第23話 トランスポゾン
「これ、まともに動くように調整して欲しいの。社長にも許可を取ったわ。なんとかしてちょうだい、パースケ」
今日の的射はちょっと違う。フリルの入ったブラウスに赤いリボンを結び、ゆったりした光沢のある白いスラックスにピンクの短靴を履いている。唇にほんのり差した紅がいつもと違う最大のポイントだが、男性の多いこの会社ではそれを指摘する者は一人も居なかった。
「こんなめんどうくさそうな古語プログラム嫌ですよ、第一そんなの契約には――」
昨日の騒動の後、産業医室に運び込まれたロドリゲスは床に大の字になって横たわっている。端末で開いたソースコードを見ながら、パースケは泣き言を並べた。
「呪文を詠唱するがごとく口頭でプログラムを操る有能な魔道士様が、古語くらいで何おたおたしているの?」
机の上に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、的射は盛大にパースケをおだてる。
彼女の言葉に、妄想系男子の顔は徐々に緩んできた。
「ま、まあ、よく見れば、古語だけど構文は簡単だし、手間がかかるけど、できるかもしれません」
「それこそ、RPGパーティの守護神、魔道士様! あら、そういえばパーティってあなたの名前でもあったわね」
「ええ、友と人生のパーティを組んで渡っていけるようにってこの名前を付けたんです」
「まさにあなたにぴったりの名前だわ。センスのいいご両親ね、魔道士様」
「そ、そうですかあ。いやあ、それほどでも……」
気を良くして凄いスピードでブツブツと音声入力しだしたパースケだが、すぐに口をつぐんでしまった。
「どうしたの?」
パースケは空間に浮かぶスクリーンに並ぶロドリゲスのソースコードを指さした。
「これ、見て下さい。意味不明のジャンクコードが多くて、すんなり行かないんですよ。誰だこんな訳のわからないソースコード書いたの」
「ジャンクコード?」
「ええ、ソースコードを何度も書き加えていくと、もうその文字列がどう働いているのかすらわからない意味不明なソースコードが出てくることがあるんです。そういう意味がわからなくなった部分をジャンクコードって呼んでますが、えてして消してしまうと、ジャンクのくせに思いもよらないところに大変な影響が出てしまったりするんですよね」
「人間のジャンクDNAと同じようなものかしら。人間のDNAにも、どんな働きをしているかまだ明確にはわからない、一見不要っぽい配列が結構あるのよね」
的射はプログラムをのぞき込む。
「今、普通に使えるように注釈コードを入れて交通整理しているところです」
頭を抱えながらも、徐々に作業は進んでいるようであった。が、再びパースケが素っ頓狂な声を上げて首をひねる。
「ん? なんでこんなにトランスポゾンがあるんだ?」
トランスポゾンとは朝顔やトウモロコシで有名な、勝手に動く妙な遺伝子配列である。転移する事によって遺伝子構造や発現パターンを変える変異を起こし、有名なところでは変化朝顔の出現に強く関わっている。
それをまねて、トランスポゾンと名付けられた移動するコードがコンピューターウィルスに組み込まれ始めたのはここ数十年の話であった。このコードの特性はランダムに動くことで、それが飛び込んだ時に起こすバグをトランスポゾン変異と名付けている。
「なんでロドリゲスにトランスポゾンが入っているの? もしかしてこれウィルスにやられたまま放置してあるのかしら」
「変異を起こすことで新しい反応を期待して、研究室でわざと入れていた時期もあります。まあ、コードが移動すると言ってもある程度範囲は限られていて、これを入れる場合には安全面に関わらないように跳ぶ範囲を限定してやることが多いんです。さらに超高等テクニックですが、見つかりたくないソースコードの場合、わざと特定の刺激でジャンプをするトランスポゾンにコードの欠片をくっつけておく事があります。普段は意味をなさないジャンクコードが、ひとたび刺激を受けて集まると新しい意味のあるソースコードに変化するのです。そしてこのソースコードは用がすめばまたランダムにジャンクコードの中に姿を隠す。お遊びの延長でしかなかった技術ですが、この変異があの無差別殺人を起こしたロボットにも入っていたことで、今は公的機関での研究的使用ですら規制が厳しくなりました」
「この百年前の古典的なプログラムに、トランスポゾンが入っていたと言うことは、最近このロドリゲスのプログラムに侵入した何かがいるって事かしら」
的射の目が煌めく。
「百年前にはトランスポゾンコードは作られていなかったので、最近そういうプログラムが忍び込んだ可能性がありますね、微弱ですが内蔵電池も生きていたのでロドリゲスが無線LAN経由で自動にマルウェアを傍受してしまったのかもしれません。あの胸毛、アンテナにもなりますからね」
「お願い、パースケがんばって。ロドリゲスときちんと話がしたいの」
「もうすぐ、なんとかまともな動作で動きそうですよ」
的射はテーブルから飛び降りると、パースケの両腕を掴んで飛び跳ねる。
「きゃあ、ありがとうパースケ、大好きっ――」
おほんっ、とわざとらしい咳払いをして部屋に入ってきたのは順平だった。
「仲良く盛り上がっていらっしゃるところに、申し訳ありません」
「はあ? 仲良く?」的射は眉をひそめる。
「なんですか、先生。見かけより精神年齢が高いのは結構ですが、パースケの居るときだけ口紅なんか塗って。仕事とプライベートは一緒にしないでください」
順平は明らかに不機嫌な表情で的射を見る。
「何を言いたいのか、よくわからないんですけど」
何やら険悪な二人を見て、慌ててパースケが取りなす。
「丁度良かった、順平も一緒に立ち会ってください、ロドリゲス再起動です」
ぶつぶつと文句を言い合っていた二人だが、ロドリゲスの目が青く光った瞬間、緊張した面持ちで口をつぐむ。しかし、彼らの心配は杞憂だった。
ロドリゲスは的射の前に進み出ると、くるりと右に一回転してひざまずいた。
「ご主人様、僕の名前はイケメン
「
「うおおおっ、かっわゆいっ」
的射の笑顔がど直球だったらしい。ロドリゲスが両手を頬に当てて体をくねらす。
「この二人は庶務課長で、安全管理者でもある後藤順平さんと派遣SEのパースケいや、パーティ・スケルトンさん。仲良くしてね」
「もっちろんですう、こんな可愛い美形天使様の言うことなら、僕ちゃんなーーんでも聞いちゃいますっ。ご覧ください、すでに心には羽が生えましたああああ」
ロドリゲスは言いながら、いきなりぴょーんと飛び上がった。
「うわあ、ここ浮きますねえ。僕ちゃん、バレエの王子様でゲスーー」
目が点になる三人を尻目に、ロドリゲスは両足を前後に開脚するバレエのグランジュッテをしながらぴよんぴょん部屋を飛び回る。
「ちょっと危ないわよ、ここ、椅子とか多いし」
的射の言葉が終わらないうちにラテン系ロボットは空中で飛び上がって、服を掛けるポールハンガーの頂点に股間をぶつけた。
「ロードーリーゲースっ」
床を転げ回って悶絶する、金髪胸毛男子。急所は敏感に造ってあるらしい。
「ねえ、これは何っ。ちゃんと直してって言ったわよね」
的射はパースケにくってかかる。
「多分、これがデフォルトなんですよお」
「こりゃ、廃版になる訳だ」順平が額に手をやって目を閉じた。
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