第22話 彫刻の乙女
ニーナは口をぽかん、と開けて相手の姿を見つめた。
目もまん丸に見開いている。
彫刻そっくりの女性は、凝りをほぐすように肩を軽く回していた。
バキボキボキ、と人体から鳴ってはいけない不協和音が鳴り響いた。
それに驚いて、ニーナの肩がびくんとはねた。
可憐な美女には、あまりに似合わない音だった。
「あ……あの、ほんとに大丈夫ですか? わたしのせいで、その、ごめんなさい」
女性の正体よりもまず、相手にケガをさせてしまったんじゃないかという心配が先に立つニーナだった。
ニーナの顔を見て、女性はふふふっ、と上品に喉を鳴らして笑った。
「ご心配いりませんわ。寝起きの良い運動になりましたわ~」
そう言いながら、んん〜、と気持ちよさげに腕を頭の上で組んで伸びをする。
ちょうど、彫刻と同じポーズだった。
それを見て、ニーナは確信する。
相手はやっぱり、大理石の彫像そのものだ。
彫刻のモデルになった女性、という線も考えられなくはないけど、それにしてもあまりに似すぎだ。
それにさっきまでそこにあったはずの、彫刻がなくなっている。
ニーナがじっと見つめられ、女性はこくりと首をかしげた。
「わたくしの顔に何かついておりますかしら?」
「あ、いえ……」
「同じ問いかけを繰り返して失礼ですけど、あなたの方こそおケガはありませんでしたか?」
「あ、はい! 助けてもらってありがとうございました!」
「ふふっ、それは何よりですわ」
ニーナが無事でよかったと心底思ってくれているような、そんな温かな微笑みだった。
正体は謎だけど、いい人そうで良かった、とニーナは思う。
「ああ。わたくしとしたことが、名前も名乗っておりませんでしたわね」
そう言って、女性は流れるような優雅な動きで足を交差させ、衣服の端をつまみ、軽く膝を折ってお辞儀した。
ニーナの知らない作法だったが、目に華やかに映り、丁寧なあいさつであろうことは推測できた。
「わたくしは彫刻の乙女、ガラテイアと申しますわ」
「彫刻の乙女……」
名前よりも、その肩書きがニーナの心に残った。
「やっぱり」という気持ちと、「いや、どういうこと?」という疑問が同時に浮かび、頭が激しく混乱する。
「ところで、あなたはどなたかしら?」
「あ、は、はい……。ニーナ。ニーナ・オルネライアといいます」
頭は混乱したまま、口が勝手にこたえていた。
彫刻の乙女ガラテイアと名乗った、彼女の礼儀作法をマネする余裕なんてとてもなかった。
けど、ガラテイアは気を悪くするふうでもなく、にっこりと微笑んだ。
「ニーナね。よろしくお願いしますわ」
「は、はい、こちらこそ」
ガラテイアは手を差し出し、反射的にニーナはそれを握り返していた。
とても大理石とは思えない、柔らかくも弾力のある感触だった。
強く手を握られ、たしかなぬくもりが、てのひらに伝わる。
なんとはなく、ニーナの頬が熱くなった。
それに、改めて美しい姿だった。
同性のニーナでも、うっとりと見惚れてしまうような微笑みだ。
金髪に近い、小麦色のウェーブのかかった長い髪が、肩にかかっている。
肌はそれこそ大理石のように白く、長いまつげに深い蒼の瞳。
もともとが白い肌だけに、うっすらと赤く色づいた頬があでやかだった。
唇は紅を塗ったように紅く、目鼻立ちは一分の歪みもない。
ゆったりとした衣服でも、均整の取れたプロポーションと豊かで品良く整った両の胸の形が見て取れ、四肢は完璧な黄金比をなしていた。
長くしなやかな脚、手の指の先まで、流れるような稜線を描いている。
まさに生きる芸術品のような美しさだ。
そうでありながら、彫刻などとは思えない、柔らかで温かな息づかいも同時に感じられる。
大都市、華の都フロレンティアでも、これほどの美女はちょっと見かけたことがない。
ニーナは、ガラテイアの姿をぽ~っと眺めていた。
いつまでも見ていられる姿だ。
ニーナならずとも、彼女の姿に見惚れない芸術家などいないだろう。
フロレンティアの大聖堂や市庁舎も、これほどまでに優美ではない。
ゆったりと流れるフィオーレ川の水面のように優雅でありながら、モンテラーロ山のように力強くもあって……。自然の創り出した奇跡のような……。
いったいどう描けば、この美しさをキャンバスにおさめることができるだろう……。
「ニーナ? ニーナ? ――ニーナさん!」
ガラテイアがニーナの顔の前でひらひらと手を振って、ニーナははっと我に返った。
完全に、意識が自分の世界に飛んでいた。
「どういたしましたの? ぼ~っとして見えましたわ」
「あっ、ご、ごめんなさい。その……ガラテイアさんが、キレイ過ぎて見とれてて、ぼ~っとしてました……」
言いわけの言葉も思い浮かばず、ニーナは正直にそう答えていた。
「あら、お褒め頂き光栄ですわ」
ガラテイアは恥じ入ることもなく、艶然と笑った。
軽く手を添えて、胸を張る。
また、ニーナの心拍数がどきりと上がるような表情とポーズだった。
「マエストロから頂いたこの身体は、わたくしの誇りですもの」
そうして、ニーナに目線を合わせるようにかがみ、細い人差し指でニーナの額をちょん、っと押した。
「でも、ニーナ。あなたもとても可愛らしくていらっしゃいますわ」
「え、あ、は、はい。……はい?」
異次元レベルの美女から褒められ、ニーナは謙遜する余裕すらなくなっていた。
ガラテイアの指が触れたおでこが熱い。
全身がガチガチにこわばって、こっちのほうこそ彫刻になってしまったような気分だ。
「ところでニーナは、
「えっと……ミオ・マエストロ?」
「あら? わたくしのマエストロ、ピュグマリオン様をご存知なくて?」
ピュグマリオン。
ニーナの知り合いではないが、どこかで聞き覚えのある名前だった。
ニーナは首を横に振りながらも、記憶を探っていた。
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