絵描きからデザイナーへ

第24話 オルネライア家のご先祖様

 陽が沈む前に、ニーナたちはディオニシアの神殿から家へと帰り着いた。

 そして、ニーナとガラテイアのふたりは、応接に並んで座って、ニーナの姉エリザと対峙していた。


 エリザは神殿から戻ったニーナが見知らぬ美女を連れてきたことに、一瞬だけ驚いたが、すぐにそつなく客人としてもてなす。


 老メイドのロザンナはまだ蔵で仕事をしていて、この場には不在だった。

 ニーナは奉納の儀式のために身につけた衣服から着替えておらず、古代の装束をまとったふたりが家の中にいるのは、少し浮いてみえる光景だった。

 けど、エリザはガラテイアの格好についても気にしているそぶりはみせなかった。


「ガラテイアさん、でしたね? お茶でよろしいですしょうか? それとも――」

「もし厚かましくなければ、ワインを少々頂けたら嬉しいですわ。先ほどから上品な良い香りが漂っていて、たまりませんもの」


 ガラテイアは屈託なく笑って言う。

 エリザも微笑を浮かべ、笑顔にそれに応じた。


「もちろんです。当家のワインをご賞味いただけるなら光栄の至りです」

「ふふふっ、楽しみですわ」


 ふたりは、そろって喉の奥で小さく笑う。

 互いの素性を詮索するようなことはしない。


 その流れるようなやり取りを、ニーナはあっけにとられながら見ていた。

 はたから見ていたら、ふたりはまるで十年来の友人同士のようだった。


 ――なんていうか、ガラテイアさんもお姉ちゃんもすっごくおとなっぽい!?


 まるで上流貴族の会話のようだ。

 自分にはマネできそうもない、と思う。


 華の都フロレンティアで万能の聖女を目指していたのに、貴族たちに交じって社交界デビューする自分の姿なんて、想像もできないニーナだった。

 親方のナタリアはじめ、世話になった人たちはみな職人気質で、社交辞令のマナーなんて誰も教えてくれなかった。

 もし、大聖堂のコンテストに入賞したとしても、どんな服を着て授賞式に臨めばいいのかすら分からない。

 いまさらながら、そんなことすら勉強していなかった自分が恥ずかしくなる。

 ひとりひっそり落ち込むニーナをよそに、エリザとガラテイアのふたりは屈託のない笑みをかわしあっていた。


「――では、当家自慢のワインを用意致しますので、少々お待ちくださいね」

「あっ、お姉ちゃん。わたしも手伝う」

「いえ、あなたはガラテイアさんのお相手をしてさしあげていてください。すぐに戻ります」


 エリザは立ち上がりかけたニーナを手で制して、厨房のほうへと歩いていった。

 ニーナは中途半端な形で腰を浮かしかけていたけど、エリザが部屋を出ていくと、諦めたように椅子に座り直した。

 こういうとき、姉の言うことには逆らわないという習慣が染みついていた。


「ステキなお姉様ですわね、ニーナ」

「う、うん……」


 姉へのコンプレックスが抜けきっていないニーナは、複雑な気持ちでうなずいた。

 けど、物珍しげに部屋の中を見回しているガラテイアは、ニーナの表情の変化には気づかなかったようだ。


 待つほどもなく、エリザはワインの瓶と簡単なおつまみを載せたトレイを手にして戻ってきた。

 グラスは応接間の棚から取り出す。


「まあ、なんてキレイで透明な入れ物でしょう。中のワインもよく見えて、よけいにおいしそうですわ」


 どうやらガラテイアにとって、ガラス製のワイングラスは、はじめて見るもののようだ。

 けど、エリザはそれをたずねるような無粋なマネはしない。


 もともと、奉納の儀式を終えたニーナをねぎらうため、すぐに食べられるものを用意していたのだという。


「さあ、どうぞご遠慮なくお召し上がりください」

「ありがたく頂戴致しますわ、エリザさん」


 グラスを掲げもつガラテイアの姿は、とてもサマになっていた。

 それだけでも、一枚の絵画を見ているようだ。

 古代の装束に透明なワイングラスでは時代考証が合わないかもしれないけど、そんなささいなことは超越してしまう美しさだった。


 ガラテイアは軽く香りを楽しんだ後、豪快にグラスをあおった。

 どうやら、彼女の生きていた時代では現代のような複雑な作法はなかったようだ。


 ニーナは一瞬ひやりとしたけど、エリザはやはり何も言わない。

 まるで貴族の娘のような雰囲気の持ち主のエリザだが、根は商人だ。

 マナーを指摘して客人に恥をかかせるような育ちを、彼女はしていなかった。


「おいしいですわ~! わたくしが目覚める前の時代には、こんなおいしいワインはありませんでしたわ」


 勢いこんで言うガラテイアに、エリザは軽い微笑で応じた。


「お褒め頂き光栄です。自賛となって恐縮ですが、今年も良い出来になったかと思っております」

「まあ。もしかして、わたくしは初物を頂いたのかしら?」

「ええ。樽で熟成させたヴィンテージも良いですが、造りたてのものも新鮮な味わいがいたしますでしょう?」

「ええ、まったく! いくらでも飲めてしまいますわ。けど、よろしいのかしら? こんなぜいたくなものを頂いてしまって……」

「もちろんです。出荷前の一品をご提供できるのも、ワイナリーの特権です。さあ、どうぞご遠慮なく、お好きなだけお代わりもどうぞ」


 言いながらも、エリザはガラテイアのグラスにもういっぱいワインを注いでいた。

 姉が接客する姿はニーナにとって初めて見るものだったけれど、ワイン造りだけでなく、その方面でもエリザの立ち居振る舞いは完璧だった。

 まるで、一流の高級料亭で働く主人のようだ。


 ――そのうえ、腕っぷしまで強いとか、どんだけ完璧超人なんだろう、お姉ちゃん……。


 笑顔を湛えたままやり取りするエリザとガラテイアの様子を見て、ニーナはつい卑屈な気分になってしまう。

 ガラテイアと出会ったのは自分が最初なのに、さっそく姉に株を奪われたようで、それもどこかチクチクした気分にさせる。

「ニーナもおつとめ、ありがとう。あなたも遠慮しなくていいのですよ」

「そうですわ。もともと、ニーナのためにお姉様がご用意したごちそうなのでしょう? 食べなくては損ですわ」

「うん……」


 そんなニーナの様子に目ざとく気づいて、エリザとガラテイアが呼びかける。

 けど、そんなふうにふたりに気をつかわせてしまったことが、かえって彼女の自己嫌悪をかきたてた。


 子ども扱いされたような反発心も、ちょっとだけ感じる。

 それすら見透かしたように、エリザはそれ以上ニーナには何も言わなかった。


「さて、ガラテイアさん。お食事中で失礼ですが、神殿でニーナと何があったのか、あなたがどのようなお方なのか、お話頂けますか?」

「ええ、もちろんですわ」


 うなずいて、ガラテイアはニーナに名乗ったときと同じように自らを「彫刻の乙女」と称した。

 そして、自分がピュグマリオンという名のマエストロに造られた作品であること、神殿の物置き部屋でニーナに出会ったこと。それまで、長い眠りについていたらしいことを語った。


 エリザは物置き部屋のくだりでちらりとニーナに目を向けたが、客人の前で彼女の寄り道をとがめるようなことはしなかった。

 それ以外はガラテイアの目を見つめ、うなずきながら話を聞いていた。

 彼女の話が終わってから、はじめて口を開く。


「……驚きました。にわかには信じがたいお話ですね」


 エリザは口ではそう言っているが、動揺はまったく表に出ていなかった。


「ですが、あなたのその佳麗なお姿、なるほど、ピュグマリオンの作と言われれば納得できるような気もいたしますね」

「わたくしのご主人様……ピュグマリオン様をご存知なのですね?」

「ええ、もちろんです」


 エリザはきっぱりとうなずいた。

 横でガラテイアの話を聞いていたニーナも、固唾を飲んで姉の次の言葉を待った。


「ピュグマリオンは十代以上をさかのぼる、当家のご先祖様です。偉大な芸術家であったと聞き及んでおります」

「うちの……ご先祖様?」


 驚くニーナと対照的に、ガラテイアは静かにうなずいていた。


「やはり、そうだったのですね。ニーナにはじめて会ったとき、どこかマエストロの面影を感じたような気がしましたわ」


 屈託なく応じたようで、その声音にはさみしげな色が隠れもなく入り混じっていた。

 不意に、エリザの顔から微笑が消えた。

 何か真剣な顔つきで考え込んでいるようだった。


「彫刻のガラテイアさん」

「はい、なんですの?」


 再び口を開いたエリザの口調は、客人をもてなすものではなかった。

 どこまでも真剣な目をしている。


「姉から申し上げるのも口はばったくはありますが、ニーナも芸術の道を志す――絵画の才を持つものです」

「お、お姉ちゃん!?」


 突然自分のことを言われて、ニーナは驚きの声をあげた。

 エリザはそれにかまわず、深々とガラテイアに頭を下げた。


「稀代の芸術家と謳われたご先祖様が、言葉どおり魂を込め造り上げた彫刻の乙女。その貴女がニーナと出会ったのも、きっとご先祖様のお導きでしょう」


 ガラテイアもまた、深くその言葉にうなずきを返した。


「できましたら、妹の絵を見てやっては頂けませんか」

「お姉ちゃん、ちょっと!?」


 うろたえて立ち上がろうとするニーナの肩に、ガラテイアがふわりと手を添えた。


「ええ。ニーナさえよければ。喜んで拝見いたしますわ」

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