第48話 三巨匠

 現教皇の行幸だというのに、異様なほどに供の人間は少なかった。

 お忍びの視察ということで、目立たないように少人数での護衛がかえって安全だ、という話だった。

 観光客にまぎれて、こっそりと護衛している者たちもいるらしい。


 出迎える同行者も、教皇がいると周囲に知られないよう接するように、ということだった。

 教皇の相手をつとめるのは、ニーナの伯父のファルコ、それに姉のエリザの二人だ。

 何か芸術品に関する質問が出たときに答えられるように、とニーナもいっしょにいることになった。


 いつもニーナとともにいるガラテイアは、今回同行しなかった。

 きっと彼女なら、相手が教皇でもそつなく応対できることだろう。


 けど、芸術にも造詣が深いウィレシウス教皇が、彼女が彫刻の乙女であることに勘づいたら大変だ、というのがエリザたちの見解だった。

 芸術祭のあいだは、彼女も町娘の格好をしてなるべく目立たないようにしていたが、それでも万一ということがある。


「ほっほう。わしはワインは飲まんが、鉄の球を転がして製造過程を表現するこの装置は実に面白いな。つい、何度もやりたくなる」

「お、恐れ入ります」


 さすがのエリザも、緊張に顔をこわばらせていた。


「ふむ。この黒い小さな彫像は、ずいぶん不思議な光沢をしているな。材質は何かな?」

「おい、ニーナ。解説」


 教皇の問いかけに、ファルコがニーナに耳打ちする。

 諸外国を渡り歩き上流貴族とも交流あるファルコにとっても、さすがにこれほど胃の痛くなる接待ははじめてのことだった。


 すでに老齢の域に達しているはずだが、ウィレシウス教皇は芸術祭の観覧に、まるで子どものようにはしゃいでいた。

 脚も達者なようで、同行者たちを振り回して町のあちこちを自由に巡り歩く。


 いま教皇が目にしたのは黒い光沢が日に照った、小さな乙女の彫像だった。

 郊外の道端に立っていて、周囲の緑との対比が目に鮮やかだった。


 叔父に耳打ちされ、ニーナは笑顔で応える。


「あっ。あれは魔石炭です」

「なんと! 列車の動力の魔石炭か?」

「はい、その魔石炭です。彫ろうとするとけっこうポロポロ崩れちゃうから加工が大変で……」

「そうだろうそうだろう。しかし、さすがは黒いダイヤと呼ばれるだけはある。見事な美しさだ」

「はい。とってもきれいですよね!」


 意外と、ニーナはエリザたちに比べると自然体に近かった。

 芸術祭でテンションが上がっていることもあったが、ウィレシウス教皇が芸術に理解が深いのも幸いだった。


 ニーナにとって、子どものように無邪気に作品を見て回る教皇陛下を案内するのは、意外と楽しいことだった。

 それに何より……。


「ほう、これは見事な模型だな。宮廷にも作って欲しいものだ。なぁ、ミカよ」

「そういう細々とした仕事はラファエラ向きでしょ」


 教皇と同行する三人の女性の存在が、ニーナの心をたかぶらせていた。

 彼女にとっては、教皇陛下以上に雲の上と思っていた存在だった。


 最初、彼女たちが教皇と共に現れたときは、ニーナは本気でその光景が信じられず、何度もごしごし我が目をこすっていた。

 そのうちの一人、長身の女性が進み出て、ニーナたちに向かって優雅に一礼して見せた。


「やあやあ皆さま、お初にお目にかかります。レオノーラ・ダ・ヴィンチと申します」


 まるで歌舞劇の俳優が歌うような朗々とした声で名乗る。


「ほら、ミカ。君も皆さんにご挨拶を」

「……ミカ・アンジェラよ。名前くらい田舎者のあんたたちだって聞いたことくらいあるでしょ」


 一方、赤い髪を左右に結えた色白の少女は、レオノーラとは対照的に腕を組み、むっつりと口を曲げていた。

 一見、ニーナよりも年下の少女のように見えるが、彼女が大巨匠と呼ばれるべき存在であることをニーナは知っていた。


「やあ、ニーナさん。ボクのこと覚えていますか? ラファエラです」

「……も、もちろんです」


 ニーナはそう返答するのがやっとだった。

 どこか中性的な面持ちの、短い髪の女性。

 線が細く物静かな印象だけど、その奥にしたたかな熱もひそんで見える。

 ラファエラはそんな人だった。


 ちょうどニーナがフロレンティアを去った年にコンテスト受賞を果たし万能の聖女の仲間入りを果たした。

 その後のめざましい活躍は、タスカーナにいてさえニーナの耳に届くほどだった。


 レオノーラ・ダ・ヴィンチ。

 ミカ・アンジェラ。

 ラファエラ。


 万能の聖女を代表する、聖女の中の聖女と呼ぶべきものたちだった。

 

「教皇のお守り……じゃなくて、案内はボクたちに任せて。君たちは何か質問された時に答えてくれればいいから」


 なんとはなく、ラファエラの言葉には黒い一面が匂っていた。


「ふ〜ん。やっぱりあんたがニーナっていう子なのね。おとなしそうに見えて、こういうぶっ飛んだことしそうな目してるわ」

「み、ミカ・アンジェラさん……」


 すぐ目の前に万能の聖女ミカ・アンジェラがいる。

 その事実をニーナの脳は、すぐに認識できなかった。


 ずっと彼女の絵に憧れ、万能の聖女を目指していた。

 自分の原点とも言えるような存在だ。

 いまはタスカーナで違う道を選んだとはいえ、憧れの存在であることに変わりはない。


「わ、わたし、その、ずっと……」


 顔を真っ赤にして、ニーナはなんとか言葉を伝えようとする。

 けど、ミカ・アンジェラはそんなニーナの頭を思いっきりはたいた。


「あだっ!?」


 痛みよりも、突然頭を叩かれたことに混乱するニーナ。

 そんな彼女の驚きにまったくお構いなしに、ミカ・アンジェラは轟然と言う。


「あんたね、こんなオモシロイことやってるのになんであたしを呼ばないのよ!?」

「えっ、えっ?」

「あたしならそうね。あの丘の辺りに、騎馬戦車の像を造るわ。戦車より馬の造詣がメインの像よ。この辺、フロレンティアより景色だけは広いから思いきったものがたくさん創れるわ。あぁ、あの丸屋根もいいわね。あの天井に宇宙図を描くのも絶対に映えるわよ。それに……」


 目を白黒させるニーナをよそに、ミカ・アンジェラはぶつぶつと構想を語り続けた。

 誰かに聞かせるため、と言うより自分の頭の中に収めきれず、あふれ出して止まらないという感じだった。


 少し離れたところで、ラファエラがスッと肩をすくめ意味ありげな目線をニーナに送っていた。

 “こうなったら止まらないから放っておけ“とその目は固まっていた。


「そうとも。ああ、タスカーナ芸術祭よ。この天才の腕を振るうのに、これほどふさわしい場所もいま他にない。なのに、なぜここに我が作品が存在しない!?」


 レオノーラも、芝居がかった悲劇的な調子でそんなことを言いつのる。

 ニーナには、彼女たちが冗談を言っているのかどうか、判断がつかなかった。


 ミカ・アンジェラはレオノーラの言葉を聞きつけ、作品構想を語るのをぴたりとやめ、じとっとレオノーラを横目で睨む。


「あんたに作品を任せたら開催が二年も三年も遅れかねないわよ」

「はっは、何をバカな」


 レオノーラは世紀を代表する万能の聖女であることは誰も異論の余地がないくらい明らかだが、作品製作が非常に遅いことでも有名だった。

 ひとつの作品を完成させる前に飽きがきたかのように、別の作品に取り掛かってしまうことも少なくない。

 それでも、出来上がる作品が他の誰にも真似することのできない天才的なものであるゆえ、許されている感があった。


「この私が魂を込めて創る芸術作品が二年、三年程度で完成するわけないだろう?

「威張るな! とっととフロレンティアに帰って、未完成品を仕上げなさいよ、あんたは!」

「お断りだね。この町に吹く風をもっと感じるべきだと、芸能の精霊たちがささやいているのが君には聞こえないのかい、ミカ?」

「そんなもの聞こえはじめたら、医者に相談するわ」


 万能の聖女の代表格であるミカ・アンジェラとレオノーラ・ダ・ヴィンチは犬猿の仲だ、というのはフロレンティアでゴシップ的にささやかれる噂だった。

 二人のやりとりを見ていると、それも本当のことだったのかもしれない、とニーナはひそかに思う。


「だいたい、これってウィレシウスに砲兵工場設置を止めさせるためにはじめたことなのよね、ニーナ?」

「は、はい……!」


 教皇の名を呼び捨てにするミカにギョッとしながらも、ニーナは反射的に返事をしていた。

 さいわい、教皇陛下は作品鑑賞に夢中になりながらエリザたちと何か話しており、ミカの声を聞きつけた様子はなかった。


「なのに、砲兵工場設置発案者のレオノーラ。あんたが呼ばれるわけないでしょ」

「は、発案……? えっ、ええ〜!」


 ニーナはあまりの驚きに、遠慮も忘れてレオノーラの顔を見つめてしまう。

 言わば全ての元凶とも言うべき存在なのに、レオノーラは鷹揚にうなずいていた。


「ああ。私のデザインした砲兵工場は完璧なものだった。ただ一点、立地という観点を除いてね」

「え、えっ……?」

「残念ながらこの風景に私の工場はあまりなじまないようだ。別の候補地を提言しよう。教皇陛下の胸のうちもきっと同じことだろう」

「はいぃ?」


 あまりにもあっさりと言われて、ニーナの頭は理解が追いつかない。

 ミカが「ほんとに気まぐれなんだから」と呆れてつぶやいているのも、なんだか夢の中の出来事みたいに見えた。


「おめでとう、ニーナ。もともと教皇の意向をひるがえすためにやったことなんだよね」

「は、はぁ。あ、ありがとうございます……」


 ラファエラが拍手しながら近づいてきても、つい間の抜けた声を返してしまう。

 こんなにあっさり工場設置が撤回されるなんて、いままでの苦労はなんだったんだろう、とどうしても思ってしまう。


きっと芸術祭があったから、「風景になじまない」とレオノーラが感じたのだろう、と自分に言い聞かせるしかなかった。

ガラテイアならきっとそう言ってくれるはずだ、と思うと早く彼女の元に帰りたかった。


 そんなニーナの内心を知ってか知らずか、ラファエラはにこやかに笑っている。

 けど、不意に声をひそめた。


「それにしても、見事だね、ニーナ嬢」

「え、えっと、何がでしょう」

「世論を巻き込んで教皇の意向をくつがえすなんて……。ボクは政界を動かすには万能の聖女になって内側から彼らに近づくべきだと思っていたけど。こんなふうに外から意を通すやり方を実現してしまうとは。君がフロレンティアを去ったときは、こんな策謀を巡らせているだなんて、考えもしなかったよ。ボクも見習わないと」

「いえいえいえ。すっごく誤解です。ただもう必死で……」


 ラファエラはニーナの否定に取り合わず、うっすらと笑っている。

 はっきり言って、その笑顔はちょっと怖かった。


 実際に万能の聖女のトップに立つ三人の姿を目にして。

 ニーナは、絶対に彼女たちのようにはなれない、と強く思う。


 あの時、コンテストに落選して良かったのかもしれない。


 はじめて、心の底からそう思っていた。


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