第46話 芸術祭のチラシ

 ニーナの作ったチラシを目にして、郵便配達員のマリカは感嘆の声をあげた。


「これ、すごく、すごいです! とってもニーナさんらしい絵です!」

「えへへ、そうかな」


 うんうんと何度もうなずきを返し、さらに言いつのる。


「これならきっと、フロレンティアの人たちも芸術祭に参加したいって思うに違いありません!」

「それならありがたいんだけど……」

「芸術のことなんて何も分からない私が言うんだから、間違いないです!」


 ずっと、興奮した調子で勢いづいている。

 かたわらでそのやり取りを見ているガラテイアも同感だった。

 ただ、その興奮に当てられて、ニーナが張り切り過ぎてまた倒れないかだけが心配だった。


「じゃあ私、フロレンティアでこのチラシたくさん配りますね」

「すっごく助かります。えっと、どれくらいの量を用意すれば……」

「あればあるだけです!」


 マリカはきっぱりと返す。

 けど、魔光印刷機を使えば、紙がある限りチラシはいくらでも刷れてしまう。

 言葉通りに受け取って、認識のスケールが違っていたら、あとで大変なことになりそうだった。


「えっと……100枚くらい?」

「そんなんじゃ全然足らないです! 千、二千くらいは少なくともほしいです」

「えっ、そんなに……!」


 マリカは「ニーナさんの絵のファン一号ですから、これくらい当然です!」と無料でチラシの配布を申し出てくれていた。

 それはとてもありがたいのだけど、さすがにそれだけの量となると申し訳なくなってくる。


「だって、人口十万人って言われてるフロレンティアじゅうの人たちに知ってもらうんですよ? ニーナさんたちが無理じゃなかったら、たくさんたくさん配らないと」

「こっちは無理じゃないけど、マリカさんが大変過ぎませんか?」

「ぜんぜんです! 配達のついでに配るだけですもん。他の郵便配達員の同僚たちにも協力してもらいますし」


 マリカはガッツポーズを作って、頼もしく笑う。

 たしかに、無理しているようには見えなかった。


「ニーナ。せっかくマリカさんがこう申し出てくださっているんですもの。ありがたくお任せしましょう。気が引けるようでしたら、エリザさんに相談して謝礼をご用意いたしましょう」


 ガラテイアがやんわりと口を挟んだ。

 背を押され、ニーナもようやくうなずきを返す。


「報酬ならもう頂いてますよ!」


 マリカの言葉に、ガラテイアはニーナに確かめるように顔を見た。

 ニーナはふるふると首を横に振った。

 彼女は無償で引き受けてくれているはずだった。


「忘れちゃったんですか? ニーナさんにもらった、たくさんのフロレンティアの絵です。あれのお陰で私、毎日お仕事がんばれているんですよ!」

「あっ」


 ニーナは、フロレンティアのスケッチをマリカに絶賛してもらったときのことを思い出していた。

 思えば、あのときからマリカは直感的にニーナの才能に気づいていたと言える。

 こうしてデザインの仕事ができるのも、彼女に自信をもらったことが一つのきっかけでもある。


 ニーナにとって、恩人のひとりだった。

 ほんとにお礼を言いたいのは自分のほうだ、とニーナは思う。


「とりあえず、手に持てるだけの量は持って帰りますから、あとはじゃんじゃん送ってください。鉄道便なら二日以内に届くはずですから」

「……ほんとに、ありがとうございます」


 それ以上、ニーナはなんと言っていいか分からなかった。

 ただ、マリカの手を握りしめ、深く頭を下げる。


「じゃあ、せめてフロレンティアに帰っちゃう前にごちそうさせてもらえませんか? カルメーロさんっていう方のお店なんですけど、タスカーナ牛やうちのワインが楽しめるとこで……。味はフロレンティアの料理屋さんにも負けてないと思います!」

「わあ、いいですね! ニーナさんの話も聞きたいですし、そういうことならぜひ!」


 マリカが快諾してくれて、ようやくニーナも屈託なく笑顔を浮かべられた。

 ちらり、と確かめるようにガラテイアの顔を見る。


「それなら仕事するうちに入らないよね?」


 今日は、お仕事禁止とキツく言われてたことを思い出したのだ。

 ガラテイアは苦笑しながらうなずいた。

 いつの間にか、すっかりニーナの保護者のようになっていた。


「そうですわね。よければわたくしもご一緒しても?」

「もちろん!」「もちろんです!」


 ニーナとマリカは、同時に笑顔でうなずいた。

 ガラテイアはふふっと上品な笑い声を立てる。


「わたくしも郵便配達のマリカさんから、フロレンティアのお話が聞けるのが楽しみですわ」

「はい。観光案内には載ってない、隠れ家スポットとか教えちゃいますね」

「まあ、嬉しい。カルメーロさんのお店の看板ですけど、ニーナが作ったのですよ。入る前にぜひ注目してくださいませ」

「そうなんですね! そんな名店の看板まで作っちゃうなんて、ニーナさんはやっぱりすごいです!」

「ちょっと、ガラテイア! 恥ずかしいから……」


 三人はわいわいと言い合いながら、アトリエを出て店へと向かった。

 改めて、多くの人に支えられ、つながりあっていまの自分があることを強く実感するニーナだった。


 マリカの協力もあり、タスカーナの芸術祭はフロレンティアでも話題の的となった。

 ニーナたちはますます多忙の日々を送る。

 そしてとうとう、芸術祭の初日が訪れた。

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