていますが、こんな画像は生まれて初めて見ました。何か貴社で原因と思われることはありませんか?」


 同じ社といえども働く場所が別な二人の脳に、何かが集積している。


「すみません、すぐには思いつきません。後藤先生、できるだけ侵襲の無い方法で二人の頭の検査をお願いします」

「機能付加した人工培養ミクログリアを使って、検体の捕捉、排出を試みてみましょう。しかし一体何でしょうねえこれは」


 中枢神経系のマクロファージとも呼ばれるミクログリアは、死んだ細胞やデブリを取り除く貪食どんしょく作用を持っている。最近は特定の物質を貪食する効果を付加したミクログリアを人工的に作る事もでき、後藤医師はその方法でハニカム構造を作ったものが何かを検査、治療しようと考えているようであった。だが、原因に関しては彼も見当が付かない様子で、通信を切る直前まで首をかしげていた。

 通常、脳にはBBB(blood brain barrier)という血液内皮細胞による関門があるため、外から入った異物が沈着することは稀だ。あれは病気だろうか、それとも何か人為的なものか。


「ねえ、アンダ。会社負担で、社員全員の頭部微細炎症強調画像をとることはできる?」

「その検査名は聞いた事が無いですね。おそらく先進医療じゃないですか。そうなれば金額が馬鹿になりませんね。それこそ財務部は飛び越えて社長に直談判じゃ無いですか?」

「そうね」


 的射はうなずきながらちらりと傍らに立つロドリゲスを見る。たとえ電源が入っていなくても、先生には周りのことが認識できていると言っていた。本当はすぐさま北村先生に意見を聞いてみたい所だが、朝に弱い先生はこの時間ほとんど使い物にならないことを的射は生前からよく知っている。

 すべてを元の自分と同じように再現しなくても、そこは改良して体力無尽蔵のプログラムにしておけばいいのに。的射は、水増しの無い先生の実直すぎる仕事ぶりにため息をついた。

 ふと泳いだ目が通風口に届く。

 全館につながっている空調。

 もしここに何らかの――。

 突然、順平や半蔵の言葉が脳内に蘇った。


――『ホコリ、吸い込むと、コワレマス。拒否シマス』ってね、いやいやおかしいだろこんなの


――少しはロボット達に手伝ってもらってもいいかと思っていたから食い下がったんだが、奴ら、がん、として受け付けないんだ。それは、何か粉塵全般を怖がっている様な印象を受けたなあ。


「さすが人間の勘は馬鹿にできないわ。半蔵さんはその人生経験の長さもあって、とりわけ鋭い勘が働いたという訳ね」


 的射は荒い呼吸で肩を上下しながら、虚空の一点を見つめながらつぶやく。


「ロボット達は、もしかして事前に通達を受けて何らかの粉塵を吸い込むことを恐れていた。彼らは『粉塵』としか理解していなかったけど、それはおそらくナノ粒子、というより自己組織化できるナノマシンではないかしら」


 ナノ粒子。1~100ナノメートルサイズの粒子のことである。1ナノは100万分の1ミリという極小だが、近年はこのサイズの物質にも機能を持たせることのできる技術が急激に発展している。その気になればこのサイズのマシンを造ることは可能だろう。


「機械達でも多量に吸い込むと壊れてしまうようなナノマシン。経理がぼやいていたようにロボット達は特殊フィルターを注文してこれをトラップしていたのかもしれないわ。きっとその物質は長い間この会社の通風口にまき散らされてきたのかも」


 低重力で長い間浮遊しているのも、吸入しやすくなった原因だろうか。

 だが、脳内に物質が沈着する場合に生体には障壁がある。

 それがBBB(blood brain barrier)、すなわち血液脳関門である。これは脳を守るため障壁の役割をする内皮の密着した脳毛細血管の事である。BBBは血液中の脳にとって必要な物質のみを選んで脳へ供給、そして脳内の不要な物質を血中に排出する働きをしている。

 だが、それも決して越えられない壁ではない。脳がエネルギーとして使用するグルコースはここを通過することができる。ナノマシンをグルコースで処理すれば、脳がグルコースを欲したときに脳内への移行が可能である。息を吸い込む事によって肺胞に広がったナノ物質が毛細血管を介して大循環に入ればこの方法で脳内への侵入が可能であろう。

 そしてもう一つ経路がある、それは鼻腔から吸入し、嗅神経もしくは三叉神経経路にそった移動経路。この場合にはBBBを迂回することができる。

 いずれにせよ、脳内に到達したナノマシンが自律的にネットワークを造り、外部からの指令を脳に送るようになれば――。


「私たち、操り人形になってしまうわ」


 的射は全身が震えていることに気がついた。


「もしかして」


 前の産業医が、急に気分の変調を起こした理由。それも――。


「ねえ、アンダ。キリンガム先生は操られていた可能性があるわ。変死ならAi(Autopsy imaging死後画像診断)を行っているはずよね。死後の画像情報が残っていれば、彼の死亡時の頭部画像が見られるかも。」

「ええ、でも残念ながら押しつぶされたのは頭部なんです」


 そうだった。息が詰まるような動揺に的射はテーブルを掴んで、浮かないようにゆっくりと席に着く。

 わざわざ、あの機械に遺体を突っ込んだのは、この発覚を恐れてだったら。

 落ち着け、落ち着け。変に事を大きくすると敵にマークされるだけだ。でもきっと先生ならこう言う。


――的射君、前進しないと解決しませんよ。


「わかってます、先生」的射は大きくうなずいた。


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