第25話 ニーナの絵

 ニーナがガラテイアとともに神殿から戻ってから一日が経った。

 メイドのロザンナも屋敷へと戻り、多少の驚きを見せながらも、やはりガラテイアを客人として丁重に扱った。


 さいわい、ふだん使われていない客室もあり、今後ガラテイアはそこで寝泊まりすることと決まった。


 翌朝。

 ニーナの自室で、ガラテイアは朝いちばんから、彼女の描いた絵を見ていた。

 ニーナは普段着に戻っているけど、ガラテイアは「このほうが落ち着くから」と、昨日と同じ古代の装束のままだった。


 実際、衣服まで含めて、彼女の姿はひとつの芸術作品そのものだ。

 彫刻の乙女であるガラテイアは汗をかくこともなく、体臭が服にしみつくということもない。

 フロレンティアの屋根裏部屋で、洗濯ものに四苦八苦していたニーナにとっては、うらやましい限りだった。


 とはいえ、ずっと同じ服のままではかわいそうだ、とニーナは思う。

 この町のどこかに取り扱う店があるなら、ガラテイアに似合う古代仕様の衣服をもっと手に入れてあげたかった。


 ともあれ、いまは服装のことなどまったく気にもとめず、ガラテイアは一心不乱に絵を見ていた。


「…………」


 過去にコンテストに応募した落選作品から、ほとんど落書きに近いスケッチまですべてを見せるよう、ニーナに求めていた。

 フロレンティアに上京するより以前、大昔の絵を見せるのは恥ずかしくはあったけど、思わぬ強い口調でせまられ、ニーナはそれを拒めなかった。


 フロレンティアで描いた三年間の絵はもちろん、それ以前の、ほとんど幼少期の頃までガラテイアは見たがり、すべてかき集めたら膨大な量になった。

 時が経つのを忘れたように、ガラテイアは山と積まれたスケッチブックから、一枚一枚、丹念に絵を見ていた。


 エリザに言われ、ニーナは蔵の仕事を休み、ガラテイアとともにいた。

 しばらくは、ニーナのことはガラテイアの判断に任せる、とエリザはロザンナにも告げていた。

 少しずつワイナリーの仕事も覚え、やりがいを感じていただけに、そのことをどう受け止めていいのか、ニーナはまだ気持ちの整理がつかずにいた。

 けど、姉のエリザが自分のためにガラテイアに頭を下げて頼んでくれたのを、むげにはできなかった。


 真剣なガラテイアの様子に、ニーナもじりじりと焦がれながら、その姿をじっと見守っていた。

 目の前で自分の絵を見られるというのは、とてつもないプレッシャーだったけれど、さりとて席を外しても落ち着かない。

 内心のそわそわを抑えつけながら、じっと待つ。


 ガラテイアが何も言わない以上、ニーナも口を挟めなかった。

 時おり「これはいつ頃、どこで描かれたものですか?」などときかれ、それにこたえるくらいだった。


 日も動き、いつもであればとうに昼食の時間を迎えるころ、ようやくガラテイアはニーナの絵をすべて見終え、顔をあげた。


 ほぅ、と腹の底から大きな息をつく。

 ニーナも一緒に、張りつめていた息を吐いた。


「ニーナ」

「は、はい……!」


 真剣なまなざしで自分を見つめるガラテイアに、ニーナの顔もこわばる。

 返事もかたい声になった。


「彫刻の乙女であるわたくしガラテイアが、マエストロ・ピュグマリオン様に代わって断言いたしますわ」

「…………ッ」


 ニーナの心臓がばくばくと、早鐘のように鳴る。

 気を張っていないと、卒倒してしまいそうだった。


 こんなにも緊張するのは、コンテストの通知を受け取ったとき以来だ。

 まるで断罪の審判をくだす裁判官を見るような目で、ニーナはガラテイアの次の言葉を待った。


 再び口を開く前に、ガラテイアはふわりと笑った。


「ニーナ。貴女は絵を描き続けるべきですわ。絶対に」

「はうぅ……」


 それを聞いたニーナはどっと脱力した。

 もう限界だった。

 安堵のあまり、へなへなと腰から砕け落ちる。


「ニーナ……」


 そんなニーナの背を優しく支え、ガラテイアは彼女を抱きとめる。


「ご、ごめんなさい。わ、わたし、ガラテイアさんにそんなふうに言ってもらえると思わなくて……。嬉しくって、つい……。うっ……うぅぅ、ありがとうございます、ガラテイアさ~ん。ぐすっ」

「ああ。どうか泣かないでくださいまし。ニーナ、わたくしはまだ何もしていませんわ」


 ガラテイアは泣きじゃくりはじめたニーナの背を、そっとさすり続けた。

 そのまま、耳元にささやきかける。


「お礼を申し上げたいのはわたくしのほうですわ。素晴らしい絵をたくさん見せていただき、胸がいっぱいですわ。目覚めてすぐに、こんなにも心躍る思いができるなんて、わたくしは幸せですわ」


 その言葉に、ニーナは、ますます声をあげて泣いてしまう。


「正直、驚きましたわ。わたくしが眠っているあいだに、絵画の世界はこんなにも多彩な進歩を遂げていたのですわね」


 その言葉に、ニーナはほんの少し冷静さを取り戻した。

 ガラテイアの賞賛は、心から嬉しかった。


 彫刻の姿だった彼女を見れば、遠いご先祖であるピュグマリオンがどれほど優れた芸術家であるか、想像もできる。

 そのピュグマリオンの作であり、マエストロと呼んで共にいたガラテイアの審美眼はたしかなものだろう。


 けれど同時に、彼女が目覚める前に生きていたのは、千年も昔の古代なのだ。

 その間に、ニーナのみならず、絵画の技術自体が進化していただけのことかもしれない。

 

 だとすれば、ガラテイアの賞賛を受けられたのは、ニーナが特別優れた絵描きだからだということにはならない。

 ニーナはまだ鼻をすすりながらも、声を絞り出す。


「あの、ガラテイアさん。そんなふうに言ってもらえるのはほんとにほんとに嬉しいんですけど……。でもわたし、コンテストでは落選続きだったんです……。現代の万能の聖女の作品を見たら、わたしのものなんて、それに比べたらいまいち、って思っちゃうかもしれない、です……」


 おずおずと言うニーナの言葉に、ガラテイアは肯定とも否定ともつかない、曖昧な感じで首を動かした。


「ニーナの絵がいまいち、だなんて絶対にありえないとは思いますけど……。たしかに、わたくしの感性が古臭い可能性は否定しきれないですわね。――よろしければ、万能の聖女さん? でしたっけ。他の方々の絵もあれば、見せていただけますかしら?」

「はい。わたしが見せられるものでしたら、ぜひ」


 ニーナの足腰に力が戻っていた。

 再び、荷をあさる。


 親方ナタリアのツテで手に入れた名画の下絵や、ニーナにも手に入る比較的安価な万能の聖女の作品の模写画集がある。

 フロレンティアでは、ずっと参考にして、何十枚も自分も書き写した作品ばかりだ。


「ふむ……。なるほどなるほど」


 ガラテイアはニーナのときと比べると、ずいぶんとあっさりとそれらの絵を見ていく。


「これなどは、なかなか……。けれど、う~ん」


 ガラテイアはあれこれと唸りながら、万能の聖女の絵画を見ていた。

 ややあって、顔を上げて言う。


「大したことありませんわね」

「えっ?」


 ガラテイアの意外な反応に、ニーナは目をぱちくりとさせる。

 自分の絵のことを言われたのか、と一瞬思った。

 ガラテイアは首をひねりながら、言葉を続けた。

 

「たしかに……どれもなかなかに素晴らしい作品でしたわ。けれど、正直申し上げますと……ニーナの絵を見たあとでは……。『なんだ、こんなものか』というのが率直な感想ですわ」

「え、えっと……。それ、本気で言っていますか?」


 さすがにニーナには、彼女の言うことが信じられなかった。


「ええ。わたくし、日ごろから嘘は申し上げないよう心がけておりますが……。こと芸術に関しましては、わたくしのマエストロ、ピュグマリオン様の魂と芸能の女神パルセナ様に誓って、けっして噓偽りは口にしませんわ」


 ガラテイアは、きっぱりと断言した。

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