おさげ少女は産業医

不二原光菓

第1話 着任

 七色の噴水のようにトレーラーに跳ね上げられた小砂利がふわりと空中に舞い上がる。日差しに反射して光の粒と化した小砂利達は、まるでその美しさを見せつけるかのように、ゆっくりと煌めきながら四方に落下していった。


「まるで虹のかけらがダンスしているみたい」


 腰までおさげ髪を垂らした背の低い少女がうっとりとつぶやく。彼女は時折フェイスマスクについた粉塵を手首でぬぐいながらも、飽きることなく小砂利の空中ダンスを眺め続ける。トレーラーを追って顔を動かすたびにおさげ髪がふんわりと空中を泳ぎ、髪の先端近くに結ばれた青いリボンが蝶のようにひらひら羽ばたいた。


 しかし、彼女は思いもよらなかっただろうが、実は彼女のほうもトレーラーから注目されていたのである。行き交うトレーラーからは次々に本部に不審者発見の情報が送られていた。

 それはそうだろう。彼女が立っているのは大きな車両がけっこうなスピードで行き交う運搬専用道路の横にわずかな段差だけで境された細い待避用の歩道であり一般人が立ち入ってよい場所ではない。

 やや下ぶくれ気味の桜色の頬と三つ編みにした金属的な光沢のある茶色のお下げ髪という幼女然とした彼女の外見はこの場所にまるっきり不釣り合いなものであった。


「さすが、重力の低いにせルナ。地球とは違って、砂利の滞空時間が長いわね」


 ガラス質の多い小砂利を跳ね上げていったトラックがみるみるうちに小さくなる。これで5台目を見送ったが、何度見ても小砂利の空中ダンスはスローモーションの様で見飽きない。

 だが、砂利と同時に舞い上がるダストは、表面が尖っていて、月のレゴリスほどではないが多量に吸い込むと気管支炎やじん肺を起こしてしまう厄介な代物だった。

 ダストを防ぐために居住区の地面は、土を入れ替えた耕作地以外は凝固剤で塗り固められている。だが入植してから百年近く、さすがに劣化からは逃れられず固くコーティングした表面のそこかしこには亀裂が生じ、元々の地面がむき出しになっていた。そこから危険なダストが舞い上がるのだ。

 貧乏な星の悲しさ、そのメンテナンスに金をかける余裕はない。公共事業の不備を住民の努力で補ってもらおうという魂胆か、ここでは外出時には必ずフェイスマスクを付けなければならないことが条例となっていた。


「マスクは面倒くさいけど、小砂利のダンスは暇つぶしになってありがたいわ。この星、他には見るところがなあんにも無いし」


 いかにもコストだけを考えましたといった、目の前の面白みのない四角い工場群を見て、桜色の頬をした少女は苦笑いした。

 無骨な灰色の建物の上には、かすかに緑がかった空が広がっている。

 太陽系第三惑星育ちの少女、まとはまだこの空の色に慣れない。はるか上空の厚いメンブレン層の影響でどうしても空がこの色になってしまうらしい。

 ここ百年あまり、テラフォーミングのトレンドとなっているメンブレンは、小型の星を包み大気の代わりをする宇宙空間で生育する透明藻類が形成する膜である。宇宙空間で偶然見つけられたこの藻類は一定の条件下で自らの周囲に柔らかい透明のゲル状物質を分泌して膜を形成する。この多孔質の膜は有害な放射線を通さず、大気を保持しながらまるで呼吸するかのように宇宙空間と地表との循環を行いつつも、極度の寒さや灼熱の暑さを防いでくれる。

 そのおかげで、本来なら大気を造っても引き留めておけない低重力の惑星に大気層ができ、人類の入植を可能にしていた。多少のメンテナンスは必要だが、このメンブレン層のおかげで雲もでき、弱いながらも風が吹き、雨もふる。植物が育ち酸素濃度も保てる。研究者の中には『女神の羽衣』と表現するものもいた。

 的射にとって緑の空は故郷から遠く離れた異星だが、それでも他の人に言わせれば、ここは他の星に比べればかなり地球に似た環境だという。


『昼と夜が15日交代ってのは、なかなか慣れないかも知れないけど、なんと言っても低重力なのに空気があるし、首を背中に付けて見上げるほどの高さにゴールがあるダイナミックなダンクバスケとか、まさに空中戦のバレーボールとか、地球ではできないレジャーがあるわよ。ラブリュスなら的射ちゃんも足を気にせずにきっとまた運動を楽しめると思うわ』


「そうかしらねえ」


 多分に懐疑的な表情で、脳内で再生された同僚のはなむけの言葉に少女は首をかしげた。

 その時。的射の方へ大きなフェイスマスクで顔を覆った背の高い赤毛の青年が、手を振って向かって来た。


「おおーいっ」


 それはくすんだ緑色の作業服の左腕に金色の腕章をまいたこの工場群の関係者らしき青年で、大声で叫びながらぐんぐん近づいてくる。足で軽く地面を蹴っているだけなのに、飛距離が長くてまるで空中を飛んでいるようだ。長い足が地面に足が着くたびに、赤い巻毛がふわりと舞い上がった。

 なんだか明るくて楽しそうな人だ。的射はにっこりと微笑んだ。が、――。


「なんでこんな子供が工場内に入ってんの。トレーラーからの通報で気が付くなんて、一体何してんだろうなあ。守衛ロボットは」


 的射の目の前に立った長身の青年は怒気を帯びた口調で叫ぶと、大きな焦げ茶色の目を怒らして首を振る。


「こらこら。子供が工場の敷地に入っちゃダメだよ。ここは車も大型ロボットも行き来の多い危ない場所なんだから、さあ出るよ。学校はどこなの?」


 少女の肩を捕まえようとした瞬間、その肩がすっと引かれ、青年は思い切り前につんのめった。低重力のためふわりと足が浮き上がり、頭が地面すれすれまで近づく。彼はジタバタしながらもやっと姿勢を正した。


「お嬢ちゃん、危ないからさっさとついてきて。僕は忙しいんだから」


 言うことを聞かない少女に気を悪くしたのか、青年は目をつり上げて正門はこっちだとばかりに指をさした。少女は目を丸くしてじっと青年の目を見返す。粉塵よけの高性能フェイスマスクで表情は見えにくいが、その目は明らかに不満げであった。


 青年は、絶妙の体さばきで自分をかわした少女をもう一度まじまじと見た。薄桃色の上下スーツに丸襟の白いブラウス、というここらでよく見る一般的な服装。ただ、流行の膝下ブーツではなく、足にはヒールのない白い短靴を履いていた。ゆったりとしたスラックスの裾はマジックテープで絞られている。これは低G環境お約束のデザインで、めくり上がらないためと、舞い上がるホコリや小砂利が足の中に入ってこないための仕様であった。

 右手には細い銀色の杖、そして左手には少女には不似合いな古ぼけた茶色の鞄を持っている。


「わ、私は――」

「だからあ、ここは子供の遊び場じゃないの」


 動こうとはしない少女に対して、赤毛の青年は声を荒げる。


「遊びに来たわけではありません。守衛ロボットもこれを見てちゃんと通してくれました」


 次の瞬間、彼はっと息を飲むと、信じられないという風に目を丸くした。


「え、えっ」


 目の前にたたずむ、お下げ髪の少女。

 彼女は鞄の取っ手を握ったまま、無言で左手首を青年の目の前に突き出す。ブレスレット型端末から空中に映し出されたスクリーンの冒頭にはこう記されてあった。


『産業医派遣契約書』


 赤い髪の青年は、思わず後ずさる。


「も、もしかして、おじょ……いや、あなたが那須なす的射まとい先生?」

「名字だけで呼ぶときには那須でかまいませんが、続けて読むときは那須的射なすのまといと、名字と名前の間に『の』を入れてください。当家に伝わる昔からの慣習なので」


 少女はにっこりと赤毛の青年に微笑んだ。

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