ワイナリーと古代の神殿
第12話 かえりみち
明け方、汽車はタスカーナの駅に着いた。
車掌が大きな声で到着を告げ、寝ぼけ気味だったニーナはあわてて飛び起きた。
列車はタスカーナを出たあとも、南へと走っていく。
降り遅れたら、見知らぬ町までひた走ってしまう。
荷物を抱えて急いで降りる。
「ん~、朝だ~!」
駅に降りて、ほっと一息ついてから、思いっきり身体を伸ばした。
一晩座席で眠って、全身がバキバキだった。
「……ほんとに帰ってきたんだ」
列車の旅はあっという間だった。
長い距離を旅したという実感もない。
なのに、目の前にあるのは生まれ故郷の景色だ。
流れる時間がぜんぜん違う。
故郷の駅に降り立ったニーナがまず感じたのは、そんな感覚だった。
鉄骨造りのフロレンティアの駅とは比べようもない、ただ乗り場があるだけの小さな駅。
到着時刻は朝早く、町はまだ目覚めていない。
人の姿もなかった。
空が高く、遠かった。
景色がどこまでも広い。
大建築が立ち並ぶ、フロレンティアの細路地では見ることのかなわない光景だ。
鉄道駅ができても、故郷のそんな光景は三年前から、何も変わってなかった。
きっと、彼女が生まれる前からこの景色は続いているのだろう。
建物よりも緑と畑のほうが多い。
そんな牧歌的な町だ。
フロレンティアにあるような大商店だって存在しない。
タスカーナも、大陸の水準で見れば、決してド田舎と呼ばれるほど辺鄙ではない。
けど、三年間フロレンティアで暮らしてしまうと、鉄道駅から見える光景は、どうしたってのんびりとした印象は拭えない。
「ふわあぁ」
その光景に釣られて、なんだか無性に眠くなる。
いつの間にか眠りについていたとはいえ、慣れない汽車では熟睡はできなかったようだ。
まだ、体がふらふらと揺れているような気がする。
町を横断して実家に戻るのも、おっくうに感じてしまう。
「はぁ……。家、帰るのヤだなぁ」
ここまで来ておきながら、気おくれが生まれてしまう。
少し遠回りして帰ろうか。なんて、悪あがきのように思う。
「う、うぅぅ。お姉ちゃんたちに会ったら、まずなんて言えばいいんだろう」
万能の聖女になれずに戻ってきてしまった。
その報告を身内にしないといけないと思うと、割り切ったはずの悔しさがまたどんどんよみがえってくる。
いっそ、汽車にもう一度乗ってフロレンティアに帰りたい気すらしてくる。
「ううん。故郷に戻ってから再出発するんだもん。親方にもそう言われたんだから」
弱気になりそうな自分の心をしかり、首を横に振るニーナ。
必要なときは姉と戦え。
そうナタリアには言われている。
その勇気はまだとても持てそうになるけれど、まずは向き合うことから始めなければ、何もできない。
眠気も弱気も振り払うように、ニーナは大股で歩き始めた。
家があるのは、郊外の小さな丘の上。
町の中心を挟んで、ちょうど駅と反対側だ。
必然的に、ニーナは商店街の道を歩くことになる。
と、ニーナの耳に遠くから近づいてくる誰かの足音が聞こえる。
駆け足のようで、すごい速度で音は大きくなった。
なぜか、ぞくりと背筋が震えた。
「スキありいぃぃぃ!!」
けたたましい叫び声が降ってきた。
「うおぶっ!?」
何か思う前に体が先に動いていた。
ニーナが身をよじると、恐ろしいスピードで小さな影が、紙一重の差で横切る。
耳元で風がびゅんと鳴った。
「むぅ、いまの飛び蹴りをかわすなんてぇ!? でも、まだまだぁ!!」
「わっ、ちょっ、待っ……て!」
蹴りを放ったらしい相手は、地面に着地するなりバッと振り返る。
そして、猛烈な勢いで突きと蹴りのラッシュをニーナに向かって放ってきた。
「ちぇやあぁぁぁ、てやっ、やあぁっ!」
「わっ、ちょっ、ま、待って、待っててば!」
ニーナの動きは反射的に、それらを受け、さばいていた。
けど、頭はまったく事態についていけない。
「っくう。やっぱり当たらないぃ。……って、エリザねえちゃんじゃない!?」
いまさらながら、相手はニーナの顔をまともに見て、驚きの声を上げた。
打撃の手を止めて、まじまじとニーナの顔を覗きこむ。
「なんだぁ。ニーナねえちゃんかぁ。なぁんか、いつもと動きが違うと思ったぁ」
人に蹴りをかましながら、のんきにそんなことを言ってのける。
「って、え、ええ~!? ニーナねえちゃん!? なんで!?」
またも絶叫を上げる。
さっきからひとりで驚いてばかりだ。
「なんでって言われても……。もしかして、イオちゃん?」
名前を呼ばれただけあって、相手はニーナの知っている顔だった。
男の子のように髪を短く切った快活な顔。
もう秋の色がせまっているというのに、真夏のような薄着姿だ。
仕草も表情もいちいち大仰で元気いっぱいの少女だった。
歳はニーナの二つ下だ。
ニーナにとって友人でもあり、妹分でもある存在だった。
幼い頃は、実姉以上に姉妹のように毎日いっしょに遊んでいたものだ。
「うわあぁ〜、ご、ごめんなさい! 後ろ姿がエリザねえちゃんそっくりだったもんだから、ウチ、間違えた!!」
「間違えたって……」
手を合わせてペコペコ頭を下げるイオ。
謝るときも全力だ。
姉そっくり。
久しぶりに言われたその言葉に、ニーナの胸がちくりと痛んだ。
――顔だけならエリザちゃんそっくりなのに。
――なんで、姉妹でこんなにデキが違うのかしらねえ。
幼子には理解できないだろうとタカをくくり、聞えよがしに言われ続けた言葉
小さな頃からずっと、おとなたちから何度も比較されていた。
そんな記憶がよみがえってくる。
けど、イオの言葉に邪気がないのは、分かっていた。
とりあえず、姉と間違われたことをひがむのはよそう、とニーナは内心決める。
「あのねぇ、イオ。わたしがエリザお姉ちゃんだったとしても、いきなり背中を蹴ったりしちゃだめでしょ」
ニーナはごくまっとうな指摘をしたつもりだが、言われたイオはきょとんとした顔だった。
「なんで?」
「なんでって……」
イオは、本気でニーナの言うことが分かってない顔だった。
「エリザねえ『わたしに隙が見えたと思ったらいつでも打ちかかってきなさい』って。それでもし一本取れたら、秘伝の稽古をつけてくれるって言ってたよ」
「……お姉ちゃん。そんなことやってんだ」
ニーナは呆れた声でつぶやく。
「ジョーザイセンジョー? 武道家たるもの、どんなときでも隙を見せてはならない、ってエリザね~ちゃん、言ってた!」
「……ワイナリーの言葉じゃないよね、それ」
そう言いながらも、ニーナにはイオの言葉が姉の声でまざまざと脳内再生されるようだった。
自分も姉には遠く及ばないものの、武道の手ほどきはひと通り受けていた。
さっき、イオの蹴りをとっさに避けられたのも、そのおかげだ。
腕力は工房の中でも一番なくて、争いごとにはまったく向いていないニーナだけど、護身という意味では習い事もムダにはならなかったと言えるかもしれない。
「それでそれで! いつ帰ってきたの、ニーナねえちゃん?」
「いまさっき」
「そーだったんだ! 急に顔を見たからびっくりしたよ〜!」
「こっちはもっと驚かされたけどね」
故郷に戻るなり幼なじみに襲われるなんて、物騒すぎる。
さっきまでの気だるさも眠気も、どこかへ行ってしまっていた。
それもこれも、元はと言えばお姉ちゃんのせいだ、とニーナはひっそり恨みの言葉を心の中でつぶやく。
「けど、ニーナねえもさすがだね。うちの打撃、一発も当たらなかったもん」
「あ~、あははははは。まあ、避けるのだけは昔から得意だったから」
姉とともに、道場に通わされていた、幼い頃の記憶がよみがえる。
痛いのが嫌なニーナは、攻撃を避け、さばく練習ばかりしていた。
それでも、姉と組み合うと、彼女の鋭い打撃を避けきれず、泣かされてばかりいた。
ほんとに、故郷にはトラウマばかりがあちこちに転がっている。
「そうだ! うち、ニーナねえが帰ってきたって、エリザねえちゃんに知らせてくる!」
「あっ、ちょっと、イオ!?」
呼び止めようとしたときには、もう駆け出していた。
弾丸のような少女だった。
「なんだかなぁ……」
ニーナは呆れてつぶやく。
それはすぐに、くすくす笑いに変わっていた。
三年見ないあいだに、イオもずいぶん大きくなった。
けど、中身はあいかわらずの子どものようだ。
「しかたないなぁ……。せっかくイオちゃんが伝えてくれるんだから、早いとこわたしも帰りますか」
手荒い歓迎ではあったが、おかげで沈んでいた気持ちもいくらか晴れた気がするニーナだった。
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