第42話 タスカーナの芸術祭

 エリザには、ニーナの言葉が突拍子もないものに思えた。


「芸術祭を……この町でするのですか、ニーナ?」

「そう、芸術祭!」


 一方、ニーナはきっぱりと自信に満ちた声でうなずく。

 エリザは困惑気味にガラテイアに視線を移す。


「あなたのお考えですか、ガラテイアさん」

「いいえ。わたくしもさっきニーナから聞かされたばかりですわ」


 応接室に、昨夜と同じメンバーが集まっていた。

 奥の席にオルネライア家の当主であるエリザが座り、その両どなりに叔父のファルコと老メイドのロザンナがいる。


 向かい合って座るのはニーナとガラテイアのふたりだ。

 昨日と違うのはこの場の中心になっているのが、ニーナだということだった。


「うん。……この町でっていうか、タスカーナ全部をお祭りの会場にして」


 けど、ニーナの発想が大きすぎるのか、誰もまだピンときていない感じだった。


「タスカーナの町すべてを芸術祭の会場に……。とてもワクワクするようなお話ですけど、具体的にはどんなふうに?」


 ガラテイアが、ニーナとエリザの橋渡しをするように、そっと尋ねる。

 分からないなりに、ニーナが目を輝かせて話す姿は、聞く側の心も前向きにさせるものがあった。

 急かすことなく、彼女の頭の中を理解しようと全員が、真剣に聞いている。


「えっと……。ガラテイアに聞いたんだけど、この町も昔は芸術がすごく盛んな大都会だったんだって」

「ロウムに滅ぼされる前の古代都市の時代ですね。父祖から伝え聞いています」

「というかニーナ。お前にもエリザといっしょにこの町の歴史を講義してやったことあるんだが、完全に忘れてるみたいだな」


 ファルコに言われ、ニーナは「えっ?」とバツが悪そうに目をそらした。


「……ぜんぜん覚えてない」


 幼いころ、正規の教育を受けていないエリザとニーナに対し、叔父のファルコや老メイドのロザンナが家庭教師係となって、読み書きや計算、一般教養を教えていた時代があった。


 何事も布が水を吸うように習い覚え、一発で身につけていくエリザに対して、ニーナは落書きをしたり空想にふけったりと集中が持たず、ファルコたちを苦労させていた。


「それで、そのことが芸術祭とどう関係してくるのですかな」

「あ、う、うん。それでね……」


 ロザンナが問いかけ、思わぬ形で墓穴を掘ったニーナも気を取り直して話を続ける。


「ガラテイアだけじゃなくて、みんなそれぞれ大切にしてるタスカーナの町の姿があるんだって思う。それを形にして、芸術作品みたいにしていけないかなって」

「……いまわたくしたちがアトリエでしているお仕事のように、ですか?」

「うん、そう!」


 少しずつ、みなにもニーナの見ている世界が伝播していく。


「わたし、看板作りとかの仕事をしていて気づいたんだけど……。みんな同じ景色を見ていても、見え方が全然違うんだなって」

「それはそうでしょうな。ワインを造る者と、絵描きでは同じブドウ畑でも見えるものはまったくちがってくるでしょう」


 ニーナの言葉に、ロザンナがそう返し、みなもそれに同意する。


「うん。大事なのは、それをひとつにしようとするんじゃなくてそのまま芸術祭に散りばめていくことだと思う」

「皆さまが抱いていらっしゃるタスカーナの姿を、ですの?」

「そう。たとえば、いまのタスカーナの駅って素朴過ぎるっていうか何もない感じだけど……。みんなが思うタスカーナの姿を小さな模型にして飾ったりして……。古代の姿もちょっと前の姿も、いまも未来もごちゃまぜにして……」


 それから、ニーナは思いつく限りのアイディアを一つずつ上げていった。

 言葉はたどたどしく、ところどころ彼女自身にもまとまりきれていないで喋っている部分もあったが、それでも彼女の想いはみなに伝わった。


 話しを最後まで聞いた、エリザとファルコが顔を見合わせた。

 その表情は、ニーナと同様に興奮した面持ちだった。


「叔父様」

「ああ。いけるぞ、これは」


 ふたりも、座っているのももどかしい様子だった。


「けれど、いまニーナお嬢様が挙げられたことをひとりで創られるのは、無理があるのではないですかな」


 ロザンナの指摘にみなは一瞬、考え込む。


「すべてニーナがやってしまうのでは、意味がありませんわ。この芸術祭は、タスカーナの皆さまがそれぞれの形で参加してこそ成り立つもの、とわたくしは思いますわ」


 ガラテイアの言葉にエリザも同意を示した。


「ええ。わたしもそう考えます。ニーナの考える芸術祭なら、この町に生きるすべての者たちに恩恵があります。工場などなくても、多くの人を呼べるし、この町の魅力を伝えられるのですから……」

「言うなら、ニーナは製作総指揮ってとこだな。実際に手を動かすのは、町の人間たちでいい」

「せ、製作総指揮!?」


 ファルコの口にした大仰な肩書きに、ニーナはうろたえる。

 自分の言い出したことを、ほんの少し後悔しはじめた。


「怯える必要はありませんよ、ニーナ」


 けど、エリザが力強くいい、ニーナに微笑みかける。


「あなたは想うままに空想の翼を広げればいいのです。夢を描くのがあなたの仕事です。ガラテイアさん、それにイオにもニーナのそばでその役割を担って頂きたいと思います」

「ええ。お任せください。それはわたくしにとっても喜びですわ」


 ガラテイアは笑顔でうなずき、ニーナの手を取る。

 それはとても心強く、ニーナにとっても喜びではあったが……。


「えっと、じゃあ、お姉ちゃんは?」

「わたしたちは一歩引いた目でニーナのアイディアを検討し、ときには引き留めます。それがわたし、ファルコ叔父様、ロザンナの役目でしょう」

「そうだな。列車で例えれば、ニーナたちはレールを敷いて加速させるのが仕事。俺やエリザ、ロザンナはそいつの安全点検とブレーキ役ってとこだな」


 エリザたちが後ろからしっかり支えてくれる。

 それはガラテイアやイオが、共に走ってくれるのと同じくらい心強いことだった。


「肝心なことはこの芸術祭を、タスカーナの町だけの話で終わらせず、フロレンティアを巻きこんだ運動へと発展させることです」

「だな。最終的にはウィレシウス教皇を招待するとこまで持っていきたい。ワインには興味のないお方だが、芸術への関心は強い人だからな」


 すでにニーナの漠然とした考えの先を、エリザたちは描いているようだった。


「これは、寝るひまもしばらくなくなりそうですな」


 ロザンナがそっとつぶやいた言葉は、すぐに現実のものとなる。

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