第34話 魔光印刷

 外見は普通の民家の造りをしていたカルヴィーノの家だが、その中はひどく雑然としていた。

 ニーナは、ナタリアの鉄工房を思い出す。


 けど、それ以上になんだかよく分からないものがたくさんだ。

 針金でできた鳥の模型や、飾りなのか実用品なのかも分からない巨大な釘、天井にはバケツや水道管の蛇口から吊るされ、ゼンマイや歯車が散らばり、大小様々なヤカンの蓋が壁にそなえつけれており、その他パッと見ただけでは用途のまったく分からない機械が散乱していた。


「我が家は代々修理屋をやっておりましてな。いまは店の方は息子に押しつけて、わしは好き勝手にモノいじりをしているってわけですわい」


 カルヴィーノは腹を揺すってはっはと笑う。

 椅子に積みあがった本を適当にどけて、ふたりに座るよううながす。


「えっと、フロレンティアにもそういう人がいました。カルヴィーノさんは、その……発明家?」

「いやいや、使えなくなったガラクタをいじくってるだけ。ただの道楽ですわい」


 ニーナの問いに、カルヴィーノは肩をすくめて返す。

 レンズの濃いサングラスで分からないけれど、ぱちりとウィンクしたのかもしれない。


「とはいえ、それがこうじて、こんなもんが出来てしまったわけですがな」


 そう言いながら、何かに被せてあった大きな布を取り外した。

 中から現れたものを目にして、ニーナとガラテイアは大きく目を見開いた。


「これが……」

「……魔光印刷というものですの?」


 その異様に、ただただ圧倒される。

 ガラテイアはもちろん、フロレンティアの工房で働ていたニーナにとっても、初めて見る光景だ。


 一見するとピアノ台のようにも、機織り機のようにも見える。

 黒い長方形の箱型をしていて、なんだか分からないペダルやレバーが付いていた。

 想像していたより、ずっと巨大な品物だった。


「まあ、百聞は一見に如かずと言いますからな。実際に見てもらうのが一番でしょう」


 そう言いながら、カルヴィーノはレバーを動かす。

 すると黒い箱の上部がぱかりと開き、その下には透明なガラス製らしきまったいらな盤面が見えた。


 カルヴィーノはさらに、箱をいじり、何かスイッチのようなものを操作する。

 すると、盤面をうっすらと淡い光が宿した。


「これは転写の魔術を人工的に再現したものですじゃ」


 まるで、夕飯の献立でも説明するような何気ない言い方だが、フロレンティアで三年を過ごしたニーナでも、こんな光景は見たことがなかった。


「あとは印字したい文字版と希釈したインク、紙をこの下の段に入れて――こうプレスする」


 口で説明しながら、カルヴィーノは薄い金属の板と白い紙をセットする。

 がしゃん、ぎぎぎぎ、と何やら獣が獲物を噛み砕くような凄まじい音がした。

 印刷機全体が振動し、ぎしぎしとこすれ合う。


「きゃっ」


 小さく悲鳴を上げ、ニーナとガラテイアは無意識に、お互いの手を握り合っていた。


「ほれ、完成ですじゃ」


 ニーナたちが警戒しているあいだに、作業はもう完了したらしい。

 カルヴィーノが再び箱を操作し、下から紙を取り出した。


「こんなところですの」


 カルヴィーノは三枚の紙を取り出して見せたが、それにはすべて寸分たがわぬ内容で、びっしりと文字が印刷されていた。

 ざっと内容を見た感じ、ロザンナが持っていた本と同じもののようだ。


「すご~い」

「まさしく魔法を見せていただいたようですわ」


 ニーナとガラテイアが拍手を送ると、カルヴィーノは奇術師のような仕草で礼を返した。

 大きなお腹がつっかえて腰をあまり曲げられず、どちらかというと道化師のように見えてしまったけれど……。


「詳しい説明は色々ありますがの。まずは、お嬢さんたちの用件を聞きましょうかの」


 カルヴィーノは印刷機にセットしていたインクなどを片付けながら言う。

 思ったほど自慢げでもなく、その言い方はむしろ淡々として感じられた。


 それにしても――、とニーナは思う。

 これだけのすぐれた、いや、ものすごいと言っていい技術が地元の町の一軒家に隠れていたなんて……。

 魔光印刷機の技術も驚きなら、それがこんなところにあるのも驚きだった。


 科学や魔学の発展を担うのは、華の都フロレンティアだけでも、万能の聖女たちだけでもない、ということを改めて思い知らされる。


「……けど、どうしてこんなすごい発明があんまり知られてないんだろう」


 ニーナはひとり言のつもりで、ぽつりと漏らす。


「それは簡単な話ですじゃ」


 けど、カルヴィーノにはしっかり聞こえていたようだ。

 歳のわりに、耳も達者のようだ。


「わしがこいつのことについては、人になるべく話さんようにしておりますからの」

「まあ、それはなぜでしょうかしら?」


 ガラテイアも問いかける。

 カルヴィーノはお腹を揺すり、わはわはと笑ってみせた。


「なにせ、この歳になって道楽でやってることじゃからの。また、あのじじいが変な物作り始めたぞと陰口叩かれるのがオチですわい」


 自虐のような言葉だが、その声音には屈託がない。

 人に呆れられるのも慣れっこで、むしろそれを楽しんでいるふうすら感じられた。


「……ほんとにそれだけが理由ですか?」


 ニーナは重ねて問う。


「こんな便利なものがあったら、すごくみんなの役に立ちそうなのに。実際に本ができるとこを見たら、誰もカルヴィーノさんをバカになんかしませんよ」

「ほっほ。そう言ってもらえるのは嬉しいですがな」


 カルヴィーノは笑いやみ、声のトーンを落とした。


「たしかに我ながら便利なもんを発明したものと思っておる。世の中の役に立つこともあるじゃろう。けど、こいつのせいで迷惑するものも出てくるはずですじゃ」

「迷惑、ですか?」


 ニーナにはカルヴィーノの言葉がよく呑み込めなかった。

 彼はマジメな調子で続ける。


「タダ同然で刷られては、紙本屋が立ちゆかなくなる。写本職人が路頭に迷うことになる。よからぬ言説の本が大量に出回る可能性だってあるじゃろう」


 カルヴィーノは、自身の迷いを示すように、首を横に振る。


「こいつを作っとるときは夢中じゃったがの。いざできあがってみれば、もう飽きてしまったというわけですわい。手に入れたものには興味がなくなる。男というものは、いくら歳を取ってもくだらぬ生きものじゃの」

「カルヴィーノさんは、お優しいのですわね」


 ガラテイアがそっと返した。

 その先の言葉を続けるべきか迷うように、一瞬言いよどむ。


「……ですが、一度生まれた技術は、後戻りできないものですわ。たとえ、それで国が滅ぶことになろうとも……。それが、人の歴史というものですわ」

「ガラテイア……」


 ガラテイアの言葉には重みがあった。

 まるで、その光景を実際に目の当たりにしたかのように……。


 国が滅ぶ……。

 みなが憧れる古代の帝国がどんな過程を経て崩壊したのか、歴史にうといニーナは詳しいことを知らない。

 けど、芸能復興が叫ばれ、古代の芸術を再発見することが至上とされる現代だ。

 “再発見”ということは、一度は失われ、見つからなくなってしまったのに他ならない。

 ガラテイアは、まさにその光景を自身の目にしているのではないか。

 そんな気がした。


「かもしれんのう」


 カルヴィーノも、ガラテイアの発言に感じ入ったようだった。

 見た目は彼よりはるかに年若いガラテイアだが、言葉に不思議な重みを感じとったようだった。


「だとしても、わしが生きてるうちはゆっくりやらせてほしいんじゃ。ロザンナ婆さんが持っとる本も、やたら熱心な修道僧に頼まれて、わしの個人的な知人に配るだけ、という約束で刷ったんじゃ」


 自分の行いが、人や世の中に影響を与えることを好まない。

 そういう人間がいることを、ニーナも知っていた。


 自分の親方であるナタリアも、万能の聖女に匹敵するだけの才能を持ちながらも、名誉欲とは無縁の人間だ。

 ただ、自分の造るものや修理したものがひっそりと人の役に立てばいい、という信条の持ち主だった。


 カルヴィーノの派手な見た目も、道楽でやっていること、という印象を人に持たせるためにあえてやっていることなのかもしれない。


「じゃから、ニーナお嬢さんたちがどんな本を印刷したいのかは知らんが、あまり数多く刷るのは……」

「本じゃないんです」


 ニーナはあわてて口を挟んだ。

 そして、自分たちの目的を語って聞かせた。


「ほう……。絵を瓶に貼り付ける……」


 カルヴィーノはひげをしごきながら、耳を傾ける。


「そういうこと、できそうですか?」


 ニーナは不安げに問う。

 文字を大量に印刷するのと、貼り紙を作るのでは全然理屈が違うのかもしれない。


 そのあたりは、シロウトのニーナには分かりようもなかった。

 けど、ニーナたちの話を聞いたカルヴィーノは、ぽんと膝を打った。


「なるほどなるほど! それは実に面白い! 面白いですぞ」


 印刷機の説明をしていたときの慎重さは消し飛んで、興奮を抑えきれないという様子だった。


「それなら、職人たちが仕事を失う心配もありますまい。なにせ、そんなことはいままで誰もやったことがないのですからな! うむ、今日は良い日じゃ」

「じゃあ……」

「まさか、こいつがこんな形で役立とうとは。気が若やぐとはこういうことを言うのかもしれませんな」


 カルヴィーノの反応に、ニーナとガラテイアは顔を合わせうなずきあった。


「やはりおふたりはお若い。未来を向いておる」


 カルヴィーノはニーナの両手をがしっと握った。

 老いを感じさせない、力強い手だった。


「ニーナ嬢。微力ながら、ぜひわしにも協力させてほしい。何もない道にレールを敷く手伝いをさせて頂きたいと思いますじゃ」

「は、はい! こちらこそ、どうかよろしくお願いします!!」


 ニーナは握手をかわしたまま、頭を下げた。

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