第39話 砲兵工場
「そのようなこと、断じて許すわけにはいきません」
ニーナの姉エリザと、叔父のファルコが向かい合って座っていた。
ニーナの横には老メイドのロザンナ、ファルコの両どなりにはニーナとガラテイアも椅子についていた。
久しぶりの一家集合だが、家族団らんという空気ではまったくなかった。
ファルコとエリザは、ほとんど睨み合うような険しい表情で互いの目を見ていた。
エリザの咎めるような声に、ファルコは肩をすくめる。
「おいおい、俺に怒ってもしょうがないだろ。俺だって、なんとかするために戻ってきたんだから」
「……失礼しました。つい取り乱してしまって」
どんなときも冷静なエリザが、ここまで感情をあらわにするのは珍しいことだった。
取り繕うように咳ばらいをし、居ずまいを正す。
「怒りたくなる気持ちはよく分かるけどな。当主のお前が冷静さを失くしたら向こうの思う壺だ。しっかりしろ」
「……はい。お恥ずかしい限りです」
かくいうファルコも、家に戻ってきたときはエリザを当主として立てて、上から物を言うようなことをしない。
彼も彼で気が立っているのだろう、というのをとなりに座るニーナは感じていた。
「叔父様。お知らせいただきありがとうございました。知らぬままでいれば、取り返しのつかないところまで事態が進んでいたかもしれません」
座ったまま、エリザは折り目正しく頭を下げる。
そうすることで、自身の気持ちを切り替えようとしているようでもあった。
「しかし、本当なのですかな。この町に大規模な砲兵工場を建てるというのは……」
老メイドのロザンナが顔を曇らせて言う。
砲兵工場。
改めて耳にすると、不吉な響きだった。
ニーナとガラテイアも顔を強張らせ、ファルコを見る。
「ああ。まだウィレシウス教皇の思いつきの段階らしいけどな。あの男が決定したら誰もくつがえせなくなるだろう」
重い沈黙が場を満たす。
「あの方はこの町の伝統あるワイン畑をなんとお考えなのでしょう」
「さあな。ただ、現教皇は下戸だ。関心があるのは芸術と軍事のことばかりだと聞くな」
ファルコにそう返され、エリザは顔を曇らせる。
「教皇殿にとっては、この町はフロレンティアから近くて砲兵工場を置くのに便利な場所、くらいの認識なのでしょうな」
ロザンナがぽそりとつぶやき、エリザとファルコも重々しくうなずきを返した。
「あの……話の腰を折るようで申し訳ありませんが、わたくし、砲兵工場というものがなんなのかよく分かっておりませんの。お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「実はわたしもあんまり……」
ガラテイアとニーナがおずおずと言い、場の空気が少しゆるんだ。
エリザとファルコは、毒気を抜かれたようにそっと息をついた。
「俺も兵器の原理についてはよく知らないけどな。一種の魔導兵器らしい。台に載せて数人がかりで運ぶ大きな筒に、魔力がこもっていてな。雷が落ちたみたいな音といっしょに、大きな鉛の玉が相手に飛んでいく。でもって、その玉の中にも爆裂魔法が仕込んであるらしい。相手のとこに落ちると同時に大爆発するそうだ」
「まぁ。恐ろしい話ですわ」
「うん、ぞっとするね」
完全に理解できたわけではないが、強力な兵器であることはなんとなく想像できた。
ニーナとガラテイアはそろって顔を青ざめさせた。
「砲兵工場というからには、おそらく大筒の製造工場と、兵士の訓練場を兼ねているのでしょう。どれだけ大規模な施設になることか……」
「で、でも、何もワイン畑を潰さなくても、山の中とかいくらでも場所はあるんじゃ……」
ニーナの言葉に、エリザはそっと首を横に振った。
「未開発の土地を一から切り開いて工場を建てるのは、労力が大きすぎます。それに……問題は土地の汚染です」
「汚染?」
「魔力を用いた兵器です。たとえ畑の真ん中に建てるのではなくても、ブドウ畑にどのような影響があるか計り知れません」
「そ、そんなの町のみんなが迷惑するじゃん!?」
ようやく事態の深刻さを知り、ニーナは声を荒げた。
けれど、ファルコがそっと首を横に振る。
「いや、そうともかぎらん」
「ど、どういうこと、叔父さん?」
「砲兵工場ができるとなれば、町に助成金が下りるはずだ。魔力値だって安全基準に抑えられている。工場ができれば、人の流入も増える。町が栄えると考える者たちも案外多いかもしれん」
ファルコの言葉に、エリザが顔色を変えた。
「タスカーナの特産であるワインを犠牲にしてですか!?」
「だから俺に怒っても仕方ないだろ。こういうときこそ、商人の頭で考えろ」
同じ注意をエリザが二度受けるところなど、妹のニーナも初めて見た。
それだけ憤りが大きいということなのだろう。
「安全基準を満たしていると言っても、それは人間への影響の話でしょうな。実際、ワインの味や質にどう影響するか知れたものではありませんな」
ロザンナがぽつりと吐き捨てるように言う。
ワインは生き物だ。
その日の天候やちょっとした環境でも、簡単に味が変わってしまう。
それを見極め上質なワインを常に造り続けるには、長年蓄積された職人の勘が必要になってくる。
わずかのあいだワイン蔵で働いただけのニーナにも、それくらいのことは分かる。
エリザは極力感情を抑えながら、けれども、断固とした口調で言う。
「一度魔力汚染で失われた土地の品質は二度と元に戻りません。たとえ、一時的に町が潤うことになったとしても、タスカーナのワインという財産は永遠に失われることになります」
エリザは、そこにいる全員の顔を順に見回し、問いかける。
「ロザンナ。ニーナ。叔父上。ガラテイアさん。ここに集まったみなは、砲兵工場建設には断固反対の立場。そう考えて間違いありませんか」
その問いかけに、みな首を縦に振る。
だが、ガラテイアだけは思案気に一瞬それをためらった。
ニーナだけが、そのことに気づく。
「ガラテイア?」
何か考えごとをしていたのか、ニーナが呼びかけるとハッと我に返ったような素振りを見せた。
「……なんでもありませんわ。わたくしも、砲兵工場というものの建設には反対いたしますわ」
「ありがとう。ガラテイアさん」
エリザの口元が、小さく微笑の形を作った。
だが、目は怒りの色をたたえたままだった。
「では、そのうえで工場建設を撤回させるために何をすべきか、話し合いましょう。どうか、皆の知恵をお貸しください」
一度、エリザはびしっと背筋を伸ばし、そして深々と頭を下げた。
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