第41話 古代の芸術都市

 ガラテイアを創り出したマエストロ、ピュグマリオンは孤独な男だった。

 芸術だけを愛し、自然を描くことだけを生涯の使命としていた。


 その才能は類まれなるものでありながら、偏狭な性格から人々からは孤立していた。

 パトロンたちからは疎まれ、絵画や彫刻はほとんど売れなかったが、彼は気にとめていなかった。

 ガラテイアを彫っていたときは、寝食を忘れ、ほとんど倒れ伏す直前だった。


「さあ、目を覚ましなさい。私の愛しい彫刻の乙女よ」


 自身が、人を愛せなかったからこそ。

 彼は己の作品に、愛情と慈悲深さを求めた。


 その願いが届いたのは、彼の狂気的なまでの芸術にかける情熱ゆえか。

 芸能の女神パルセナが彼を憐れんだゆえか。


 ガラテイアはゆっくりと目を開けた。


「私が分かるかね? ガラテイアよ」

「……はい。ミオ・マエストロ」


 たどたどしくも、ガラテイアはそう応えた。


 ガラテイアに魂が吹きこまれたその日から、ピュグマリオンは変わった。

 彼女に世の中のことを教えるため、街へとよく繰り出すようになった。

 彫刻の乙女を導きながら、心救われていたのは主のピュグマリオンのほうだった。


 古代タスカーナ。

 それは、この当時の一大都市だった。


 この土地の王族が住まう豪奢な大理石の宮殿を中心に、街は栄えていた。

 現存するのは、ニーナが奉納の儀式で向かいガラテイアと出会ったディオニシアの神殿だけだが、その当時は、人々が信仰する守護女神たちの神殿があちこちに立ち並び、宗教儀式に用いられていた。


 中央広場には市民が集まり、思想や意見を交換し、文化を育んできた。

 明るく社交的なガラテイアといっしょなら、ピュグマリオンも人々の輪の中に交じることができた。


 青空市場が立ち、芸術家たちの彫刻が華やかに広場を彩る。

 誰かと連れ立って夕食の買い物をする。

 そんなささやかな営みが、心を弾ませ、孤独の傷を癒やしてくれることをピュグマリオンは初めて知った。


 円形劇場や競技場も、市民の娯楽のために欠かせないものだった。

 劇場では連日、劇作家たちが新作の発表を競い、ドラマチックな悲劇で人々の涙を誘い、荒唐無稽な喜劇で笑わせていた。


 俗世間になど興味のないピュグマリオンだったが、ガラテイアのためといって劇場に運ぶことも増えた。

 その刺激は、彼の創作にも影響を与えた。

 

 オルネライア家の実家のある丘の上から見下ろせば、赤い屋根と白い壁の街並み、壮麗な各神殿が一望できたという。

 ガラテイアのお気に入りの景色だった。


 だが、そんなタスカーナの繁栄も、わずか一夜にして終わりを告げる。

 当時は別の国家だったロウムの軍勢が攻め入ったのだ。

 町は火の海に包まれ、壮麗な建築物のほとんどが破壊された。


 ガラテイアはディオニシアの神殿の奥、物置き部屋に隠された。

 唯一神を信仰するロウムの軍勢は、女神像を次々と破壊していたからだ。


 生ける彫刻である彼女も兵士たちに捕まったら、どんな目に合うかしれたものではなかった。

 ピュグマリオンがその戦火の中、生き延びることができたかどうか、とうとう彼女は知ることなく永い眠りについた。


「そう……だったんだ」


 ガラテイアが話を終えたとき、ニーナはなんと言葉をかけていいか分からなかった。

 町が戦火に呑まれ、あるじを失い、千年の長い眠りにつく。

 そんな壮絶な体験、自分には想像もつかなかった。


「ニーナ、そんな顔をしないでくださいまし。わたくしは再び目を覚まして、あなたに出会えて幸せですわ」

「ガラテイア……」


 やっぱり、ニーナには言葉が見つからなかった。

 代わりに、ガラテイアをぎゅっと抱きしめた。

 ガラテイアも、優しくニーナの背を抱き返し、その頭をなでる。


「ガラテイアは、昔のタスカーナを知ってるから、少し複雑な思い、なんだよね?」

「ええ……。もちろん、わたくしもニーナと出会い、過ごしたいまのこの町も好きですし、守りたいとも思いますわ」


 ガラテイアは寂しげな微笑を浮かべながら答えた。


「けれど、時は移ろい、形あるものは変わっていくということも、わたくしは知っていますわ」


 かつて、この町は芸術の都であり世界の中心とも思われる一大都市だった。

 けれど、いまはブドウ畑に囲まれた牧歌的な町だと思われている。


 灯台下暗しと言うべきか、フロレンティアから汽車一日の立地にありながら、わざわざ訪れるものは少ない。


 永遠の都ロウム。

 水運とガラス細工で知られる海洋都市ヴェニシア。

 産業の町として栄え、人口が急増しているメディオラヌム。


 それらの名都市と比べ、知名度は低い。

 ワイン好きのものが、産地としておぼろげに知っているくらいだ。


「古代の中心都市……。いまのワイン畑……」


 ふと、ニーナの頭にある考えがよぎった。

 それは、最初はおぼろげなイメージだったが、急速にアイディアが膨らんでいく。

 筆が乗って追いつかなくなるときによく似ていた。


 フロレンティアで過ごした三年間。

 姉のエリザがオルネライア家の当主として守ってきたもの。

 自分のアトリエを作り、看板やチラシ作りをしてきたこと。

 ガラテイアを創り、育んだ古代の先祖の想い。


 すべてが一つにつながっていく。


「それだよ、ガラテイア!」

「……ニーナ?」


 首をかしげるガラテイアに、ニーナは言葉にするのももどかしげに言う。


「みんなを集めなくちゃ。でも、まずはガラテイアに聞いてほしい」

「何か思いついたのですわね?」


 首をぶんぶんと縦に振るニーナに、ガラテイアは微笑みかける。


「もちろんですわ。聞かせてくださいまし」

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