第37話 なんでも屋の絵描きさん

 トビアは、タスカーナの町で青物屋を営んでいる中年の男だ。

 店舗の規模は屋台とそう変わらないくらい小さく、周辺住民たちが利用するような店だった。


「カルメーロんとこの“雄牛の角”看板、ニーナ先生の作品だよな?」

「あっ、はい。去年ご注文いただいて……」

「ああ、あれには度肝抜かれたぜ。さすが先生だ」

「あ~、いや。どうも……。あはははは」


 話の流れが見えないままに、ニーナは照れ笑いを浮かべる。

 ただの世間話なのか、依頼内容に関係あるのか、それも分からなかった。


 カルメーロというのは、タスカーナの表通り一等地に酒場を営む店主である。

 酒場といっても大衆向けのものより一段ランクが上で、酒はもちろん、食事も洗練された素材と料理を提供している。


 ニーナの実家のワインの大事な取引先の一つでもあり、その店の金看板であるタスカーナ牛のステーキを楽しみに、フロレンティアからやってくる客すらいた。

オルネライア家と並ぶこの町の名士といえた。


 ニーナが請け負ったのは、その店の屋上に飾る看板づくりだ。

 一等酒場の看板なんて荷が重すぎる、とかなり尻込みしていたのだが、カルメーロに再三再四頼まれ、ついに引き受けた。


 予算に糸目をつけないのでとにかく派手に、と言われニーナもかなり好き勝手にやらせてもらえた仕事だった。


 結果、黒塗りの合金を角に見立て、雄牛の頭が通りを見下ろしているような、豪快な看板が誕生した。

 カルメーロはその出来を絶賛しており、その看板の存在はニーナのアトリエの評判を一気に押し上げた。


 しかし、その話をいまトビアが持ち出す意図が分からなかった。


「たしかに先生の作品は見事だ。そいつは認める。けど、カルメーロのやろう。事あるごとに、しつこくしつこくそいつを自慢してくるのはいい加減ガマンならねえ」

「まあ、カルメーロさんのご依頼で作った看板ですし……」

「ご自慢して頂けるなら、わたくしどもも鼻が高いですわ」


 トビアの言葉に、ちょっとあっけにとられながらニーナたちは応えた。

 詳しく聞くと、トビアとカルメーロはカードゲーム仲間で、昔からの付き合いらしい。

 ワインを空けながらやるカードゲームの席は、時間が経つにつれお互いの自慢合戦になりがちだ。

 最近のカルメーロの自慢話は、ニーナの作った店の看板のことばかりだという。


「やっぱりね、看板というのは店の顔だね。諸君も見ただろう。あの今にも雄々しく吠え声を上げそうなうちの雄牛を。これから、雄牛の角といえばうち、うちと言えば雄牛の角。そう言われるようになるだろうねぇ」


 こんな調子らしい。

 看板のデキがいいのは誰しも認めるところだったから、言い返すのは簡単じゃない。

 せいぜい、カードゲームのヘタさをからかうくらいだ。


 率直に言って、トビアはうらやましかった。

 なんとかカルメーロに負けないくらいの看板をうちでも作ってほしい、というのがトビアの依頼だった。


「うちの屋根にもな。こうドーンとでっかい看板を置いてほしいんだ、先生」

「はぁ……」


 どうしたものか、とニーナは内心考え込む。

 ニーナの仕事は、最初に客から依頼された内容で実現することは滅多にない。


 とはいえ、客の要望を無下にもできない。

 ここから話し合って、お互いにとって最良の形を見つけ出すことが大事だった。


「ちなみに、予算はどれくらいでしょうか?」

「あぁ、ええっとだな。うちで出せるのは、だいたいこんぐらいだ」


 トビアが提示した金額は、カルメーロの店で作った看板の材料費にも満たなかった。

 正直、同じ大きさの看板を作るのは無理がありそうだ。


「何かトビアさんのほうでデザインの要望とかは……」

「そりゃなんてったって、うちの自慢は新鮮な青ナスよ。こうどどーんとでっかいナスの看板を屋根にだな」

「う、う~ん……」


 ニーナは、巨大なナスの看板がトビアの小さな店の上に乗っかっているさまを想像してみた。

 ある意味インパクトは大きいだろうが、かなり異様な光景になりそうだ。


「トビアさん。申し訳ないですけど、そのお値段だと看板作りはかなり厳しいです」

「う~ん、そこをなんとかなんねぇか? こう、張りぼての木の看板で小さいもんこさえるとかして」

「えっと……。それなら無理やりなんとかできるかもしれないですけど、カルメーロさんに作ったものくらい見映えのするものになるかは……ちょっと自信ないです」


 なんとかしてあげたい、とはニーナも思う。

 けれど、予算を度外視した事業は破綻をきたす。

 姉のエリザからも、きつく言われていることだ。


「トビアさん。二階の屋根の上に掲げる看板は、実物より相当小さく見えるものですわ」


 ガラテイアも、そっと言い添える。


「ああ、そうか! じゃあ、余計に無理だなぁ」


 トビアはしまった、というように額をぴしゃりと打った。

 がくりと肩をうなだれさせてしまう。

 けど、ニーナは、せっかくたずねてくれたのに「無理です」で終わらせたくなかった。


「だったら、チラシを作るとかはどうですか? 魔光印刷機を使えば安く造れますし……」

「チラシ、ねえ」


 魔光印刷機もカルヴィーノ老から譲り受け、アトリエに設置してある。

 カルヴィーノは使ってくれるなら無料でいいと言っていたが、それではニーナの気が澄まなかった。


 印刷機を用いる仕事の場合、収入の三分の一を譲渡する。

 そういう取り決めで導入することとした。


 この機械の扱いは、ニーナたちよりイオのほうがうまい。

 もしかすると、発明したカルヴィーノ以上かもしれない。

 ニーナの原画の細かな部分まで損なうことなく、大量に印刷できるのはイオがセットしたときだけだった。


「そう。さっきのトビアさんが言っていたナス……。それに、タマネギとかニンジンもトビアさんのお店、おいしいですよね? こんな感じで簡単な形にしたナスとかに顔を描いて、手と足も付けて、チラシに散りばめるんです」


 ニーナはスケッチブックに、素早くイメージを描きこんでいく。

 あっという間に、色とりどりの野菜たちが元気よく紙の上を飛んだり跳ねたりしている姿が描かれていく。


「おお、こいつは……!」

「かわいらしいですわぁ」


 それを覗きこんだトビアとガラテイアは、歓声を上げた。


「トビアさんのお店って地域密着型って感じですよね? ですから、カルメーロさんのところみたいに通りがかった人の目を引く、っていうよりお客さんに愛着を持ってもらえるのがいいかな、って」

「このカワイイ野菜たちなら、野菜嫌いのお子様も喜んで食べてくれそうですわ」

「こいつはいいな。確かにうちは地元第一だからな」


 トビアが乗り気になったことで、話はさらにはずんでいく。


「さっきトビアさんがおっしゃっていた、木の張りぼて。屋根に置くのではなく、このナスのキャラクターを店に置いてみるのはいかがでしょう?」

「それ、いいねガラテイア! 店の前に置いてみるのでも、お客さん喜びそう」

「なるほどな。看板娘ならぬ看板ナスってことか」


 トビアはしきりに感心していた。


「さすが先生だ。俺はつまんねえ対抗心でうちらしさを置いてけぼりにするとこだったが、このアイディアならうちにぴったりだ。こいつでいこう! ありがとな」

「いえいえ。お礼は実際にものができてからで。いまのはざっとしたスケッチですけど、ちゃんとトビアさんのお店に寄らせてもらって、どんなキャラクターにするかちゃんと考えます」


 ニーナの言葉に、トビアはもちろん賛成だった。

 おおまかな方針が決まったところで、トビアは満足して帰っていった。

 仕事の詳細は、トビアの店をよく見た上で後日、ということになった。


「ふぅ~」


 ニーナは彼を見送ってから、安心してどっとため息をついた。


「お疲れさまでしたわ、ニーナ」


 そんなニーナの肩を軽く抱き、ガラテイアがねぎらう。


「うん、そうだね。ちょっと疲れたかも。でも喜んでもらえそうでよかった」

「ふふっ、二階のイオも呼んで、ちょっとおやつ休憩にいたしましょう。小ブドウのパイを買っていますわ」

「おお~、さすがガラテイア!」


 少しお疲れ気味だったニーナの目が輝く。

 そういう子どもっぽくころころ表情が変わるところは、ガラテイアが彼女に出会ったころと何も変わっていなかった。


 けど、もうニーナはめったなことでは泣かない。

 アトリエの仕事も困難なことや失敗も少なくなかったけど、ニーナはガラテイアたちと力を合わせ、乗り越えてきていた。


「ほんとに最近は、いろんなお仕事を頼まれることが増えましたわね」

「うん。こないだなんて、服のデザインまでしたし」


 ニーナの仕事はもう、“絵”という形にとどまらない。

 建築物や小物。服や生活用品まで。

 デザインと呼べるもの全般の相談が持ち込まれ、できるかぎりニーナはそれに応えていた。


「まるで万能の聖女さんのようですわ」

「ありがと。でもわたしには似合わないよ」


 本気でそれを目指し、ついにはなれなかった万能の聖女。

 けれど、ガラテイアに応えたニーナの声音は、さっぱりとしたものだった。

 苦笑交じりの答えに、卑屈さは感じられない。


「せいぜい、なんでも屋の絵描きさん、じゃないかな?」

「ふふっ、それもまたニーナらしいですわね」


 ガラテイアはカップを片付けようとした手を止め、ニーナに寄り添う。

 ニーナも甘えるように、頭を彼女の身体にもたれさせる。

 ガラテイアはそんなニーナの髪も優しくなでた。

 こんなふうに誰かに堂々と甘えられるようになったのも、心に余裕が出た証拠だろうか。


 自分の進む道を見つけられたのも、ここまでやってこれたのもガラテイアのおかげだ。

 ひとりでは、何もできなかっただろう、と思う。

 そんなニーナの想いは、ガラテイアにも伝わっているみたいだ。


「ニーナ。これからも、ともに時を重ねてゆきましょう」


 子守唄を歌うように、ガラテイアは優しくささやきかけた。

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