第47話 芸術祭開催!

 タスカーナの芸術祭は、フロレンティアの催しとはまったく雰囲気が違うものだ。

 開催期間は六十日。

 そのあいだに、人々は自由にこの町を訪れ、祭りを楽しめる。


 開催のあいさつも、仰々しい式典もない。

 ただ開催日前日に、町のみなが集まってお酒を飲み、語り合い、ささやかな前日祭を開いただけだ。

 この素朴さが、町の雰囲気そのものだった。


 けど、開催から一週間も経つと、ニーナたちが想像していた以上の人々が町を訪れはじめた。

 タスカーナの住民にとって、これほど多くの人間が町にいるのを見るのは初めてのことだった。

 年に一度、伝統的に開催している祭のときよりも、はるかに大きな人だかりができていた。


 フロレンティアじゅうの人間、いや、それ以外の地域や国々からも人が訪れている様子だった。

 

 一日経つごとに、前日を遥かに上回る人々がやってくる。

 実際に芸術祭を訪れた人たちの口コミで、飛躍的に噂が広まっている感じだった。


 来場者数を記録していなかったので正確には分からないけれど、三十日が過ぎるころにはタスカーナの全人口を上回るほどの客数に届いていそうだ。


 列車が駅に停車するたび、客車一杯の客が吐きだされる。

 古くからの移動手段である乗り継ぎ馬車を使ってやってくる者たちも少なくなかった。


 芸術祭当日を迎えてしまえば、ニーナは重責から解放された。

 準備までの大変さの反動が一気にあふれたように、はしゃぎ回っていた。


「見てみて、ガラテイア! 親方の創った天宮図鉄球。夕日を浴びるとこんな不思議な色になるんだ! イオ、あれなんだか分かる? ピノカといっしょに創った中身がない額縁。あの正面に立つとね、ブドウ畑の風景そのものが芸術作品に見えるんだよ!」

「ふふふっ、ニーナ。楽しいのはよく分かりますけど、観光のお客様が最優先ですわよ」

「ニーナ姉ちゃん! そろそろ戻らないと、お絵描き体験会、夜の部に間に合わないよ」

「えっ? もうそんな時間!?」


 まがりなりにも製作総指揮として、ほとんどすべての作品の製作にニーナはたずさわっていた。


 自分自身が主体となって手がけたものだって少なくない。

 けど、町の風景と溶け合った作品の数々は、訪れるたびに新鮮な印象を与えてくれる。


 まるで自分自身が観光客になったように、芸術祭のあいだ、ニーナは飽きず町を巡っていた。

 ほとんどの場合はガラテイア、手の空いたときはイオ、その二人とも忙しいときは町の誰かがいっしょだった。


 どこか気だるく、見飽きた故郷の風景。

 そう思っていたはずの場所が、初めて訪れた場所のように新鮮に目に映る。

 芸術作品というものが、新しい価値を生むだけでなく、いまここにあるものの存在にも気づかせてくれるということを、ニーナは肌で体感していた。


 芸術祭のあいだ、ニーナはおもに子どもたち相手に、簡単な絵の描き方を教えるワークショップを開いていた。

 また、アトリエを芸術祭の本部にして作品のガイドや、何かトラブルがあった時の対応も担っていた。


 けど、自分がこの祭の主催者であることは、誰にも明かしたがらなかった。

 そんなえらい立場の人間だ、という自覚も最後までなかった。

 訪れた人たちは、ボランティアの女の子くらいに思っていたかもしれない。


 ニーナの想いとしては、町を訪れた人たちには自由に芸術祭を回ってもらい、ひとりひとりの視点で作品を見てもらいたかった。

 そこに正解も間違いもない。


 駅を降りた人たちはまず、タスカーナの過去・現在・未来の姿が織り交ぜになった模型に目を奪われる。

 そして、芸術作品のスポットと飲食店や宿泊施設の記された町の地図を受け取り、あとは自由に見て回れる仕組みだった。

 あえて、地図には記さなかった隠れ作品もあり、ニーナ自身ですら、それを見つけるのをひそかに楽しみにしていた。


 フロレンティアの格式ある芸術とは、まったくおもむきが異なる。

 どの作品も、基本的には無料で鑑賞できる。


 飲食店や宿に使ってもらうお金が、主な町の収益だった。

 開期のあいだに大きな利益を上げるよりも、フロレンティアの町の人々にタスカーナという町を知ってもらうことが主目的だ。

 その意味では、多くの観光客が町を訪れた時点で、芸術祭の目的は達成されたと言える。


 ある場所では、空き家を改装して、タスカーナの伝統的な古代様式の家屋を再現した。

 もちろん、客は出入り自由で、中にはニーナの描いた絵や、手作りの調度品が飾られている。


 またある場所には、ブドウからワインが作られる過程を、鉄工芸品を用いて抽象的に描いた作品もある。

 そのかたわらに、オルネライア家をはじめタスカーナ産のワインの販売所が設けられているのはいうまでもない。


 またある街角の塀には、酒の女神ディオニシア、芸術の女神パルセナなどの女神たちが猫と戯れている彫像が創られた。

 天気のいい日などは、本物の猫たちもいっしょにくつろぎ、女神像の上で日向ぼっこをしていたりした。


 集会場では、タスカーナの伝統武芸をベースにした演武が披露され、ここではイオが大人気だった。

 忙しい合間を縫って、ニーナの姉エリザも師範代として参加することもあった。


 古代の雰囲気を残しながら現代人にも着やすい衣服の着付けやレンタルサービスもあり、訪れた観光客の中に普段のガラテイアみたいな格好で歩くものたちも増えた。

 まるで古代人と現代人がいっしょになって祭りを楽しんでいるような光景だ。

 この衣服のデザインをしたのもニーナだ。


 猪やカエル、ウサギやキジといった、タスカーナ郊外でよく見かける動物たちを模した模型が立ち並ぶ広場もある。

 これは芸術品であるとともに、子どもたちが遊べる遊具でもあった。

 おもに親子連れの客たちに好評だった。


 熱狂的でありながら、どこか素朴さも失わない。

 そんな祭りだった。


 タスカーナの人々は活況に浮かされながらも、次第にそれを日常生活と同化させていた。

 農家の者たちは町の熱気を尻目に、日々の営みを変わらずに続けていた。

 特別なもてなしなどなくても、訪れた者たちはそれぞれのやり方で祭りを楽しんでいた。


 そして、芸術祭の開催期間も残すところ十日となったとき。


 とうとうウィレシウス教皇の視察が現実のものとなった。

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