第3話 姉弟子と妹弟子

 絵画、彫刻、建築。

 詩や音楽、演劇に舞踏。

 さらには魔術に学問、魔技学。


 芸術が花開き、新たな技術が生まれ、あるいは古代の知識が再発見される。

 世はまさに、華やかなる人文復興ルネッサンスの時代であった。


 その担い手は、芸能と学問の女神パルセナの霊感を授かったとされる”万能の聖女サクロ・ウニヴェルサーレ"たちだ。


 あらゆる分野で才能を開花させる万能の聖女たちの活躍は、世界中で人々の暮らしや心を豊かにした。

 けれど、その中心はと問われれば、なんといっても、タスカーナ地方の都市国家、フロレンティアだ。


 芸術の都として名高い、花咲ける大都市フロレンティア。

 この国の、いや、世界でもっとも繁栄している都市のひとつといえるだろう。

 数多の万能の聖女たちが集い、その成果が街のほうぼうに見られる都である。


 ドーム型の鉄道駅舎を出れば、神々をかたどった鮮やかなブロンズ像が旅人を出迎える。

 そこから中心部の市街地に向かおうとするなら、街の南西部に流れる雄大なフィオーレ川に架かった、世界一優美と謳われるアヴェレオ橋を渡ることになる。


 ゆるやかなアーチを描く石造りの橋の両脇には、きらびやかな宝飾細工の露天商がのきをつらねている。

 それでもなお、大型馬車がすれ違えるほどの幅広い橋だ。

 

 橋を渡りきると、目に飛びこむのは巨大なドーム型の屋根を持った大聖堂の威容だ。

 石畳の道を歩けば、威風堂々とした市庁舎や瀟洒しょうしゃな小宮殿、さらには神々を祀った厳かにして華やかな神殿、騎士隊の営舎さえもが、目を楽しませてくれる。

 いずれも、万能の聖女たちが設計した建築物だ。


 中央広場には、精緻せいちな装飾の噴水や女神たちのブロンズ像が生き生きとして見える。

 毛織物や絹の服飾商。肉屋に金物屋。それに画材屋や楽器店、木材や鉄器の工房などが数多く見えるのは、フロレンティアならではだろう。

 大小様々な商店は買い物客でにぎわい、平日でも活況を見せる。

 

 だが、それはあくまで表通りの話。

 華やかな街並みから押しやられるように、裏通りには粗末な集合住宅がぎゅうぎゅうと並んでいる。

 貧富の差は、他の大都市と同様に――いや、それ以上に歴然と存在する。


 ニーナが屋根裏部屋を間借りして暮らす家屋も、そんな貧民街の一角にあった。

 天井は低く、窓は小さい。


 小さなスケッチならともかく、彫刻や大きなキャンバスを使った絵画なんて、とてもできるスペースはなかった。


 そんな貧乏暮らしもいままでは苦にならなかった。

 絵を描いているかぎりは。

 けど……。


「はぁ……」


 例の落選通知を受け取ってから、はや三日が立ったが、ニーナが立ち直る様子は一向になかった。


「また仕事たくさんして、お金貯めないと……」


 画紙、絵筆えふで顔料がんりょう――絵を描くにも、とにかくお金がかかる。

 体調不良を理由に休んでいた、仕事の遅れも取り戻さなくてはいけない。


「……がんばる、か」


 ようやく、重い足取りで、とぼとぼと職場に向かった。

 肩からは、仕事道具でもある絵筆一式の入ったポーチをぶらさげる。


 まだまだ彼女が持ち前の明るさを取り戻すには時間がかかりそうだが、部屋から出られただけでも、一歩前進といえた。


 ◆◇◆


 職人街の一角。

 狭い扉をくぐると、むせかえるような熱気とけたましい騒音がニーナを迎える。

 ニーナの働く、小さな金属工房だ。


 大きなものなら家屋や船の鉄骨や補強材、小さなものならテーブルやいす、鍋や釜やフライパンなど、おもに庶民の暮らしに根差した品の製作や修繕を担っている。

 親方がひとりに、職人はニーナも含めて三人と、小さな規模の工房だ。


 ただでさえ狭い工房内には、大小様々な工具や作業台、修理を依頼された鉄製品がひしめきあって、足の踏み場もろくにない。


 いつの間にか、この熱気も騒音も、鉄の粉塵ふんじんで薄汚れた工房もすっかりなじんでいた。

 むしろ、いまではその光景にホッとするものすら感じるニーナだった。


 たてつけの悪いドアの開く音に、中で作業していたふたりの職人が、同時に入り口に目を向けた。


「ニーナ!」


 異口同音にふたりは、彼女の名を呼ぶ。


 その視線を受けとめ、ニーナは一瞬たじろいだ。

 けど、す~っと息を吸い込んで、強いて大きな声で告げた。


「たはは~。いやぁ、ダメでした~。参りましたよ~」


 笑顔を作って、後ろ頭をかく。

 無理やり浮かべた作り笑いは、泣き顔にも似ていた。

 

 工房内のふたりはすぐに作業の手を止めて、ニーナに駆け寄った。

 どころか、ひとりは勢い余ってそのままニーナに抱きつく。


「ああ~! ニーナちゃん、やっと顔を見せてくれたわねぇ~!!」

「うおぷっ!? ちょっ、ベルタ先輩、ぐるしいから」

「ん~、よしよし、結果は残念だけど、よくがんばったわねぇ」

「うぐぐぐ……ごほっ。ちょっ、い、息できない……!?」


 ベルタと呼ばれた職人の女性は、ニーナを持ちあげ、キツく抱きしめていた。

 ニーナは手足をジタバタさせるが、抱きしめている側のベルタはビクともせず、腕の中でジタバタもがいているのにも気づかない様子だった。


 ニーナの肩から、仕事道具でも絵筆の入ったポーチがすとんと落ちた。


「ベルタ先輩。バカ力デス。ニーナ先輩、ギブアップ。してるデス。早く放す、しないと。危ないデス」

「あら、やだぁ。いけない。私ったら、つい……。ちょっとニーナちゃん、大丈夫? 陸に揚げられたお魚さんみたいなお顔してるわよぉ?」

「だ、誰のせいだと……。ごほっ、ごほっ」


 もうひとりの職人にくいくいっと袖を引かれ、ベルタははじめてニーナの苦しそうな表情に気づいた。

 床に降ろされ、ニーナはぜいぜいとあえぐ。


 ベルタはこの工房では最年長で、親方の右腕のような存在だった。

 なんと言っても、目を引くのはその大柄な体格だ。


 並の男性よりも背が高く、手足も大きい。

 縦の高さもだが、横の重量感も圧巻だ。

 それでいて、太っているわけでもない。


 むしろ、バランスで言ったら、出るところが出て、引っ込むところの引っ込んだ、グラマラスで女性らしい体型と言えた。


 ちょっと圧倒されそうな大柄な姿だけど、物腰は柔和で、体力と気力勝負の職人仕事の合間でも、笑顔を絶やさない人だった。


 ニーナたち徒弟に厳しい親方と対照的に、おおらかで妹弟子たちにも少し甘い。

 体格や生来の力の強さに似合わない繊細な仕事が得意で、大きな背を丸めて鉄瓶の模様付けなどをこなす姿は、この工房のちょっとした名物だった。


「ニーナ先輩。生きマスか~? 死ぬマス~? 水、飲む、デスか?」

「あ、ありがとピノカちゃん。生きてるよぉ。……ちょっとびっくりしただけだから」


 もう一人の職人――ピノカを心配させないよう、ニーナは笑ってみせた。


 ピノカは二年前に工房に弟子入りした新人で、ニーナにとって、はじめてできた後輩だった。

 大柄なベルタと対照的に、とにかく小さい。


 まだ少女めいたところが多分に残るニーナと比べても、ちんまりとして見える。

 子どものよう、というか人形のようにすら見える姿だ。


 けれど、小さな体格に似合わない豪快な製作が得意で、放っておくと二晩でも三晩でも作業に夢中になってしまう、無尽蔵の体力の持ち主でもあった。


 よその国から移住してから年月も浅く、まだこの国の言葉に少し不慣れだ。

 カタコトの言葉づかいが、ピノカの幼げな見た目をさらに強調するようだった。


「ニーナ先輩、おかえりなさいますデス!」

「うん、ただいま、ピノカちゃん。お休みしててごめんね」

「へいきデス。先輩、すごくがんばってマスた。だから。お休み。いるデス。ぜったいデス」

「うん……」


 明るいピノカに声をかけられ、ニーナも少し元気づけられる思いだった。

 それでも、まだその声は湿り気を帯びている。


 明るく慰めてくれるふたりには感謝しかないけれど、やっぱり落選のショックは大きすぎた。


 簡単には気持ちが切り替わらなかった。


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