第43話 フロレンティアの職人たち

 この日、ニーナは珍しくひとりでいた。

 いつも彼女のそばにいてくれるガラテイアは、いまアトリエで待機している。

 イオも同様で、ガラテイアとともにアトリエで作業中のはずだ。


 このところは、姉のエリザたちや町の人たちと連日話し合い、忙しくもにぎやかな日々を送っていた。

 大勢の人間に囲まれながら食事をしたり、会議をすることも少なくなかった。


 ひとりになると、その反動でやけに寂しく感じる。


「やっぱりガラテイアにも来てもらおうかな……」


 つい、そんなひとり言も漏れる。

 けど、ひとりですると言ったのは自分自身だ。

 まがりなりにも“製作総指揮”なんて大役を任されたのだから、あんまり情けない姿を見せるべきじゃないだろう。


 ニーナがいまいるのは、タスカーナ郊外の鉄道駅だった。

 フロレンティアの華やかな駅舎とは比べようもない、周囲にほとんど何もない掘っ立て小屋のような建物だ。

 ニーナがフロレンティアに戻ってからこの二年間にも、変化がなかった。


 待合室と呼ぶのもおこがましい小さなベンチに、ニーナはちょこんと座っていた。

 けど、何もない、ということは何にでもなれるということでもある。


 芸術祭の最初の一歩として、この駅の大改修は必須だ。

 フロレンティアからやってきた人間が「ここがタスカーナか!」と一発で感じ、胸躍らせるような、そんな場所にしたい。

 

 駅の中に、タスカーナの模型を作る。

 芸術祭の作品スポットがひと目で分かる地図も欲しい。

 タスカーナの名産のワインやタスカーナ牛を使ったお弁当、それに芸術祭で創る工芸品を販売する土産物屋さんもほしい。


 駅自体の大きさも、いまのままでは全然足りない。

 フロレンティアのように華やかでなくてもいいから、来た人がワクワクする仕掛けをたくさん用意したかった。


 ひとりの寂しさも、空想の翼を広げれば次第に苦にならなくなってくる。

 一度空想しはじめると、スケッチブックを埋める筆が追いつかないくらい、次々とアイディアが湧いてきた。


 そんなふうにして過ごしていると、ニーナの耳に列車がレールを揺らすガタンガタンという音が聞こえてきた。


「……来たっ」


 ニーナはぱっと立ち上がってレールのほうに、ぱたぱた走る。

 遠くに黒い点が見えた。

 それは、ものすごい勢いでこちらに向かってくる。


 ぽぉ~っ、と汽笛を鳴らしながら列車が駅に向かってくる。

 ニーナは大きく手を振ってそれを待ちかまえた。


 久しぶりに見る機関車の威容は、やはり圧倒的だ。

 煙突から白い煙を吐き、大きな車体がレールに刻む走行音は、まるで太鼓のように全身に音が響いて聞こえる。


 ゆっくりと減速した列車は、ぴたりと駅に止まった。

 その停車音も、まるで生き物のようだった。


 タスカーナの駅に列車が止まる時間はわずかで、降りてくる乗客もほとんどいない。

 だから、ニーナには待っていた人たちの姿がすぐに見つけられた。

 向こうも、ニーナの存在に気づいたようだ。

 そのうちのひとりがニーナ目がけて猛然と駆け寄ってくる。


「ニーナ先輩!」

「ピノカちゃんっ! おふっ!?」

「イダッ!?」


 背の低い少女が真っ先にニーナに飛びついた。

 ニーナの妹弟子に当たるピノカだ。


 ニーナもそれを受けとめようと手を差し伸べてかがみこみ……。

 タイミングが合わずに、ふたりは思いっきりおでこをぶつけ合った。


「あいだだだだ……」

「ご、ごめんなさいましたデス、ニーナ先輩。いっつぅぅぅ……」


 ふたりそろって駅舎の中で、おでこを抑えてかがみこむ。


「あらあら。ピノカったら、そそっかしいんだからぁ」


 そんなニーナの耳に、ふわりと間延びした、懐かしい声が響く。

 ニーナが痛みをこらえて立ち上がると、相手はすぐ目の前まで来ていた。

 どちらからともなく両手を広げ、ハグをかわす。


「ふふふっ、ニーナちゃん。久しぶりぃ。元気そうねぇ」

「はい、ベルタ先輩も! お久しぶりです。いっ!? いぎぎぎぎ」

「あらぁ、まだおでこ痛いのぉ? 痛いの痛いの飛んでけ~」

「い、いや、いまは……痛いっていうか……ぐ、ぐるじいですから」


 ニーナをキツく抱きしめている大柄な女性は、工房でのニーナの姉弟子ベルタだ。

 うっかり彼女の怪力を忘れていたことを、ニーナは内心ちょっと後悔した。

 ニーナはぱしぱしとベルタの腕を叩くが、感極まってるベルタはそれに気づかない。


「ベルタ先輩! バカ力! ニーナ先輩、ギブアップしてるデス! 5カウント以内に放さないと反則負けデス」


 ピノカが、心配しているんだか面白がってるんだか分からないようなことを言ってくる。


「あらぁ、私ったらいけない。久しぶりのニーナちゃんが可愛すぎて、つい独り占めしちゃったわぁ」


 ほんとに分かってるのかどうか、そう言いながらベルタはニーナを解放した。

 ぜぇ、はぁ、と肩で息をするニーナの背をピノカがさする。


「……お前ら、なに公共の場で漫才してるんだ。恥ずかしい」


 そして、最後に……。

 知人だと思われるのを嫌がるように、微妙な距離を取りながら近づいてくる女性がいた。


 その姿を目にしたニーナは、痛いのも苦しいのも忘れぴょんと立ち上がった。


「……親方」

「おう、久しぶりだな。ニーナ」


 頭にバンダナを巻いた、たくましい印象の女性だ。

 そっけない表情を浮かべながらも、その目元は柔らかい。

 フロレンティアでニーナの働いていた工房の親方、ナタリアだ。


「目ぇ見れば分かる。立派にやってるみたいだな」

「親方……。いえ、まだまだです」


 ナタリアの姿を目にすると、あっという間に三年前の徒弟時代とていじだいに戻ってしまったような気持ちになる。

 これまでの日々とともに、一気にいろんな想いがニーナの中にあふれだした。


「おいおい、泣くな泣くな。お前ももう、あたしらを雇うくらい偉くなったんだ。しっかりしろ」

「いえ、偉くなってなんかないです……。来てくれてありがとうございます、親方ぁ」

「おう」


 ニーナはもう、まっすぐ立ってもいられなかった。

 ナタリアの腕の中で泣きじゃくる。


 工房のみながよく知っている、泣き虫なニーナの姿だ。

 これからナタリアたちをアトリエに案内し、芸術祭の話をしなければいけない。


 けど、しばらくは想いがあふれ、泣き止みそうになかった。

 ナタリアは、そんなニーナの頭を優しくなでる。


 ベルタたちも、温かな目でそんなニーナを見つめていた。

 ピノカも、ほんのちょっともらい泣きして目が潤んでいる。


 ――駅までひとりで来ることにして良かった。

 

 涙が止められなくなってしまったニーナは、心の片隅でほんのちょっと、そんなことを思っていた。

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