第38話 叔父の訪問

 この日、イオは家業のほうが忙しく、ニーナのアトリエは休みだった。

 けど、お昼を回るまでお客さんは誰もなく、のんびりとした一日だ。

 ニーナとガラテイアのふたりだけでも、何も問題ない。


 急ぎではないデザインの仕事の草案をふたりで話し合ったり、少しだけアトリエの片づけをしたりしながら、ゆるゆると時を過ごしていた。


「最近忙しい日が続いたから、たまにはこんな日もいいよね」

「ええ。休みを取るようにいくら言ってもニーナは聞かないのですもの。ゆっくりできるときに休むべきですわ」


 ふたりは椅子に座ってお茶を飲みながら、午後のひと時を過ごしていた。


「う~ん。でも何かやってないと落ち着かないなぁ」

「それでしたら、以前のようにスケッチの練習にわたしくを描きますか?」

「あっ、いいね。でも、さすがにここで裸になってもらうのは……」

「それくらいわたくしもわきまえていますわ! むしろ、この服を着た姿を描いて頂きたいですわ」


 そう言ってガラテイアは立ち上がり、くるりとターンして見せた。

 ふわりとスカートが風をはらんでひるがえる。


 そんなちょっとした仕草ひとつを取っても、人間ばなれした美しさだ、とニーナは改めて思う。

 二年間、ほぼ毎日いるから感覚がマヒしていたけれど、やはり彼女は彫刻の乙女なのだ。


 いま彼女が身にまとっているのは、ニーナが彼女のためにデザインし、町の服飾屋に仕上げてもらった衣服だ。

 ガラテイアが目覚めたときに身につけていた古代の装束に似ているけれど、上下に分かれたコートとロングスカートになっている。

 古代の衣装のような厳粛を残しながらも、動きやすく、現代らしいカジュアルさも同時に感じさせる。

 

 ガラテイアはその服がいたくお気に入りで、だいたいいつも身につけていた。

 衣服と自分の姿を強調するようにポーズをつけて立つガラテイアの姿に、ニーナの創作意欲もむくむくと湧きあがってくる。

 

 けど、ニーナがスケッチブックを手にしたその時、店の呼び鈴がちりんちりんと鳴り、玄関のドアが開く音がした。


「は~い。いらっしゃいませ~」


 ニーナはスケッチブックを放りだして、玄関に向かった。

 ガラテイアも、客をもてなすための準備をすぐに始めた。


 そこには長身のひとりの男が立っていた。

 やけに眼光鋭く、タカかワシか猛禽類を思わせるような顔立ちだった。


 白髪に白い眉だが、老人という感じはまったくなく、痩せた頬や細い手足も、歳とともに余分なものが削ぎ落されているように見える。

 くたびれた旅装姿がさまになっていた。

 まるで歴戦の戦士のような雰囲気だ。


 けど、ニーナは彼が戦士などではなく、商人であると知っていた。

 よく見知った顔だったのだ。


「ファルコ叔父さん!」

「おお、ニーナ。元気にしてたか?」


 ニーナは相手のふところに飛びこんだ。

 ファルコと呼ばれた男はそれを抱きとめ、わしわしと頭をなでる。


「うん。いつタスカーナに帰ってたの?」

「いまさっきだ。汽車に乗ってな」


 ファルコは相好をくずし、ニーナを抱きあげる。

 ふたりはそうやって、しばらく再会を喜びあっていたが、ニーナのほうから率先して中に招き入れる。


「とりあえず座って、叔父さん。いまガラテイアがワインを持ってきてくれるから」

「おお、すまんな」


 ファルコが客人用の椅子に座ったのとちょうど同時。

 ニーナの言ったとおり、ガラテイアがやってきて、テーブルにワインの入ったグラスを置く。


「おお、ガラテイア! 我が娘よ。相変わらず美しいな」

「うふふ、お父様もご壮健のようで何よりですわ」


 ニーナにしたように、ファルコとガラテイアもハグを交わし合った。

 もちろん、ふたりが言っているのは戯言ざれごとだ。

 ガラテイアとファルコに、血のつながりはまったくない。


 ファルコはニーナやエリザの叔父で、当主の立場を早々にエリザに譲り、本人はオルネライア家のワイン販促のため、貿易商として海外を飛び回っていた。


 小さいころは冒険家になるのが夢だったと本人は言っていて、一つところでじっくりワイン造りに向き合うより、見知らぬ国に出向いてはワインを売り込むほうが性に合っているらしい。


 滅多にタスカーナの町には帰ってこないので、それをいいことに、ガラテイアをファルコの娘ということにして、町の者たちには説明していた。

 ファルコ当人には、エリザから手紙でそのことは伝えていた。


 ふたりが初めて出会ったのは、昨年の暮れ、大聖母生誕日休暇でファルコがタスカーナに帰ってきたのが初めてだった。


「うまい! やっぱり地元で飲むうちのワインは最高だな」

「叔父さん。うちにはもう戻ったの?」

「いや、まだだ。まずはお前の様子を見ようと思ってな」


 汽車で戻ってきたというから、町外れの屋敷に行くより町中にあるニーナのアトリエを先に訪れるのは道理だ。

 それにしても、エリザよりも先に自分たちに会いに来てくれたということを、なんとなく嬉しく感じるニーナだった。


 自分の幼い頃に両親が亡くなったニーナにとって、姉のエリザや老メイドのロザンナが親代わりのようなものだった。

 エリザたちは、当主としての責任感や躾の方針もあり、厳しく接することも少なくなかった。

 それに対して、ごく稀に帰ってくる叔父のファルコはいつもニーナに甘かった。


「元気にやってるみたいだな」

「うん。なんとかね。ガラテイアやイオちゃんも助けてくれてるし」

「そうか。お前の作ってくれたラベルな、ものすごく助かってるぞ。外国のお客さんにも分かりやすいと評判だし、俺も売り込みやすい」

「えへへ。なら良かった。叔父さんは、まだフランク帝国にいるの?」

「いや。いまは旧神聖列国の辺りを開拓中だ。あのあたりは伝統的に麦酒がよく飲まれているが、最近はフロレンティアの万能の聖女ブームもあって、ワインを好む上流階級の人間も増えていてな」


 ニーナとファルコは、お互いの仕事の話や近況のことをしばらく談笑していた。

 ガラテイアもふたりのジャマをしない程度に、会話に混ざっていた。


「……けど、どうして急に戻っていらしたのですか? 前にお会いしたときには、またしばらくは帰れそうにない、とおっしゃっていましたのに」

「ああ、そのことだ」


 ガラテイアの問いかけにファルコの顔から笑顔が消え、眼光の鋭さが増す。

 真剣な顔、というよりどこか深刻そうに見えた。

 その表情のまま、ニーナとガラテイアの顔を順に見回す。


「ニーナ。できればいまから家の方に戻れるか」

「それは……今日はお客さんもいないしだいじょうぶだけど」

「なら、俺といっしょに来てくれ。家族会議をしたい」

「かぞく……かいぎ?」


 ファルコは重々しくうなずきを返した。


「ああ。このままでは、この町のワイン畑が潰されるかもしれん」

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