第45話 町の声

 ――昔、鉄道駅ができる前に、この辺りには小さなワインバルがあってね。その店で旦那と出会ったのよ。


 ――嵐で倒れちまったんだが、広場にそれは大きなモミの樹があってね。木漏れ日が気持ちよかったなぁ。ニーナちゃんはちっちゃい頃だから、覚えてないだろうけどね。


 ――思い出の場所かぁ。すごく個人的な話なんだけど、川沿いのお弁当屋さんかな。材木屋の仕事がいまより忙しかったとき、その弁当だけが毎日の楽しみでさ。ほんとに毎日通ってたから、鮎の揚げ物とかよくおまけしてもらってさ。……そんな話してたら久しぶりに食べたくなってきたな、お弁当。


 ――西のブドウ畑のあいだにな、小さなお社があるんだ。たぶんあれは古代の代物だろうな。ディオニシアの神殿? ちがうちがう、もっとこじんまりとしたヤツさ。なんの女神様を祀ったものかも分からんが、なんとなく毎日拝んでる。まあ、ただの習慣なんだが、なんとなく気が引き締まる感じがするんだよな。


 ――知ってる? おばあちゃんのうちの近くの行き止まり、猫ちゃんの集会所があるんだよ。塀のうえにすっごくたくさんの猫がにゃーにゃーにゃーにゃーってすごいの。あとね、この前町の中をタヌキさんが走ってたんだよ。たたたたたって。追いかけたんだけどどっか行っちゃったの。


 ――うちの裏手に空き家があるんだけどさ。そこに、時計屋を開くのが夢なんだ。そのためにフロレンティアにも勉強にいったよ。ああいうオシャレなお店、タスカーナにも、もっとたくさんあってもいいと思うんだよな。


 ニーナは、町の人たちの声を、想いを聞き、それを模型にしていく。

 タスカーナの過去と、現在、未来。


 それがモザイク模様となって、町の姿を彩っていく。

 少しずつ規模を増し、細部がにぎやかに埋まっていく模型作りのことは、この小さな町で大評判になった。


 ほとんど町中の人たちが、自分の思い出の場所や未来の展望、隠れスポットなどを打ち明けにニーナの元に集まる。

 ガラテイアやイオが手伝っても長蛇の列は減らず、手先が器用な者たちもいっしょになって模型作りに参加した。

 それがまた、自分たちも芸術作品の作成に参加できる、と評判になった。


 そして、町の路地や空き地、郊外の大地にも、人々の理想を詰め込んだ数々のオブジェが建てられていく。

 こちらの指揮をおもに担っているのは、ナタリア、ベルタ、ピノカ、フロレンティアの工房の者たちだ。


 ここでも、ニーナのスケッチが大きな役割を果たした。

 ガラテイアとともにタスカーナじゅうの街並みを描いたニーナの絵は、現実のタスカーナ以上にその特徴、印象をとらえたものだ。

 その姿は芸術家、職人たちのインスピレーションを刺激した。


 制作に当たって、ニーナが何よりも重視したのは、タスカーナの街並みと芸術作品の光景が調和することだ。

 町並みを乱すことなく、それでいてどこか非日常感も刺激する。そんな作品を次々と創りあげていく。


 それは、フロレンティアの芸術品とはまったく異なる考え方だった。

 作品の多くはただ目で見て楽しむだけでなく、手で触れられたり、中に入って遊んだりと、鑑賞者も参加者となって楽しめるようなものだった。


 町全体が、まるでニーナの夢見る、巨大なおもちゃ箱のように様変わりしていく。


 ◇◆◇


「あふぅぅ」

「ニーナ。じっとしていてくださいまし。じたばたと動かれては、力が入れづらいですわ」


 アトリエの中。

 ニーナはソファにうつぶせで横になり、ガラテイアがまたがってその体を揉んでいた。

 肩、背中、腰に脚、とガラテイアの指がニーナの全身を滑る。


「彫刻の乙女であるわたくしが言うのもなんですけど、まるで全身石のようですわ。こんなになるまで気づかなかったなんて……わたくしもうかつでしたわ」

「うぅ、でも……。親方たちだけじゃ、判断できないこと出てくるかもしれないし……。模型だってまだ全部の要望聞いてな……いつっ」


 ぶつぶつ言うニーナの肩甲骨の辺りを、ガラテイアは親指でぐりっと押した。


「ニーナ? 今日は一日、何もしない約束でしたわね?」

「いつつつつつ。分かった、分かったから! それ痛い、やめて!?」


 ガラテイアは小さくため息をつき、ニーナの背中を抑えていた指をはなした。


「皆さんを信じましょう、ニーナ。いまのあなたの仕事は、大事なその体を休めることですわ」

「うん、ごめん……」


 ニーナは素直に謝り、ガラテイアのマッサージに身を委ねた。

 つい先ほど、ニーナは製作の指揮の途中、気を失ったばかりだった。

 寝不足と過労が原因だ。


 意識を失ったのは、ほんの一瞬だった。

 けど、大事を取って丸一日休みを取るべきだ、ということでニーナ本人以外全員の意見が一致した。


 ニーナひとりは大げさ過ぎると思っていたけど、町の者たちに送り出され、ガラテイアに引きずられるようにして、半ば強引にアトリエに戻ってきたのだった。

 ひとたび休んでみると、意識していなかった疲労がどっと押し寄せてくる。


「あ~、気持ちいい。……このまま寝ちゃいそう」

「ええ、どうか寝てくださいまし。毛布を持ってきますわ」


 とろんとまどろむニーナの目を、ガラテイアが優しい手つきで閉じさせる。

 そのまま、愛おしそうにニーナの髪をさらさらとなでる。


「あの、ごめんくださ~い」


 ニーナがうとうとしはじめたとき、玄関のほうから誰かの声がした。


「あら、どなたでしょう。今日はもう誰も来ないよう伝えているはずですのに……」

「……うん?」

「ニーナはそのまま寝ていてくださいな」

「……うん」


 なかば夢うつつのニーナからそっと離れ、ガラテイアが応対に向かう。

 ニーナの耳に、ガラテイアと訪問者の声が、とぎれとぎれに聞こえてくる。


「……はじめましてですわ。失礼ですが、はじめてお見かけするお方ですわね」

「あ、はい。私、フロレンティアから来たんですけど……」

「まあ、それはわざわざありがとうございますわ。芸術家さんか、職人さんでいらっしゃるのでしょうか?」

「あ、いえ。そういうわけじゃないんですけど……」


 それは、ニーナがどこかで聞いたことのある声だった。

 たぶん、フロレンティアに暮らしていたとき耳にした、懐かしい声だ。


 ――えっと、誰だっけ?


「大変申し訳ないのですが、本日はニーナが一日お休みでして……」

「あ~、そうだったんですね。こっちこそ休みの日にごめんなさい。……でも、そしたら泊まるとことかどうしよ」

「もしよろしければ町の宿までご案内しますわ」

「あっ、ご親切にありがとうございます。私、タスカーナの町のことは全然知らなくて……」


 ガラテイアたちが表へと出ていく気配がした。


「待って!」


 ニーナは慌てて跳ね起き、玄関まで向かった。

 その声に、ガラテイアと訪問者が振り向く。


 相手の顔を見て、ニーナはそれが誰だか、すぐに思い出した。


「ニーナちゃん!」

「マリカさん! わざわざ町まで来てくれたんですね!」


 相手に駈けより、ふたりは抱き合う。

 アトリエの訪問者。


 それは、フロレンティアでニーナが出会った郵便配達員の女性、マリカだった。

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