第27話 遊び仲間

 ガラテイアは、ニーナに向けて指を二本立ててみせる。


「となれば、ニーナのやるべきことは二つですわ」

「二つ?」

「ええ。まずはひとつ。コンテストや万能の聖女さん、当代の流行は忘れ、ともかくニーナの描きたいものを、興味のあるものを描きまくる。技術磨きですわ」

「それは……はい。できると思います」


 コンテストのことを忘れ、描きたいものを描く。

 それだったら、いくらでも出来る気がするニーナだった。


 ひとりでそれをしようとすると、遊んでいるみたいで気が引けて、なかなか集中できなかった。

 蔵元として重責を担っている姉のことを思うと、なおさらだ。

 何も考えずに、ワイン蔵でクタクタになるまで働いているほうが、ずっと気が楽だった。


 けど、ガラテイアといっしょなら……。

 彼女が、それをニーナにとって必要なことと断じて寄り添ってくれるなら……。

 思いっきり、描きたい絵のことだけにのめり込めそうだ。


 抑え込んでいた”描きたい”という欲求が、熱とともにせりあがってくるのを感じる。

 それは、はじめてフロレンティアに上京したときのような、心からワクワクする心地だった。

 最後にコンテスト応募用の絵を描いたとき以来、ニーナ自身忘れていた感覚だ。


「それともうひとつ。そうして創りあげたニーナの絵を活かす方法を見つけ出すこと、ですわ」

「活かす方法。……それはお仕事として、ですか?」

「ええ。そのとおりですわ」


 今度は即答できなかった。

 ニーナはそっと内心でため息をついてしまう。


 ガラテイアには悪いけれど、それができるなら苦労しないよ、という思いがあった。

 ミカ・アンジェラやラファエラのような万能の聖女としての確かな実力と地位があれば、自分の描きたいように描いた絵をクライアントに認めさせる、なんてこともできるかもしれない。

 けど、なんの実績もなく、アカデミーの卒業生ですらないニーナにそんな知名度はない。

 フロレンティアの貴族層に絵を売り込んでみたところで、鼻で笑われるだけだろう。


 ガラテイアはニーナの反応を受けとめながらも、それに気づかなかったような素振りをみせた。

 あくまでも明るく言いつのる。


「ニーナの絵を活かす道は、必ず見つかりますわ。それだけの価値があるということに気づいてもらうだけでいいのですもの」

「……ほんとに?」

「ええ。ふたりで見つけ出してゆきましょう。わたくし、現代の世相には疎いですけれど、人ならぬ彫刻の乙女ならではの視点で見れば、気づけることもあると思いますわ」

「あ、ありがとうございます、ガラテイアさん」


 本当にそうだろうか、というニーナの疑念はまだ消えない。

 けど「ふたりで」と言ってもらえたことは素直に嬉しかった。


 ガラテイアは笑顔で何か言おうと、口を開く。

 けれど、次の言葉を発するのを一瞬ためらった。

 少し声のトーンを落として、まじめな調子で言う。


「絵の才を活かして生きることを、お姉様。エリザさんも望んでいると、わたくしは思いますわ」

「お姉ちゃんが……?」

「ええ」


 姉の名前が出て、ニーナの顔つきが複雑な形でこわばる。

 それを予想していたように、ガラテイアはきっぱりとうなずいた。


「ニーナ。あなたは少々マジメにがんばりすぎですわ。それがきっと、あなたの良いところでもあるのでしょうけど……」

「そう……かな?」


 ニーナ自身には自分がマジメだとも、がんばってるとも思えない。

 むしろ回り道ばかりでフラフラしてるのがいまの自分だ、というのがニーナの自己認識だった。


「ええ、そう思いますわ。けど、ニーナ。遊び回るくらいの気持ちで、絵を描くことも、それを活かすことも、もっと自由に楽しんではいかがでしょう?」

「う、うん。でも……」

「自分自身が楽しめる道を突き進むほうが、かえってうまくいったりするのも、芸術の世界ではよくあることですわ。わたくしを信じてくださいまし。ニーナ」


 まっすぐに見つめられ、呼びかけられてはそれを否定することなんてニーナにはできなかった。

 思いっきり遊べと言われて、心に抵抗がない、といえばウソになる。

 けれど……。


「ガラテイアさんといっしょなら、できるような気がします」

「ええ、もちろんご一緒させていただきたいですわ。だっていまからわたくし、胸がはずんでたまりませんもの」


 心底楽しげに言ってくれるガラテイアに、ニーナも胸の内に勇気が湧いてくる。


「ふふっ、わたくしたち“遊び仲間”ですわね」


 そう言って微笑むガラテイアの姿は、ニーナの心臓がドキリと跳ねるくらい魅力的だった。

 愛しさと喜びと気恥ずかしさがないまぜになって、頬が熱くなるのを感じる。


「でしたらニーナ。わたくしのことはどうか呼び捨てて、もっと気軽に話してほしいですわ」

「えっ、で、でも……」

「そのほうがわたくしも嬉しいのですけど……。だめ、ですか?」


 人智を超え出た美女、彫刻の乙女ガラテイアに潤んだ瞳でそんなふうに問われて、断れる人間など男でも女でも存在しないに違いない。

 ニーナは、さらに胸が鳴るのを感じながら、こくこくと首を縦に振っていた。


「わ、分かった。よろしくね、ガラテイア」

「あぁ! も、もう一回呼んで頂いてよろしいでしょうか、ニーナ?」

「えっと……が、ガラテイア?」

「んんん~! こちらこそよろしくお願いしまわ~、ニーナ!!」

「わっ、わわっ!?」


 感極まったようにガラテイアはニーナに抱きついた。

 ニーナは驚きながらも抱きとめ、その背におずおずと腕を回す。


 彫刻とは思えない、たしかなぬくもりと柔らかさがニーナの全身に伝わってくる。

 あるはずのない脈動や、心臓の音すら聞こえてくる気がした。

 ニーナのドキドキが、安らぎに変わっていく。


 不思議な心地だった。

 まるで、ずっと昔からガラテイアとは一緒にいて、親友同士だったような、そんな気がしてしまう。

 それは遠い先祖、ピュグマリオンの記憶がニーナの中にも眠っているせいかもしれない。


「ガラテイアに会えてよかった……」

「わたくしもですわ。目覚めて最初に出会ったのがあなたで、わたくしは幸せですわ」


 抱き合ったまま、ふたりはささやき声をかわしあった。


 ◇◆◇


 食堂には、ニーナたちのために簡単なサンドイッチと一杯のグラスワインがあった。

 老メイドのロザンナが、お昼どきに蔵から戻って作ってくれたものだ。


 ありがたくそれを平らげて遅めの昼食を終えると、ニーナとガラテイアは再び部屋に戻った。

 彫刻の乙女であるガラテイアは食事をしなくても生きられるらしく、一口だけ味見するようにつまむと、サンドイッチの残りはニーナに譲った。

 けど、ワイングラスはきっちり飲み干していた。


「さて、それではニーナ。まず、何を描きましょうか?」

「う~ん」


 ガラテイアにそう問われ、ニーナの頭には次々と候補が浮かぶ。

 タスカーナの街並みや、青々と広がるブドウ畑の光景も描きたい。

 仕事のジャマにならないようなら、ワイン蔵の中やそこで働く人たちの営みも絵にしたかった。

 郊外の駅に出向いて、周辺の景色を描きながら列車がくるのを待ってもいい。


 奉納の儀式のために向かった、ディオニシアの神殿も忘れられない。

 ……それはさすがに、いまから行ったら日が落ちてしまうから、別の日に改めて描くしかないだろうが。


 ガラテイアにコンテストのことを忘れ、好きなものを描いていいと言われたら、次々に描きたい意欲が湧いてくる。

 生まれ育ったタスカーナの町にも、フロレンティアに負けないくらい描きたいものがたくさんあった。

 ニーナは、そのことに初めて気づき、内心驚いていた。


「でも、一番最初はガラテイアのことが描きたい、かな」

「まあ。光栄ですわ」


 ガラテイアは少し意外そうな顔をしながらも、喜んでうなずいてみせた。


「マエストロに創造していただいたこの姿をニーナに描いてもらえるなら、これほど喜ばしいことは他にありませんわ」


 そう言いながら、ガラテイアは肩の留め具を外しはじめた。

 ついで腰の帯を解く。


 上下一枚布でできている衣服が、ぱさりと耳心地いい衣ずれの音を立てながら床に落ちた。


 その下には何も身につけていなかった。

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