第19話 新たな目覚め
「先生、この数日この情報管理室に入り浸って何をしているんですか?」
ドアを開いた順平は、目の下に隈を作って空中に浮かんだディスプレイにかじりついている的射の鬼気迫る姿を見て口をポカンと開ける。
「社史を見て、アイモト工業の歴史を調べているの。自分が勤める会社の概要くらい知っておきたくて」
「へえ、先生頭がいいだけじゃなく、やっぱり勤勉なんですね。だから何でもできちゃうのかあ。先日のAIご乱心事件の解決も凄かったですね。出張から帰ってきた社長も先生の手腕に唸ってましたよ。どうやったんですか?」
「内緒」
的射はにっこりと微笑む。
「必殺の呪文を人に教えたら、闘うときに不利でしょ」
「先生まで、パースケみたいにファンタジー世界の住人にならないでくださいよ」
順平がため息をつく。
「でも、何が幸いするかわからないわよね、あれから管理AI達の物言いが柔らかくなったって聞いたわ。誰しも間違いや過ちを犯すことがあるって、身をもって学んだのかしら」
「社員達も、AIロボットが居なくなったらどれだけ大変かわかったようで、AIに助けられている事を思い知ったようです。でも、何よりも人間とAIの間にパートナーシップが構築されつつあるっていうのが大きいですね。今度丸盆を持っての盆踊り大会を、AIも含めて皆で企画しているらしいですよ。あ、もちろん振り付けはもっと品のある踊りにするみたいですが」
「はあ? 『盆踊り』って季節的な行事で、盆を持って、という意味ではなかった気がするけど」的射は首をかしげる。
「とにかく零介の奴がノリノリで。あいつ仕事はしないけど、こういう企画には熱心ですからね」
「彼の祖先のおばあさまは、きっとあの世で頭を抱えておられるわ」
二人は肩をすくめる。どうやら金属加工部門のパワハラ案件は落ち着きそうだ。
「あのAI達ってもしかして、自分の醜態を記憶したことで、『万能感のひび割れ』を起こしたんでしょうか」
ぼそりと順平がつぶやく。
「何それ?」
「ちょっと思ったんですが、AI達って、人間に比べたら桁外れの能力があるから、限界に打ちひしがれるって事がないですよね、だから『失敗して恥ずかしい』とか『能力の無さによる挫折感』という自分に対するネガティブな感情が沸き起こる経験が無いんですよ。そのせいで人の気持ちがわからずに尊大な言い方になってたんだと思うんです」
「でも、今回訳のわからないままとんでもない事をやらかしてしまった事で、万能感が崩れ、自己の能力に疑問を持ってしまい、相手に強く出られなくなってしまったってことかしら」
順平はカップを取りだしてポットからどろりとしたルビー色の紅茶を注ぐ。
「でも、ま、挫折ってのは成長のきっかけですから」
両手で抱えるようにカップを持つと、的射はうなずいた。
「そうね、自己に疑問を持つことは、彼らが次のステージに到達するためのステップでもあるわ。まるで神話の中のアダムとイブが、過ちを犯したことで神の庇護の元から旅立って行ったようにね。と、すると挫折感を知ったこの前の『盆踊り騒動』は彼らが新たな目覚めに近づくきっかけ、ってことになるのかしら」
遠い未来、AIの統べる世界になったら、ラブリュスのAI達の神話は盆を持って踊っている姿で伝えられるかも知れない。零介の祖先みたいに。いや、本当にあの写真が御神体になるかも。
想像して的射は飲みかけの紅茶を吹きだした。
きゃあごめんなさい、と慌てて的射は花柄のハンカチで机の上を拭く。
「十年前辺りから、自意識が芽生えたAIの暴走が散発的に伝えられていますが、うちのAIにもシンクロして目覚めの時が来てるんでしょうかね。社長が喜びそうだ」
順平が肩をすくめる。社長のように純粋に喜ぶ人間は少ない。人間が宇宙に進出した150年前にもAIの自我による制御問題の異常が出て、ずいぶん長い間開発が止められていた時期もある。あのテロ事件以前から、ほとんどの人類にAI達のシンギュラリティへの不安があるのだ。
「目覚めによって人間との関係がスムーズになる可能性もありますが、でも正直何が起こるのか想像も付きませんね」
「パースケは、あの金属加工部門の管理AI達の経過を見るためにしばらくここに居残るように通達されたらしいわ」
「あいつ、また何かやらかさなければいいんですが」
肩をすくめた順平は、話に夢中になって忘れていたお菓子の箱をテーブルに出した。
「差し入れです、先生はもう人に会う御用事は無かったですよね」
「ええ、後でラブリュス警察の報告書が来るはずだから目を通すくらい。え?」
的射は、目の前に置かれた七色に光るシュークリームを見て目を輝かせる。
「これ、何なの?」
「食品用蛍光クリームが入ってるんです。空気が当たってから光るのは約30分だけ。体から発光が漏れるわけではありませんが、食べた後で口を開けると光ることがありますのでご注意を」
順平の言葉が終わらないうちに的射は光るシュークリームにかぶりつく。
「なんか、砂糖のシャリシャリ感があって味もキラキラだわ」
鼻歌を歌いながら、的射は左手で二つ目のシュークリームを持ち、右手でメールのチェックを行う。
しかし、鼻歌が止った。
「キリンガム・アキツ医師の死因は自殺であり、事件性はないものと判断します。ご指摘の所見も誤差範囲と鑑識AIが判断いたしました。ですって? 嘘よ、アキツ先生は何か事件に巻き込まれたに違いないわ」
血相を変えて的射が順平の方を見上げる。
「先生は最初から自殺に懐疑的な事を言われていましたが?」
「ひっかかることがあったの」
個人情報であるため、それ以上のことは順平には言えない。口をつぐむ的射に、何か言いたそうにした順平だが、結局言葉は飲み込んだ。彼も的射がなぜ口をつぐんでいるのか、察している。
的射は虹彩認証がおかしい、と思っている。それを警察にも連絡した。が、黙殺されたようだ。
最初の安全衛生委員会で、虹彩認証の際に取られた画像を見たときから、彼女は違和感をおぼえていた。キリンガム医師の虹彩の画像は、辺縁がわずかにぼやけていた。その所見は、的射から言わせれば生体の虹彩とするには違和感が強すぎた。
その後、的射は残っていたキリンガム医師の以前の生体認証データーを調べてみたが、虹彩の辺縁にぼやけている部分は認められなかった。
虹彩は死亡5時間以降であると、辺縁の縁がぼやけ、瞳孔も変化し生体との差が明らかになるが、死亡直後にはほとんど差が出ない。
もしかして、生体認証をした時点で先生は亡くなっていた可能性がある。
そして。
自殺した人間が、アリバイ工作をする訳がない。
「おまけに司法組織下の鑑識AIが隠蔽を企てた? この事件、闇が深いわね」
つぶやくと、的射は3個目の青く光るシュークリームに憤然とかぶりついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます