第26話 万能の聖女たちの絵画

 さすがに「大したことない」で切り捨てるのは、身もフタもないと思ったのか、ガラテイアはいくつかの絵をニーナに指し示した。


「……そうですわね。見せていただいた中では、こちらの絵は他とは明らかに違う、異彩を誇っていると言ってもよいものを感じましたわ」

「あっ、それ……」


 そう言ってニーナに見せ返したのは、一枚の天使の絵だった。

 大きな燭台を両手に持ち、まるで人類の希望を灯そうするのかのようなポーズだ。


 その人智を超えた表情、生き生きとした肢体、そして背中から生えた翼は、まさに、ホンモノの天使を眼前にしているような錯覚を抱かせる。


 芸術家として、もっとも有名な万能の聖女の一人、ミカ・アンジェラの作であった。

 残念ながらニーナが持っているのは、名もなき画家によるその模写だが、それでも原画のすさまじさを十分に伝えるものだった。


 何を隠そう、ニーナが万能の聖女に憧れ、それを目指そうと考えるようになったきっかけの一枚だ。


「あとは、これですわね」


 そう言って、ガラテイアが次に指し示したのは、一転してラフなスケッチだ。

 それは、親方ナタリアに見せてもらった、今年の大聖堂コンテストの入賞作、新たに万能の聖女に仲間入りした、ラファエラの絵だった。


 三人の女神が互いの肩に手を置いて立つ、これも女神の超越性と躍動感を同時に感じさせる傑作だ。

 ニーナがそれを見ただけで打ちひしがれ、自分がコンテスト落選したのも当然だと思ってしまった絵だ。


「どちらの作も天使や女神を描いていながら、そこにとどまらない。そうですね、人類の可能性とでもいうのでしょうか……。生き生きとした人間の内面性を描き出そうとしているようで、たしかな迫力がありますわ。古くもあり新しくもある、そんな作風に感じましたわ」


 ガラテイアの言葉に、ニーナもこくこくと首を縦に振る。

 その二枚を選び出すあたり、やはり彼女の審美眼はたしかなものだ。


 だが、ガラテイアは言い淀むように付け加える。


「……ですが、なんというのでしょう……。両作ともまだ、ご自分の才能を抑えていらっしゃるように感じましたわ」

「えっ?」

「まるで、わたくしたち太古の人間にも絵の凄さが分かるように手加減した、と申しましょうか……。ありていに言ってしまって『まだ本気を出してない』というふうに見受けられましたわ」

「まだ本気を出してない……」


 おそらく、ガラテイアの言うとおりなんだろう、とニーナも思う。

 天使の絵は、ミカ・アンジェラの作品の中でもごく初期のものだ。


 現在も万能の聖女としてフロレンティアの第一線で活躍する彼女のウワサは、ナタリアの工房で働くニーナの耳にも、しばしば届いていた。

 それは、良い噂ばかりではなかった。


 ミカ・アンジェラは気難しい性格で知られている。

 クライアントである教皇や大貴族、執政官たちの意向をあからさまに無視して、造りたいように彫刻や絵画を製作することも少なくないらしい。


 神々の威光・威厳を称えるような作品を求められたのに、それを曲解して神罰による業火で町を焼かれ、嘆き悲しむ人々の姿を描いた、なんて話も聞く。


 そのあまりに自由で、ときに過激な作風は、貴族たちからは大絶賛と猛批判両方を浴びているというが、本人は意に介さない。


 強気な態度を崩さずに「文句があるのなら、私より優れた作品を目のまえに持ってきなさい」と豪語しているという。


 工房のみなは笑い話のように言っていたけど、貴族相手に自己主張するなんて想像するだけで恐ろしくなってしまうニーナにとって、噂に聞くミカ・アンジェラの熾烈さは、なかば憧れのようにも感じていた。


 一方のラファエラには、ニーナも工房の用事で何度か会ったことがある。

 ミカ・アンジェラほど過激な人物ではなく、むしろ人当たりがよくて穏やかな性格、という印象だった。


 けれど、どこか世渡りがうまく、したたかな雰囲気も内に秘めている女性だった。

 この一枚も、大聖堂の審査員たちの趣向を汲んで描いた作品だろう、ということは親方ナタリアも言っていた。


 本当の自分の才能を発揮するのは、万能の聖女の仲間入りしてからでも遅くない、と考えているのだろう。

 今ごろは、少しずつ自分の個性を前面に出し、貴族たちを驚かせているかもしれない。


「……それはたぶんきっと、そういう絵がいまの世の中で求められているからだと思います」


 そうニーナはこたえた。

 魔術や学問の世界に生きる万能の聖女たちは、新たな技術や発想を次々と編み出している。


 鉄道技術などはその最たる例だ。

 また、その分野で活躍している、もっとも有名な万能の聖女、レオノーラ・ダ・ヴィンチに至っては空を飛ぶ魔導機械や、魔力で動く自動人形まで開発しようとしているという。

 それが果たして実現されているのかどうかまでは、ニーナは知らなかったが。


 魔術や学問に対して、芸術の分野では新奇性はあまり求められていない。

 芸能復興を呼び声に、古代世界の作品が至上とされていた。

 現代に至るまでに失われた古代の作品や技術を“再発見”し、できる限り現代でよみがえらせる。


 フロレンティアの大貴族たちは、芸術を担う万能の聖女たちに、そうした働きを求めていた。

 それは必ずしも現実の古代そのものではなく、人々の中にある理想の“古代像”ではあったけれど、ともかく過去に理想を求める世相であることには変わりない。


 ニーナは、絵画の万能の聖女を目指すものとして、さすがにその辺の世相は理解していた。

 たどたどしくはあったけれど、なんとかガラテイアに説明する。


「なるほどですわ。でしたら、わたくしが万能の聖女さんたちの作品に、あまり新鮮味を覚えなかったのも道理ですわね」


 まさに当の古代世界を生きていた彫刻の乙女ガラテイアは、そう言ってふむふむとうなずいていた。


「わたくしもマエストロのことは心から誇りに思っていますし、わたくしが生まれた時代を理想と思ってくださるのはありがたいのですが……。個人的には、ニーナの絵を見たあとですと……」


 言いにくそうにガラテイアは語尾を濁す。

 しばらく考え込んでいたけれど、ややあって顔を上げ、ニーナをまっすぐに見つめる。


「……でしたら、ニーナ。あなたの取るべき道が分かりましたわ」

「それは……。やっぱりわたしもラファエラさんみたいに、ちゃんと時代に合ったものを描くべき、ですよね?」


 機先を制するように、ニーナは食い気味に言う。

 それは、ずっと彼女が考えていたことでもあった。


 誰にも喜ばれない絵は、絵とは呼べない。

 ただ、白い紙を絵具で汚しているだけだ。


 もっと古代の作風を学ばなければ……。

 その教師として、ガラテイアほどの適任は他にいないだろう。


 古代に生まれた芸術作品そのものなのだから。

 そんな彼女に出会え、直接教えを乞えるなんて、奇跡以外の何ものでもないだろう。


 けど、ガラテイアはニーナの問いかけに、きっぱりと首を横に振った。


「いいえ。それはあなたには向かない、とわたくしは思いますわ」

「うぅ。で、でも……」


 きっぱりと断言されて、ニーナは軽く落ち込む。

 そんなニーナをいたわるように、ガラテイアは微笑みかける。


「不得手を克服するよりも、得意を伸ばすことこそ、ニーナ。あなたの進むべき道だと思いますわ」

「得意を伸ばす……」

「ええ。ニーナの絵を見たとき、わたくし、心の底からワクワクしましたもの。時代の流行など軽く飛び越えてしまいそうな、そんな感動を覚えましたわ」

「そ、そんなこと……」

「ニーナ。わたくし、芸術については決して嘘をつかないと申し上げましたわよね?」


 少し強く言われ、ニーナは自己否定の言葉を飲み込んだ。


「ニーナの絵に心動かされる者は、わたくしだけではないと信じますわ。コンテストのことは聞きましたけれど、あなたの絵を評価する声もあったのではないのですか?」

「そ、それは……。あります」


 ニーナの働く鉄工房、姉弟子のベルタも妹弟子のピノカも自分の絵を好きだと言ってくれた。

 親方のナタリアは、“まだ見たことのない景色を見せてくれるのを期待している”と言ってくれた。


 それに、フロレンティアを去る前に知り合った、郵便配達員のマリカ。

 彼女はニーナのスケッチを「売ってほしい」と頼み、“本物のフロレンティアよりもフロレンティアらしい”と評価してくれた。

 急いで仕上げた風景絵は「宝物にします」とまで言って喜んでくれた。


 そのひとつひとつの言葉を思い出しながらガラテイアに語って聞かせるうちに、乾いたはずのニーナの瞳に、またも涙がにじんでくる。

 ありがたさと、そんな期待に応えられていない自分へのふがいなさが入り混じった涙だった。


 ガラテイアはニーナがあげた言葉のひとつひとつに深くうなずきながら、聞き入っていた。


「“本物の街よりも街らしい”。素晴らしく的確な表現ですわ。それこそまさに、ニーナの絵の本質と言えますわね」


 泣きそうなニーナの髪をそっとなでながら、ガラテイアは言葉を重ねた。


「結果が出ないことに落ち込んでしまうのは、よく分かりますわ。わたくしのマエストロもなかなか世間の評価を得られずに、いつも苦悩していらしたもの」

「そう……なんですか?」


 完璧な肢体を誇るガラテイアを彫ったピュグマリオンが、世間から認められなかったなんて、ニーナには信じられなかった。

 けど、ガラテイアは芸術に関して嘘を付かないと断言している。

 けっして、ニーナをなぐさめようと適当なことを言っているのではないはずだ。


「ええ。マエストロの作品は、その当時としては斬新過ぎた。少々時代を先取りしすぎていたのですわ。優れた芸術家にはそういうことがままあるものですわ」

「それは……なんとなくわたしも分かります」


 万能の聖女を目指すものの端くれとして、多少の芸術史はニーナも学んでいる。

 いまでは時代の象徴のように言われている偉大な芸術家も、その作品が評価されたのは作者の死後、なんていうことも少なくなかった。


「そして、ニーナ。あなたも同じ」

「わたしも、えっと……時代を先取りしてる? わ、わたしが?」

「ええ。そして、それに気づいていらっしゃる方々もあなたの周りにはたしかにいますわ」


 ガラテイアの言葉に、ニーナの頭の中にフロレンティアで出会った人々の姿が自然とよみがえってくる。


「まずは、ニーナの絵を評価してくれたその声を、素直に受け止めて胸を張るべきですわ、ニーナ」

「は、はい」


 元気よく、とはいかないけれど、ニーナはできるかぎり素直にうなずいた。

 ともかくも、ガラテイアの前で自己嫌悪の言葉を吐くのはよそう、と胸に誓う。



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 今回、ずいぶんとお固い、生真面目な内容となってしまった反動で、次回はかなりハジけた回になる予感です……。

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