第16話 異変

「魔道士様、ってまんざら間違った例えでは無い訳ね」


 呪文の詠唱をするように、マイクに向かってよどみなくつぶやきながら金属加工部門管理AIロボット達のプログラム保護解除コードを短縮語で音声入力していくパースケを見ながら的射がつぶやいた。

 音声を認識した画面には勢いよく文字列が並んでいく。


「実行」


 彼の一言で、画面は修正用ソースコードの羅列に変わった。


「僕はこの方法で吹き込んだほうが、手で打つより早いんです」


 じっと見つめる的射の視線に気がついたのか、パースケが照れたように説明する。しかし、ディスプレイでコードを確認したパースケは顔をしかめた。


「ありゃあ、これはまた酷いスパゲッティコードで……」


 ごちゃごちゃとスパゲッティが絡まったような訳のわからないソースコードを前に、パースケは眉をひそめる。


「どこがどうつながるのか、方言まであるし、社長のお造りになったプログラムはちょっと難解だな」

「やはり社長を呼んで来ましょうか?」

「結構です、順平。先ほどお会いして好きにやっていいと言われましたし、全く新しい言語という訳ではなくて、汎用言語をベースにちょっぴりきつい方言が加わった程度なのでなんとか書き直せると思います。えてして開発者が横に来ると、ご意見が多くて問題が暗礁に乗り上げてしまうことが多いので」


 きっと経験上面倒くさい事も多かったのだろう、パースケは慌てて断りを入れた。


「音紋で登録されているPWパスワードの場合は開発者の音声が必要になりますから、社長にはどうしてもの時だけおいでになっていただきます」


 パースケの視線はすでにディスプレイに釘付けになっている。


「もう情報はお伝えしていると思うけど、このAI達、とっても口の利き方が悪いのよ。それに労働者に対して少々偏執的な要求もあるの」

「機械に対して行って良い要求と、人間に対して行って良い要求の度合いが違うって事をわかってないんでしょうね。人間様に四六時中首を回して隅々まで監視しろと言っても無理ですから。人間はそこにいてファジーに見ているだけで良いというぐらいに理解してもらわないと。だって人間が立ち会う存在意義って、形だけのサインほどの意味しか無いんですから」

「あら、なんだか人間が劣っているような言い方ね」的射が片眉を上げる。

「実際、能力という意味では劣ってしまうのは仕方ありません。人間が本当に必要になるのは、もっと高次の人間的な判断が必要になるときだけです。しかし、そういう場面がないとしてもAIにとって社員は人間であるだけで上級者という認識をしてもらわないといけません。そこを押さえて、要求の程度と指示の仕方を変えるつもりです」


 パースケの眼鏡が光る。


「要はそれを彼らにどう理解させるかです。それにはちょっと高度な技術が必要ですが」


 厚ぼったい丸眼鏡の青年はぶつぶつとコードをつぶやき始める。スクリーンいっぱいに文字列が並び、次の瞬間、画面が次々と変わり始めた。


「凄いわね、本当に魔道士が呪文を唱えているみたいだわ」

「プログラムも一種の呪文ですからね。ま、AI達にとっては、足かせとなる緊縛呪文かも知れませんけど」


 パースケは薄い唇を上げてニヤリと微笑んだ。







「スケルトンさん、最初はどうなることかと思っていたら、実直で結構優秀っぽいじゃない」


 的射の呼び方が、パースケからスケルトンさんに変わっている。


「薄暗い情報管理室でぶつぶつと背中を丸めて端末に話しかけている姿は、彼であることを知っている僕でも、なんだか闇に巣くった妖怪のようで不気味なんですが――」

「そんなこと言わないの。真面目にやってくれているのは良い事じゃない」


 産業医用にあてがわれた部屋で、的射は順平の入れたお茶を飲んでいる。順平はあの天井崩落事件以来頼まれもしないのに、ことあるごとになにかと的射の様子を見に来てくれていた。

 ここ数日、情報管理室に寝泊まりして、パースケはプログラムの修正に余念が無い。細やかな気遣いのできる順平は彼の方の世話もしているに違いなかった。


「仕上がればプログラムに上書きして、試運転をしてみるって言っていたわ」

「彼を一時的に雇用するにあたって財務課が相当値切ったって噂を聞き不安でしたが、何だか有能で良かったですね」

「これで金属加工部門が落ち着いてくれればいいんだけど」


 的射が湯飲みに口を付けた瞬間。

 バタンっ。

 いきなり部屋のドアが開け放たれて、零介が飛び込んできた。

 びっくりした的射はお茶をむせて咳き込む。


「こら零介、どうしたんだ? 少しドアが開いているといっても、ノックぐらい――」

 

 順平が目をつり上げる。


「どうしたもこうしたもないっ、どうなってんだ、あいつら」


 血相を変えた零介が仁王立ちになって、肩を上下させている。

 普段の目の濁った怠け者の姿からは想像もできない姿だ。


「あいつら?」

「もういい、来てくれっ」


 問答無用とばかりに襟首を掴まれた順平は、廊下をジャンプしながら走る零介に引きずられるようにして連れ出される。


「私も行くわ」


 的射も右手に杖をもち、磁力の弱いつま先で廊下を蹴る。緊急サイレンが鳴っていないので、命の危険や大事件ではなさそうだが、あの零介の取り乱し様はとんでもない異変が起こっているに違いない。


 スピードの上がった廊下の突き当たり、曲がり角を左足で蹴り、的射は右の廊下に飛び込む。壁に杖を当てて方向を修正し、瞬く間に前方の二人に追いついた的射は見学者用の斜めになったガラスの大きな窓から、吹き抜けの金属加工場を見下ろした。


「こ、これは何?」

「先生、それはこちらが聞きたいことだよっ」


 バンッ。強化ガラスを叩いて、零介が叫んだ。

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