第31話 ラベルづくり

 本腰を入れて話をするために、ロザンナが全員分のワインを淹れた。

 エリザとロザンナが仕事のことで夜遅くまで話し合うときは、眠気を誘うワインよりも、お茶を淹れる。

 それだけ、ニーナたちの話に本気だという証拠でもあった。


「まず何より優先して考えるべきは、コストをいかに抑えるかということです。コストというのは原材料費の他に、ニーナ、あなたの労力も込みの話です」


 ニーナは、絵を描くことを“労働”だと思ったことはなかった。

 コンテストに落選しようと万能の聖女になれなかろうと、「好きでやっていることだ」という思いが、彼女を支えていた。


 けど、姉の言葉に黙ってうなずく。

 ここで同じ話を蒸し返しても仕方ないし、現実問題としてすべての瓶と絵をセットにするのは無理がある。


「でしたら、これが役に立つかもしれませんな」


 そう口にしたのは、これまでひと言も口を挟もうとしなかった、メイドのロザンナだ。

 あらかじめ話の流れを予期していたように、彼女はお茶といっしょにあるものを持ってきていた。


 一冊の本だ。

 装丁は簡素で、片手でめくって読めるくらい、コンパクトな作りだった。


「それは?」


 エリザに問われ、ロザンナはぱらぱらと中をめくって見せた。


「女神様たちの言葉を、我々普通の庶民でも分かる話し言葉で書いた本ですな」


 つまり、聖典の一種ということだろう。

 ロザンナが私物としてそんなものを所有しているほど信心深い人間だということを、ニーナは初めて知った。

 何気なくページをめくるその所作からも、本を大事に扱っていることが伝わってくる。


 一見すると、それはごく普通の本のようだった。

 けど、絵描きとしてのニーナの目は、違和感を覚えた。

 インクの質感が、普通の本とは異なる気がする。


「ロザンナ。それ、借りてもいい?」

「ええ、もちろんです。ニーナお嬢様」


 ニーナは慎重な手つきで本を受け取り、ページをめくる。

 インクの感触を指で触ってたしかめた。


 やはり、何かが引っかかった。

 ガラテイアも横からその様子を見ていた。


「これ、普通のインクで書いた本じゃない?」

「さようです。さすがニーナお嬢様はよくお気づきになられましたな」


 エリザも、その本については何も知らないらしい。

 興味深げにロザンナの顔を見ていた。


「これはなんでも魔光活版とかいう機械を用いているらしいですな」

「マコウカッパン?」


 ロザンナを除く、この場にいる誰も知らない言葉だった。


「はい。なんでも一つ原版があれば、それを使って同じ内容の本が大量にれるそうですな。なので、わたしのような使用人でも手が届く値段で、この本を買えたわけです」

「同じ本が大量に……。そんな技術があったのですね」


 いつも泰然自若としているエリザも、驚きを隠せない様子だった。

 そして、全員が同時に思い当たる。


「それをニーナの絵に用いれば……」

「ワインの瓶と同じ数だけ作れるってこと、だよね? ロザンナ!」

「素晴らしい技術ですわ! 目覚める前の世界では、想像もできませんでしたわ」


 ロザンナはみなに対して、あくまで慎重にこたえた。


「わたしにはワイン蔵のこと以外は何も分かりませんので、確かなことはなんとも……。ですが、まあ、そういう可能性もあるのではないかと思います」


 うんうん、とニーナたちは顔を見合わせうなずきあう。

 全員の表情が明るくなっていた。


「それだけではありませんわ。ニーナ、エリザさん。見てくださいまし」


 ガラテイアはニーナから本を受け取って、背表紙の部分をニーナたちに掲げてみせた。


「このご本、とじ紐ではなく糊付けで製本されていますわ。こちらの技術もお借りすれば、ニーナの描いた絵を瓶に貼り付けることもできるかもしれませんわ」

「なるほど……」


 ガラテイアの意図を察して、エリザはうなずく。


「ニーナの絵を貼れば、それが当家のワインである、分かりやすい証明ともなりますね」

「逆に、いままではどうやってエリザさんのところのワインだと証明していたのですの?」


 ガラテイアに聞かれ、エリザは棚から一本、ワインの入った瓶を取り出した。


「この瓶です。首が長く、女性の肩のラインのような優美な形をしているのが分かりますか? これは国によって、当家だけが用いることを許された、特別な形状なのです」

「そうだったんだ!」


 ニーナはエリザに言われて、初めて気づいた。

 オルネライア家に生まれ、赤ん坊のときからワインに囲まれていたニーナにとって、それは当たり前の風景の一部と化していた。

 ほかのワインとの形状の違いなんて、いままで意識したこともなかった。


「絵描きとして、少々観察眼に欠けていましたね、ニーナ」

「う、うぅ……。たしかに」

「見るものが見れば、この瓶はオルネライア家産のワインとして、確かな証となるのです」


 誇らしげなエリザの言葉だったが、やんわりとガラテイアが返す。


「逆に返して言えば、見る方が見なければそうとは気づかれない、ということでもありますわね?」

「それは……たしかにそのとおりです」


 ガラテイアの言葉に虚を突かれたように、珍しくエリザが動揺を見せた。

 そして、深く考え込む。


「……タスカーナのブドウ畑を描いたニーナの絵。……それに当家の名前と家紋も描いて瓶に貼れば」

「この本と同じことですな」


 ロザンナが話を継ぐ。


「話し言葉で書かれているから、我々教養のないものでも、女神様の教えが読めます。それと同様に――」

「ワインに詳しくない人でも、うちのワインだって一発で分かるってことだよね!」


 さらにニーナが言葉を被せた。

 それこそ、自分の絵の役目だ、と思う。


「ええ。酒店に瓶が並んだとき、絵と家紋の貼られたものと、そうでないもの。どちらが目を引くか、議論するまでもありません。当家のブランドを覚えて頂くのに、これほど分かりやすい印も、ほかにありません」


 エリザは軽く目をつむっていた。

 他のみなもそれにならう。

 束の間、瓶に絵の貼られたワインが店に並ぶさまを想像する。


「これは……付加価値、どころではありませんね。もし当家がこれを実施したなら、必ずや各ワイナリーも、同じ加工を瓶に施したいと考えることでしょう。

 ――各家の特色を活かした絵札を瓶に貼り付けたなら。タスカーナのワイン産業に大きく寄与するはずです。ニーナ、これは忙しいことになるかもしれません」


 エリザにはとても珍しく、興奮のあまり早口になっていた。

 こんな姉の姿は、ニーナにとって初めて見るものだった。


 ニーナが蔵で働きたいと申し出たとき、エリザはオルネライア家だけでなく、ワイナリー業界全体の発展を願っていた。


 その想いは、やはり本物だった。

 エリザには、ニーナの絵を自分たちの酒蔵だけで独占する気は毛頭ないようだ。


「酒店の棚が華やかなことになりますわね」


 やんわり笑うガラテイアも、心から楽しげだった。

 ニーナには、姉たちが興奮気味に話す話題の中心が自分の絵である、という実感が持てずにいた。

 なんだか夢を見ているような、ふわふわとした気分だった。


「自分の不明を恥じ入るばかり……。ニーナ、ガラテイアさん。あなたがたに、蒙を開かれた思いです」


 改まった声で言い、エリザはふたりに向かって頭を下げた。


「ちょっ、お姉ちゃんっ!?」

「みんなで話し合ったから出たアイディアですわ。ほとんどはエリザさん、あなたご自身がお話されたことではありませんか。どうか顔を上げてくださいまし」

「そうだよ! わたしなんて、具体的なこと、なんにも思いつかなかったんだから……」


 言われて顔を上げたエリザだが、その目にはまだ謙虚な敬意が宿って見えた。


「常々わたしは『良いものを作っていれば売れると思い込んでいて困る』と叔父に言われていました。その意味が、はじめてよく分かった気がします」

「わたしも、酒蔵以外のことは何も分かりませんからな。ニーナお嬢様に、良い刺激をもらった気がします」


 ロザンナもそう言い添える。

 謙遜してふたりはそう言うが、それだけワインの味と品質を守り、向上させるのに尽力していたということだ。

 それが口で言うほど簡単なことではないことは、わずかな間とはいえ、蔵で働いたニーナもよく分かっていた。

 ふたりが積み上げてきた技術と経験は、一朝一夕ではけっしてマネできないものだ。


「とはいえ、盛りあがりに水を差すようで申し訳ありませんが、まずは技術的にこの案が実現可能なのか、確かめなければなりませんな」


 ロザンナの言葉に、エリザは自分の興奮を恥じ入るように、軽く咳払いした。


「ええ、そのとおりですね。それで、ロザンナ。その本を作ったのはどなたなのでしょう?」

「イオ様は皆さまご存知ですね?」


 ロザンナにそう問われ、その場の全員がうなずきを返した。

 イオは、エリザと同じ道場で武術を学ぶ元気娘だ。


 なかば、エリザに師事するような形で、ニーナもときおりその稽古相手をつとめていた。

 ガラテイアも、その場に居合わせたことが何度かあった。


 一同の反応を確かめてから、さらにロザンナは続けた。


「この本を作られたのはカルヴィーノ様――イオ様のおじい様です」

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