第2話 せかいのおわり

 コンテストの落選。


 冗談も誇張も抜きで、それはニーナにとって世界の終わりに等しい感覚だった。

 コンテストのため、寝食も忘れ、ただ一枚の絵画に打ちこんだ日々。

 まるで走馬灯のように、頭の中によみがえってくる。


 何度も何度も素描を描いては捨て、納得のいく色が生まれるまで塗料をたくさんムダにした。

 たった一枚の絵に、魂のすべてをつぎ込んだ。


 下書きまで含めれば、総製作期間は半年にも及ぶ。

 その日々が、溶けて、消えていく。

 絵具が水ににじむかのように、すべてが無に帰す。


 無慈悲な、一枚の手紙によって。


 天使の地上降臨をテーマにしたその絵は、過去最高の出来だという自信があった。 

 大聖堂の名誉あるコンクールの壁がとてつもなく高いものだということは、もちろんニーナもよく知っている。

 それでも、今度こそという自信があった。


「なんで……」


 自分よりもうまく、聖堂にふさわしい絵画を描いた“万能の聖女”がいて、その人が入賞した。

 ただ、それだけのことだ。

 そう頭では分かっているけれど、声に恨みの念が混じるのをこらえきれなかった。


 この街には、貴族の邸宅や聖堂、教会からひっきりなしに注文を受けて、数多くの絵画をこの世に生んでいる万能の聖女たちがいる。

 彼女たちには、富と栄誉が約束され、何よりその作品は万人に称えられる。


 自分もその仲間入りするところを、毎日のように空想していた。

 明け方、リアルな夢となって立ち現れたことも一度や二度じゃない。


 それだというのに、自分の絵はどれだけ情熱を注ぎこんだところで、銀貨一枚の価値も生まない。

 そのことが悔しくて、情けなくって、ひどく理不尽に感じられた。


「みんな……ごめん」


 自分を応援してくれた町の人たち。

 ずっと絵画製作を支えてくれた工房の仲間。


 信頼してくれた親方。

 笑顔でこの町へと送り出してくれた家族。


 関わったすべての人たちの顔が頭に浮かぶと、申し訳ない気持ちがあふれてくる。

 遅れながら、涙がこぼれた。


「うぅ……ぐすっ……うえぇぇ〜ん」


 ひとたび涙が出ると、堰を切ったようにあふれてくる。

 頭の中がぐちゃぐちゃになって、何も考えられない。

 悔しいのか悲しいのか、感情が渦になって自分でも分からなかった。


 落選なら何度も経験している。

 もう慣れっこだと思っていた。

 

 もちろん、落ちこむのは毎度のことだ。

 けど、ここまでひどいのは初めての経験だ。

 心がぽっきり折れた、というのがぴったりの感覚だった。


 とても、気持ちを切り替えて次の作品に――なんてすぐに思える状態じゃなかった。


 ――どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして……。


 答えの出ない問いがぐるぐると頭をめぐる。


 これ以上の傑作はもう生みだせない。

 それくらいの自信があった。

 いままでの自分の作品とは明らかに熱量もデキも違っていた。


 技術も、積み重ねた経験も、想いも、すべてをキャンバスのうえに置いてきたつもりだった。

 これ以上、本気でどうしていいか分からなかった。

 いままでまっすぐに歩いてきていたと思っていた道の先に大きな扉が現れて、ばたん、と音を立てて閉じてしまったみたいだった。


 暗く、狭い室内に少女の泣き声が鳴り響く。

 戸板は薄く、下の階まできっと声が響いていることだろう。

 けど、そんなことを気にする余裕も、いまの彼女にはなかった。


 屋根裏の小さな一室。

 華やかな街並みとは対照的な、昼間もろくに日差しが届かず、埃がすぐにたまる、みすぼらしい部屋だ。


 そんなこと、ニーナはいままで気にしたこともなかった。

 けど、いまはそんな貧乏暮らしも心にこたえた。

 自分を取り巻くすべてがみじめに思える。


 ――なんのために、いままで……。


 がまんしてきたこと。

 気にしないようにと、意識からのけていたこと。

 気負っていたこと。

 そのすべてが重荷になって、まとめて自分の背中にのしかかってくる。


 子ども、どころか赤ん坊に戻ってしまったみたいに、声を限りに泣きじゃくった。

 いくら泣いても、気持ちがスッキリすることなんてなかった。


「うえぇぇん、ああぁぁぁん!!」


 顔はぐちゃぐちゃに濡れ、目は真っ赤に腫れている。額に乱れた髪が貼りついていた。

 ひどい有様を、いまは人に見られることもない。

 世界中でただひとりぼっちになってしまったような、そんな気にすらなってくる。


 郵便配達員のお姉さん、マリカがいてくれたかすかなぬくもりも、遠いできごとのようだった。

 世界が暗闇に閉ざされていく。


 生まれてから今日まで。

 こんなに無力感に襲われた日は、いままでになかった。

 

 もう、明日も何も見えなかった。

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