第32話 ちょっとだけ休憩…

 エリザとロザンナ相手に話し合いをした翌朝。

 ニーナとガラテイアのふたりは連れ立って、町へと歩く。


 目的地はもちろん、イオの祖父、魔光印刷を開発したというカルヴィーノの家だ。

 エリザたちは蔵の仕事もあり、あまり大勢で押しかけても迷惑だろう、と考えた結果、ふたりで行くことにした。


 魔光印刷でどのていどの絵なら大量生産が可能か、という技術的な話になったなら、実際に絵を描くニーナがいなければ話し合いにならない。


 ナタリアの鉄工房で絵付けの仕事をしたことはあったが、自分自身で絵の仕事の話をしにいくのは、これが初めてのことだ。

 ニーナは文字通り浮足立つような足取りで家を出て、丘をくだる。


「ふあぁぁ」


 気分は高揚していたが、朝の陽光を浴びて、思わず大きなあくびが漏れた。

 秋も終わりに近づく季節ではあったけれど、この日は朝から暖かく、日差しがぽかぽかと降りそそいでいた。

 柔らかな日の光に包まれて、ニーナの頭がうとうとと左右に揺れる。


「ふふっ、眠そうですわね」

「……うん。昨日、あんまり寝つけなくって」


 絵の仕事ができるかもしれない。

 しかも、それが姉の、実家のワイン販売に役に立つのだ。


 そう思うと、嬉しさとワクワクで、ベッドに潜ってからもなかなか眠れなかった。

 気づくと朝の光が窓から差していて、自分がどれくらい寝れたのかよく分からなかった。


 家を出るまでは、張りきる気持ちが勝っていたけど、こうしてブドウ畑に囲まれたのんびりとした景色の中を歩いていると、眠気が襲ってくる。


「でしたら少し、道端でお休みしてから行きましょうか」


 そう言ってガラテイアは、道をはずれ、落ち葉の積もる木立のあたりへと歩いて行った。


「あっ、ちょっとガラテイア!」

「んん~、ここからなら、辺りの景色がよく見えますわ~。日差しも気持ちいいですわね」


 などと言って、ちょうどよく転がっていた丸木の上に腰を下ろしていた。


「ちょっと、ガラテイア。これから大事な話をしにいくのに……」

「だからこそ、ですわ」


 ガラテイアは悠然と微笑み、手ぶりでニーナにも座るよう、うながす。


「あまり早朝にお伺いしても、先方も困るかもしれませんわ。お昼どきの少し前に着くくらいで、ちょうどいいと思いますわ」

「それは、たしかに……」

「わたくしも、つい気持ちが先に立って家を出てしまいましたけれど……。そういうときこそ、一旦落ち着くのが大事ですわ。これは、ニーナの大事な相談ですもの」


 ガラテイアの横に座りながら、ニーナはふんふんとうなずいていた。


「すごいね。ガラテイアって、いつでも余裕で……すっごくおとなって感じ」

「うふふ、だてに千年生きていませんわ。と言っても、ほとんど眠っていたのですけど……」


 冗談めかしてガラテイアは言うが、その本心は分からなかった。

 もし、自分が眠っている間に千年も時が過ぎていたらどんな気持ちなのだろう、とニーナは想像してみた。


 姉も、親方も、友達や家族、大事な人は当然この世にはいない。

 そして、自分を取り巻く世界は、目覚める前の時代とはまるで違っている。


 そんな中にひとりでいたら、きっと自分なら耐えきれないだろう、とニーナは思う。

 想像しただけで、怖くて震えてしまいそうだ。


 それなのに、ガラテイアはいつも悠然と笑って、自分を助けてくれている。

 自分の絵に自信が持てたのも、ガラテイアのお陰だ。


 いまは自分のことで精いっぱいになっているニーナだけど、できるだけ早くガラテイアにその恩を返せたらいい。

 うとうとと眠い頭で、そんなことをニーナは思っていた。


「目がとろんとしていますわね、ニーナ。さぁ、もっと寄りかかって。頭をわたくしに預けて、お休みしてくださいまし」

「そんな、悪いよ……」

「遠慮は無用ですわ」


 ニーナは軽く抵抗しようとしたけれど、ガラテイアに優しく抱きすくめられると全身の力が抜けていく。

 言われたとおり、ガラテイアに寄りかかって、頭をもたれる。

 まるで温かな布団にくるまっているような安心感がニーナを包む。


「ガラテイア……いつも、ありがとう……」


 寝言みたいにつぶやく。

 安心した途端、眠気がどっと押し寄せてきた。

 もう、まぶたを開けているのもしんどかった。


「ふふっ、ニーナはいい子ですわね」


 ガラテイアはニーナの肩を抱いたまま、もう片方の手でニーナの髪をなでる。

 細く長い指が、ニーナの髪を優しくときほぐした。

 そんなふうにされると、ますますニーナは眠くなってしまう。


「いい子、いい子」


 そよ風が吹くように、耳元にささやきかける。


「きっとお姉様――エリザさんが言ったとおり、これからいろんなことが忙しくなりますわ。ワイナリーの方々だけでなく、たくさんのお仕事をしている方々が、ニーナの絵を求めるようになるでしょうね」

「そう……かな」

「ええ。ですから、いまはほんの少しだけお休みしましょう?」

「うん……。ありがとう」


 ニーナはさっきよりももっと、体重をガラテイアに預けていた。

 もうほとんど、全身で寄りかかっているくらいだ。

 ガラテイアは、いまにも寝落ちしそうなニーナの頭を胸にのせ、両腕でしっかりと受け止めている。


「寝ちゃっても……ガラテイアは……いなくなったりしない?」


 もし、自分が千年の眠りについていたら……。

 ついさっき、そんな想像をしていたせいで、寝てしまうことが少し不安だった。


 自分でも変なことを口走っている、とニーナの頭のどこかは感じていた。

 これじゃ、まるで母親に甘える小さな子どもみたいだ。

 けど、なかば寝ぼけた頭で深く考えられなかった。


「ええ、もちろんですわ。どこへも行きませんわ。ずっと一緒ですわよ、ニーナ」

「うん……」

「ですから、安心してお休みくださいまし。かわいいニーナ」

「うん……おやすみ。……すぅ、すぅ……」


 返事をするのもやっと、という調子でニーナはつぶやき……。

 すぐに規則正しい寝息を立てていた。


「ニーナ。わたくしが長い眠りから覚めたあとも孤独を感じずにいられるのは、あなたがそばにいてくれるからですわ。感謝しているのは、わたくしのほうですわ」


 ガラテイアは、もうニーナが寝入っているのを確かめ、ひとり言をつぶやくようにそうささやいた。


 朝の日差しは柔らかく、ふたりの肩に降りそそぎ続けていた。

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