第30話 デザイナーへの一歩目
ガラテイアは、ニーナの才能が特に活きていると感じた絵を数枚抜き出してみせた。
ジャンルはまちまちで、ガラテイアを描いた素描もあったし、タスカーナの町や山々、ブドウ農園を描いた絵もあった。
かなり時間をかけて作りこんだ絵画もあれば、さっとしたスケッチもある。
ニーナ自身にも、ガラテイアがどういう基準でそれらの絵をピックアップしたのか、なんとなく分かった。
けれど、ニーナはそれらを、特にうまく描けたものとはみなしていなかった。
むしろ、自分のクセが強く出過ぎたものと思って、あまり良い出来とは感じてなかった。
「これこそまさにニーナの絵ですわ。あなたはこの道を極めるべきですわ」
ガラテイアはいつになく、グイグイと押しが強い。
「……でも。いくらガラテイアが良い絵だと言ってくれても。こんなぼやけた感じの絵、いろんな人にウケると思えないけど」
「それはきっと、わたくしたち古代の美術に毒され過ぎているのだと思いますわ。先入観なしに見てみれば、ニーナの絵の良さにきっと気づくはずですわ」
ガラテイアの言葉に思い出すのは、郵便配達員のマリカだ。
彼女はフロレンティアの暮らしだが、特に芸術に詳しくはなさそうだった。
だからこそ、ニーナの絵の良さを素直に感じてくれた、とも言えるのだろう。
とはいえ、見るものが見ればいい絵なんだ、と主張してみたところで、売れなければ意味がない。
“先入観なしで観る”というのは、口で言うほど簡単なことじゃない。
万能の聖女たちが描いた絵を知るものたちは、“良い絵”がどんなものか、無意識にでも判断基準を設けてしまっている。
そこから逸脱した表現を良いもの、として認めるのは難しいことだろう。
ニーナの絵が認められる時代が来るのが、十年先か二十年先か、はたまたニーナの死後なのかは誰にも分からない。
「ガラテイアがそんなふうに褒めてくれるのはすっごく嬉しい。けど、いまの時代に合わないんじゃ、どうしようもないんじゃないかな……」
ニーナはガラテイアほどには、声を弾ませられなかった。
いますぐに結果が欲しい、とまでは言わないけれど、せめて絵が売れる道筋くらいは見つけ出したかった。
ガラテイアの言うことを疑うわけではないが、永遠に等しい命を持つ、彫刻の乙女である彼女ならではの楽観視があるのではないか、と正直思ってしまう。
けど、ガラテイアはひるまない。
「それはニーナの絵を主体として売り出そうと考えるからですわ。かくいうわたくしも、芸術作品はそれ自体で評価を受けるべきもの、という先入観にとらわれ過ぎていましたわ」
その弁舌の勢いは止まらない。
まだ話は続く。
というより、よほど重大な発見をして、舌が追いつかないというふうだ。
「……っていうと?」
「たとえばこの町の絵。これ自体を芸術品として売り出すのではなく、タスカーナという町の魅力を誰かに伝えるために使う、と考えたならどう見えるでしょう?」
一瞬、何を言われたのかニーナは分からなかった。
けど、伝わった瞬間、その目がぱっと見開く。
「……あっ。ああ!」
「こっちのわたくしの絵もそうですわ。もし、見知らぬ誰かにわたくしを紹介するために、この絵を見ていただいたならどうでしょう? わたくし自身がお会いするよりも、わたくしの印象をよく知っていただける。ニーナの絵には、そんな力があるのですわ」
見知らぬ誰かに、いきなり裸体の絵を送りつけるのはどうかと思う。
けど、ガラテイアの言わんとすることは、ニーナにも伝わった。
ようやく、ニーナも理解した。
彼女が見ているもの、感じているものと同じ目線を得られた気がした。
「……そっか。わたしの絵が主役じゃなくてもいいんだ」
自分の絵を売るのではない。
描いた対象を知ってもらうため。
その魅力を伝えるため。
そのために絵を描く。
たとえば、店の看板だ。
フロレンティアほどの大都市であっても、工房や商店が看板のデザインに工夫を凝らすという文化はなかった。
看板というのは、店の名前とどんな種類の店かが伝わればいい、と一般に思われている。
けど、その店の魅力が伝わり、ひと目を引く看板をニーナの絵とデザインで制作したなら……。
きっとそれは、集客にもつながることだろう。
「できる。……それならわたし、できると思う」
「ええ。きっとできますわ!」
ニーナとガラテイアは、がしっと互いの手を握り合う。
そのまま踊りだしたいくらい気分が高揚していた。
互いの興奮した面持ちと息づかいから、それが伝わってくる。
まだおぼろげではあるけれど、自分の進むべき道筋が見えた気がした。
それは万能の聖女が進む方向とは違う。
けど、きっとその道なら自分は歩いていける、という実感がニーナにはあった。
「だったらわたし、一番にやりたい仕事がある」
「ええ。ずっとお姉様のことを気にしていましたものね、ニーナ」
微笑を浮かべながら間髪入れずに返すガラテイアに、ニーナは苦笑した。
「やっぱりわたしのこと、なんでもお見通しだよね。ガラテイアは」
◇◆◇
「当家のワインを売るのに、ニーナの絵を利用するのですか?」
言われた意味がよく分からない、というようにエリザは向かいに座るニーナとガラテイアの顔を交互に見た。
エリザの横には老メイドのロザンナが座っている。
ワインの販売のことで相談がある、とニーナがふたりを呼び、四人で応接室に集まっていた。
時刻は夜。
夕飯を終え、就寝前のひと時を利用しての集まりだった。
「うん。絵そのものを売るんじゃなくて、それを宣伝に使ってほしいの」
「と言いましても……」
勢いこむニーナに対し、エリザはまだうまく呑み込めない様子だった。
「たとえば、これくらいの小さなサイズで、タスカーナの風景を描いた絵といっしょにワインを販売する、とか。そしたら、オルネライア家のワインだってイメージが湧きやすいでしょ?」
「う~ん……」
「だめ……かな?」
エリザは微苦笑を浮かべて、ニーナの話を聞いていた。
あまり積極的とは言えない反応に、ニーナの勢いもしぼんでいく。
ニーナの部屋にいたときは興奮して勢いよく話していたガラテイアは、いまは微笑を浮かべたまま沈黙している。
ここはニーナにゆだねるべきだ、と考えているようだった。
メイドのロザンナもエリザを立てるように、静かに座っていた。
エリザはニーナの言葉に、難しい顔をしていた。
「ニーナ。あなたが当家のために、絵を役立てたいと申し出てくれたことは嬉しく思います。ですが、オルネライア家のワインは、お付き合いある卸売の方々に出荷しております。絵をともに付けたことで、大きな販促効果があるとは思えません」
「そ、それは……」
「それに、一本一本の瓶に絵付けするのですか? いかに小さな絵とはいえ、当家の出荷分すべてに対して描くとなれば、とてつもない労力となります。あなたの絵のために出荷を遅らせることもできません」
理路整然としたエリザの言葉に、ニーナは自分が抱いていたのが、いかに漠然としたイメージだったか思い知らされる。
何も反論が思いつかず、頭が真っ白になる。
「で、でもわたしがんばって描くから……」
「なら、それは可能だと仮定してお話しましょう。仮にニーナがすべてのワインに絵を付けるなら、それに必要な画材、顔料、何よりあなたの労力を上乗せした価格で売らねばなりません。その費用に見合うだけの効果が果たしてあるのでしょうか?」
「わ、わたしの絵の分はタダでいいよ」
「それはなりません」
エリザはぴしゃりと言う。
それまではニーナを気づかうようにやんわりと言い諭していたが、そのひと言だけは力強く断言する。
「労働に対しては、しかるべき対価が支払われなければなりません。でなければ、そのやり方は、いずれ必ず破綻します」
「…………」
ニーナは何も言えず、がくりとうなだれる。
エリザは話が終わったと判断し、腰を浮かせかける。
けど、その前に、ガラテイアがゆっくりとした口調で言う。
「その方法もふくめて、お二方にはご相談したいと考えておりますわ」
お二方。そう呼ばれ、ロザンナもガラテイアに視線を向ける。
「エリザさん。どうかニーナのことを妹としてではなく、ビジネスパートナ―としてお考えくださいまし。ニーナの絵の腕を誰よりもよくご存知なのはあなたですわ。ですから、わたくしたちは最初の取引先として、オルネライア家を選んだのですわ」
ガラテイアは気負うことなく、やんわりと言う。
「ニーナが提案したのは、あくまで一つの例。素案に過ぎませんわ。ここから、互いにとって利益になる方法を探っていくのに、おふたりのお知恵をお借りしたいのですわ」
エリザに負けないくらい、理路整然とした言葉だった。
けど、ニーナが「そうなの!?」と言わんばかりの顔でガラテイアを見るから、いろいろ台無しではあった。
毒気を抜かれたように、エリザとロザンナのふたりは同時に、小さく声をあげて笑った。
「なるほど。これはセールスではなく、あくまで会議。ニーナの能力を活かすも殺すもわたしたち次第。そういうことですね、ガラテイアさん?」
「ええ」
ガラテイアは優雅な微笑を浮かべたまま、うなずき返す。
エリザも蔵元、経営者の顔つきになって微笑していた。
「……でしたら、じっくりと時間をかけて話し合いましょう。我々としても当家の利になる話でしたら、真剣に検討したいと思います」
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