土とブドウの町の芸術祭
第36話 ニーナのアトリエ
ニーナが夢やぶれタスカーナの町に戻ってきてから、二年の時が経った。
月日はめぐり、この町に、早春の風が吹きはじめていた。
周囲の山々やブドウ畑にも、青々とした緑が芽生えはじめる。
ニーナはタスカーナの町に、小さな自分の店を持ちはじめた。
もともと空き家だったものを、大工と相談しながら、ニーナ自ら設計デザインをしたアトリエ兼事務所だ。
外観は、まるで木でできたおもちゃ箱のように見える。
町並みに調和しながらも「おっ」と人目を引くような新規さと遊び心があった。
できるだけ町の人たちが気軽に相談できるよう、親しみやすい見た目を考えた結果だ。
オシャレな外観に対して、アトリエの中はごちゃごちゃに散らかっている。
元々は増えすぎたスケッチや、絵の資料の置き場が欲しくて作ったアトリエで、最初は広々とした空間を喜んでいた。
けど、いつの間にかここにも画材が山のようにあふれかえってしまっていた。
とにかくいろんなものをいろんな角度から集めて、絵に描いてアイディアに変えていく。
それがいまのニーナの仕事のやり方だ。
際限なくスケッチがあふれてかえってしまうのも、道理と言えば道理だった。
「きれいに整理整頓された部屋も小ぎれいで気持ちの良いものですけど、このほうが“いかにも絵描きのアトリエ”という感じで、味があると思いますわぁ」
と言って、ガラテイアも基本的にその散乱っぷりを放置している。
話しぶりからすると、どうも創り手にして
もう一人、ニーナのアトリエで今年から働きはじめた従業員も、細かなことに気を配るタイプではなかった。
むしろ、大雑把で直感に頼るところは、ニーナたち以上だ。
「ニーナねえちゃ~ん、お客さん~!」
「はーい! 奥にお通しして、イオちゃん!」
元気よく自分の名前を呼ぶ声に、ニーナも声を張って応える。
玄関のドアを開け、客人を招き入れたのはカルヴィーノの孫娘、イオだ。
イオは通いで、昨年からニーナのアトリエで働きはじめていた。
家業である修理屋も手伝いつつ、さらに武道の修行もおろそかにしていない。
いまでは、道場の中でもエリザに次ぐ席次二番の高弟となっていた。
ニーナのアトリエ、修理屋、道場、どこにいても元気いっぱいの全力投球で、無理をしている様子はまったく感じられない。
若さだけでは済ませられない、無尽蔵の体力・気力の持ち主だ。
祖父のカルヴィーノいわく「アレは落ち着きなくあちこち飛び回るヤツじゃからな。ひとつことをやらせておくより、あれこれ体当たりさせておいたほうがいい」ということだった。
この二年で背丈も髪も伸び、ずいぶんとおとなっぽく、そして女の子っぽくなっていた。
彼女は絵の専門知識よりも、魔光印刷の操作と意外な発想力でニーナたちの助けになっていた。
それに、町中での彼女の人気は高く、イオの呼び込みではじめてアトリエを訪れる客も少なくなかった。
忙しさに目を回しているニーナにとって、いまではなくてはならない存在にまでなっていた。
「トビアのおっちゃん、そのへんうっかり触ったら崩れるから気をつけて。ニーナねえ、散らかし魔なもんだからドコに何が落っこちてるかウチにも分からないんだ」
「あのなぁ、イオ。お前さんもココで働いてるならニーナ先生のせいばかりにしないで、自分も掃除したらどうだ」
「ん~、ウチだって掃除とか片付け大の苦手だし、そのへんのもの勝手にいじるとニーナねえが怒るんだもん」
「胸張って言うようなことか」
アトリエを訪れる客はこの町の住民ばかりで、イオにとってはほとんどが顔見知りだ。
軽口を叩いて客の気持ちをほぐしながら、席に案内する。
「こ~ら、イオ。話盛らないでよ~。トビアさん、わたし片付けしたくらいで怒ったりしないですからね」
「おう、ニーナ先生。もちろん分かってるって」
ニーナも向かいの席に座りながら、軽口に混ざり合う。
「え~、トビアのおっちゃん甘いって。このあいだだって、ニーナねえ『大事な資料どっかいっちゃった~』って大騒ぎして、みんなで探し回ったりして大変だったんだから」
「し~! それ、お客さんにはナイショだって言ったでしょ」
ニーナは席のすぐとなりに立つイオの口を塞ごうとする。
けど、最近は武術の腕もめきめき上げているイオだ。
ひょいっと伸びてきた手をかわし、ケタケタと笑いながらアトリエの奥へ行ってしまった。
客人であるトビアも、そのやり取りに釣られて笑い声を上げた。
半ばは素でやっていることが、もう半分はニーナたちの戦略の一つだ。
このアトリエでの仕事は、お客さんの相談に乗る、というよりお客さん自身にアイディアや希望を自由に出してもらうことが重要になる。
できるだけ肩肘張らずリラックスしてもらうよう、イオには自由な言動を許し、ニーナもそれに乗っかることが多かった。
立場からすればニーナはアトリエの主であり親方と呼ばれるべきかもしれないが、本人は自分には似合わない、「十年早い」とニーナ自身の親方であるナタリアに笑われる、と思っていた。
本当は客人から「先生」なんて呼ばれるのもむずがゆくてしょうがないのだが、そこは胸を張るべきだとガラテイアとイオふたりから言われていた。
「ようこそお越しくださいましたわ、トビアさん。わたくしたちがお役に立てること、心からお祈りいたしますわ」
「あ、ああ。これはどうも」
そして、客人がリラックスしたタイミングで、ガラテイアが小さなカップにワインを載せてあらわれる。
すぐ間近に寄り添うに立ち、自分のためにテーブルにカップを置くガラテイアの姿に、心をとろけさせない客人はいままでになかった。
男性は言うまでもなく、たとえ女性の客でも同じことだった。
ガラテイアはニーナと自分の分もカップをテーブルに置き、ニーナのとなりに座る。
「それでトビアさん。今日はどういったご用件ですか?」
「ああ、それがなニーナ先生。聞いてくれよ……」
少量の、比較的安価なものとはいえ、客人の前に置かれたのはオルネライア家のワインだ。
これで口を湿らせた客は、いい気分になって自分の相談事をあけすけに話しはじめるのが常だった。
イオ、ガラテイア、さらには実家のワインまでが、ニーナの接客がスムーズに運ぶようにチームを組んでいた。
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