第19話 古代の神殿
両腕で肩を抱き、背筋を震わせながらニーナは歩く。
「うぅ、さぶぅぅ」
歩くと裾がももの辺りまでめくれ、秋風が肌に染みるようだった。
「この格好、めちゃくちゃスースーするんだけどぉ」
ひとり、唇を尖らせる。
いまニーナは、白い一枚布を巻きつけた、貫頭衣のような衣服に身を包んでいた。
裾や腰回りにゆったりとしたひだが生まれ、いかにもディオニシア女神に仕える古代の巫女という装いだった。
まるで仮装のようだが、これも儀式のしきたりらしい。
舞台で活躍する万能の聖女が円形劇場の上で身にまとったなら、さぞ見映えがするだろうけど、現代人が普段使いにする衣服ではなかった。
姉が着たならまだしも似合うだろうけど、自分には不釣り合いだ、とニーナには思えてならなかった。
けど、エリザもロザンナも口をそろえて似合う、似合うと連呼した。
「やはり、この役目をあなたに任せて正解でした」
「ほんとによくお似合いですよ、ニーナお嬢様」
ふたりがかりでニーナに着付けをして、家から送り出す際、何度もそんなふうに褒める。
このふたりにしては、絶賛と言っていい。
それでニーナもちょっと調子に乗っていたけど、ひとりになると寒さと虚しさが身にしみる感があった。
「はぁ……。神殿ってこっちのほうだよね」
背に負ったかごから地図を取り出して睨めっこする。
奉納用の酒瓶やその他の荷物を入れた背負いかごも、今どき田舎の村でも使わないような古代仕様だった。
細道は山の中へと続いていた。
町の中心とは反対方向で、ここまで来ると畑もほとんどない。
オルネライア家の屋敷からさほど離れてはいない。
この季節でも、余裕で日帰りできる距離だ。
けれど、用がなければまず訪れることのない方面だった。
「あっ、こっちぽい……」
上り道になるにつれ、明らかに道の雰囲気が変わってきた。
舗装がなかば剥げているが、相当に古い石畳の道だ。
それに、古代の家屋が崩れた跡だろうか。
大理石の欠片が周囲にちらほらと見え始めた。
「うちの近くに、こんな場所があったなんて……」
文字通り“絵になる光景”だった。
寒さに震えていたニーナの足取りも、にわかにはずみはじめた。
一歩進むごとに古代にタイムスリップしていくようで、否が応でも期待に胸が膨らんでいく。
細道は山の中を縫うように続いていた。
そして、曲がりくねった道を登りきった先に、目的の場所があった。
「うわぁ……」
見上げるほどの大きさだった。
色づきかけた木々に抱かれるように、山の中腹にひっそりとその神殿はあった。
荘厳、と呼ぶのにふさわしい大理石の神殿だ。
白亜と呼ぶには色褪せ、ひさしや柱の一部が崩れているが、それでもなお雄大な眺めだった。
建築当時の壮麗さを忍ばせるのに、十分な荘厳さが漂っている。
「どれくらい昔の神殿なんだろう……」
フロレンティアにいる学術系の万能の聖女なら分かるかもしれないが、ニーナは歴史方面の知識には疎かった。
――描きたい。
そんな想いが不意に湧き上がり、ニーナの胸をうずかせる。
それはすぐに、抑えがたい衝動に変わった。
「っと、いけないいけない。仕事しなくちゃ」
その想いに無理やりフタをするように、ニーナは声に出してつぶやく。
そもそも、今日はスケッチブックも持ってきていない。
代わりに酒瓶の入った背負い袋を大事そうに、抱え持つ。
「よしっ、いこう」
気持ちを切り替えようとかけ声一つあげ、神殿の中へと足を踏み入れた。
中は狭く、闇に包まれていた。
ニーナは入り口から洩れる陽の光を頼りに、通路に備え付けられた松明に火を灯した。
これも姉から教えられたことだ。
ぼっ、音を立てて松明が燃え、道を照らす。
「おおっ」
通路の様子が照らし出され、ニーナは感嘆の声を上げた。
同じ要領で通路脇に点々と並ぶ松明に火をともしながら進む。
今度は迷宮を探索する冒険者の気分だ。
魔物でも潜んでいそうな雰囲気は恐ろしくはあったけど、胸の高鳴りのほうが大きかった。
慎重な足取りで神殿の奥へと足を踏み入れていく。
自分の足音が反響し、松明の火に大きな影が揺れる。
それがかえって、静寂を強調した。
何百年もの朽ちた時が、空気の中に漂っているようだ。
これだけでも、神聖な儀式と言われるわけが分かる気がした。
ひんやりとした空気とすえた匂いすら、ニーナの胸をはずませる。
もう、寒さもまるで気にならなくなっていた。
もし、自分が戯曲家の万能の聖女だったなら、ここを舞台にどんな物語を描くだろう、と夢想する。
やっぱり王道なのは、怪物に生贄にされる乙女の物語だろうか。
けれど、実は怪物には人の心があって、いつしか生贄の乙女と恋に落ちる……。
「うんうん、それだったら絵画にしても映えるかも……」
あるいは、迷宮を探索する冒険者たちの物語もいいかもしれない。
だとすれば、その先にあるのはきっと誰も見たこともないような秘宝。
けど、神殿には古代人の恐ろしいワナもあって……。
「ってえ、だから、仕事だってば仕事」
自分がいつの間にやら空想の世界にどっぷり浸っていたことに気づき、またも声を上げるニーナ。
せっかく、姉やロザンナが自分を認めてこの役目を与えてくれたのだ。
浮かれている場合じゃない、と自分に言い聞かせる。
「祭壇があるのは地下三階……か」
地図が必要なほど、複雑な造りではない。
ただ、慣れない服ですっ転ばないよう、足元にだけは注意して神殿の奥へと進んでいく。
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