第11話 再出発

 秋の風が季節を塗り替えるころ。

 とうとう、ニーナの帰郷の日になった。


「ニーナ先輩。たくさん、たくさん、お元気で、デス!」

「これからぐんと冷え込むから、身体には気をつけるのよぉ」


 フロレンティア鉄道駅の前。

 工房のみながそろってニーナを見送っていた。

 建物の前には、ニーナたちの他にも旅立つ者と、それを見送る者たちが多数いた。


 不正乗車を防ぐため、このドーム状の駅の中に入れるのは、乗客であるニーナだけだ。

 建物の中に入れば、フロレンティアでの日々をともに過ごした彼女たちとも、しばしの別れだ。

 そう思うと、ニーナの胸はいっぱいになり、目じりを潤ませる。


「ぐずっ。お、親方。ベルタ先輩。ピノカちゃん。い、いままで、お世話に……ひっく」

「泣くな泣くな。最後くらいびしっと笑顔を見せてみろ」


 工房の親方、ナタリアがニーナの頭をがしがしと撫でながら言う。


「は、はいっ。ずびばせん……」


 ごしごしと腕で顔をぬぐって、なんとか笑顔を作ろうとするニーナ。

 けど、ぬぐった先からまた涙があふれてしまう。


「うっ、ふぐぅ……」


 ベルタとピノカのふたりが、そんなニーナを温かなまなざしで見守っていた。

 ナタリアも、あきれ顔ながらも、その目は優しげだ。


「おおげさなんだよ、お前は。フロレンティアからタスカーナなんて、汽車で一日だ。今生の別れみたいな顔されたら、また会ったとき気まずくなるだろうが」

「そうよぉ、ニーナちゃん。なんなら、わたしたちでタスカーナに遊びに行こうかしらぁ」

「ピノカも行くデス! ニーナ先輩の生まれ故郷。見たいデス!」


 明るい三人の声に励まされ、ニーナもようやく笑顔を作れた。


「は、はい! ぜひ、みんなで遊びに来てください! 実家のおいしいワインをごちそうします」


 ピノカがまず、ニーナに飛びつくようにして抱きついた。

 ニーナはぎゅっと、その小さな身体を抱き返す。


 ついで、ベルタが大きな身体で包みこむようにニーナを抱きしめる。

 あいかわらず、ちょっと痛いくらいの力強さだったけど、今日ばかりはおとなしく抱かれるままになった。


 最後に、ナタリアが軽くニーナの肩を抱いた。「元気でやれよ」と耳元に小声でささやく。


「みんな、ほんとに、いままでたくさん……」


 ニーナの胸がまたいっぱいになる。

 いくら名残りを惜しんでも足りないような気がした。


 けれど、駅員が大きな声で駅の前にいた者たちに呼びかける。


「南部行きの列車、間もなくの発車です。ご乗車の方は、駅にお入りください」


 その声に導かれ、駅の前にいた人々は、中に入る者とフロレンティアの町に戻る者に別れていく。


「ほら、お前ももう行け。ここで乗り遅れたりしたら、世紀の大マヌケだぞ」

「は、はい! ほんとに、ありがとうございました!」


 ナタリアにうながされ、ニーナは大きく頭を下げた。

 そして、みなに見送られながら、ひとり駅舎をくぐる。


 黒いダイヤと呼ばれた魔石炭のエネルギー利用が発見されてから、鉄道網は急速に発展した。

 フロレンティアとニーナの故郷が線路で結ばれるほどに。


 “鉄道の母“の二つ名を持つ、魔石炭の開発者マレリーは、世界の発展にもっとも貢献した万能の聖女のひとりに数えられている。

 その偉大さが、ひと目でニーナにも分かる気がした。


「ふわぁ……」


 駅舎の反対側には、レールとその上にたたずむ機関車の威容があった。


 丸みを帯びたフォルムに、高い煙突。

 日の光に輝く、鉄のボディ。


 機関車に連なる、巨大な箱のような客車。

 機能的なのに、どこかかわいらしくもあるフォルムだった。


 漆黒の威容を誇る汽車の姿に、ミーナは感嘆の声をこらえられなかった。

 いまのいままで、この姿を見に来なかったのが、とてももったいないことをしていた気分だ。


「すごい……。かっこよくて、かわいい。こんなおっきなものが動くなんて。あっ、レールも……こんななんだ。あぁ、見学会とかもあったはずなのに。もっと早く来ればよかった~」

 

 ニーナは乗車までのわずかの時間を利用して、一息にスケッチした。


 駅舎はフロレンティアの市内とは言っても、中心部から離れた場所にある。

 同じ町の中とはいえ、フロレンティアは大都市だ。


アヴェレオ橋を渡って南西部に向かうには、駅馬車に乗る必要があった。 

 絵画の制作と普段の工房での働きで忙しいニーナが、用もなく訪れられる場所ではなかった。


 失意の帰郷ではあっても、絵描きとしての本能が、感動を絵に残そうと手を動かす。

 つかのま、落ち込んだ気分も別れの感傷も頭の中から完全に消えていた。


 レールの上に威風堂々と佇む姿。

 その黒光りする全長は、何か巨大な生き物のようだ。

 

 そういえば、工房でもこの部品の一部を受注していたはずだ。

 自分の仕事が、この巨大な乗り物の一部になっているのかと思うと、誇らしい気持ちになる。

 親方であるナタリアが、どんな思いで工房を切り盛りしているのか、少し分かったような気がした。


 寝台列車に揺られて、丸一晩の旅路だ。

 たったそれだけで、ふるさとの町に着く。


 上京したときは、馬車を乗り継いでの旅だった。

 鉄道は存在したものの、まだ貨物を運ぶのが主流で、ニーナのような庶民が利用できる態勢は整っていなかった。


 都合、まる五日をかけての旅程だった。

 もちろん、五日間ずっと移動に費やしていたわけではないが、それがたったの一日に短縮されてしまうのだから、技術の進歩というものは恐ろしい。


「お待たせしました。車内点検が完了しましたので、順番にご乗車いただけます」


 駅員が再び大きな声を響かせ、ニーナは急いでスケッチブックをしまった。

 タラップをのぼって、客車の中に入る。


 何か、巨大な生物の腹の中に収まるようで、恐ろしくもあり、ワクワクもしてくる。

 小さな子どもの頃に戻ったように、胸がはずんだ。


 客車内も、馬車の中とはまるで違っていた。

 整然と座席が立ち並ぶ広い客車内は、まるで家の中にいるかのようだ。

 というか、ニーナの屋根裏部屋よりも広いくらいだ。


 人が大勢入る、こんな巨大な物体を引いて、高速で移動が可能だなんて、信じられなかった。

 丸いガラスの窓も新鮮で、鼻をべったりこすりつけるようにニーナは外の光景を眺める。

 っと、座席がガタン、と揺れた。

 そして、窓の外の景色がゆっくりと動いていく。


「わっ、動いた!?」


 どしん、と衝撃が全身に伝わる。

 客車全体がぎしぎしときしんでいる。

 さっきから、はじめての経験続きだ。


「なんだ。今日の機関士は新人か? へたくそだな」


 となりの席のおじさんが悪態をつく。

 荷物が座席から落ちかけ、あわててそれをおさえていた。


 裕福な身なりからして、貴族か大商人といったところだろう。

 列車にも乗り慣れている雰囲気だ。


けど、ニーナにとっては、振動すら面白い。

 またどすんって揺れないかな、と内心期待していた。


 窓の外の景色は、急速に加速していく。

 馬車とは比べものにならない速さで流れていく。

 あっという間に、フロレンティアの街並みが遠ざかり、郊外の畑地、そして森の緑へと変わっていく。


「うわっ、うわあっ、うわあああぁ~!!」


 ニーナはがまんできず、歓声を上げていた。

 まるっきり小さな子どもそのままの表情で、窓の外を食い入るように見つめる。


 これには、となりのおじさんも孫を見るような目でにっこり笑顔だ。

 周囲の乗客もくすくすと笑っているけど、ニーナは気づきもしない。


 あまりにも景色の動きが早すぎて、とても絵に描くひまはない。

 けど、その印象を頭に叩き込もうと夢中だった。


「……ものの形じゃなくて、光と影の印象で描けば……。きっといままでなかったような絵になる……」


 ぶつぶつとひとり言をもらしながら、もう意識はキャンバスの中だ。


 木々の緑が流線のように見える。

 遠くのものはゆっくりと、近くのものはまたたく間に動く。

 このスピード感をどうすれば、絵で表現できるか、それ以外のことは考えられなかった。


 けど、そんなワクワク感も日が落ちるまでのことだった。

 もう、窓の外は真っ暗だ。


「はぁ……。わたしも、もう寝ないと」


 車内も、ランプのうす明かりが灯るのみで、多くの乗客は眠りについている。

 昼間の興奮の反動からか、やけにうら寂しい思いがする。


 そうなると、不意に、自分がひとりぼっちだということが身に染みて感じられた。

 もうフロレンティアは遠い向こうだ。

 故郷に錦を飾ることもなく、ひっそりと故郷に逃げ帰る。


 ……ただ一人で。

 そう思うと、またじわりと涙が目じりまでせりあがってきそうだった。


「……ううん。逃げるんじゃない。一度、距離を置くだけ」


 親方、ナタリアに贈られた言葉を思い出し、ニーナは首を振る。

 自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉が、胸を満たす。


 ――また、一から出直しだ。


 故郷に戻った自分が、これから何をすべきか、それはまだ見えない。

 いつかまた、このフロレンティアの地に戻ってこられるのかも……。


 ただ、絵を描くことが好きだった。

 絵を描くことに夢中になっていた。


 もう一度、そんな自分に戻ろう。

 そうとだけは決めていた。


 故郷の町に向け、汽車は音を立てて走る。

 どこか音楽的なその音は耳に心地よく、座席から伝わる振動は揺りかごの中にいるようだった。


ニーナのまぶたも、とろんと重くなっていた。

そして、いつの間にか規則正しい寝息を立て、舟をこぎ始めていた。


いまはただ、ニーナは眠る。

新しい明日を故郷の町からはじめる、そのときのために。

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