第7話 親方の訪問

 部屋に戻ったニーナはベッドに突っ伏し、そのままの姿勢でずっと動かなかった。


「う、ううぅぅ……」


 シーツをつかみ、ぐずぐずと鼻を鳴らしている。

 落選の知らせから三日が経って、ようやく泣き暮らすのも飽きがきたところだったのに……。

 工房に復帰して前を向く前に、また泣き虫に戻ってしまうニーナだった。


「親方のバカぁ……!」


 泣きながら叫び、足をジタバタ。

 ベッドに顔を突っ伏しながら、枕をぼふぼふ殴りつける。

 まるっきりダダっ子そのものだった。


 ――もう! なんでなんでなんでなんで!?


 ニーナの頭の中で、答えのない問いかけがぐるぐる回る。

 せっかく、過去一番に納得できる作品を創りあげられるまでになったというのに……。

 きっと、次こそは。

 そう思った矢先だった。

 それが、時間切れだからもう帰れだなんて、あんまりだ。


 けど――。

“あれよりいい絵が描けると自分で思うのか?”

 親方ナタリアにそう問いかけられ、答えを返せなかった。


 それは自分でも認めたのと同じことだった。

 ほんとは、ニーナ自身だって、心の奥底では分かっていた。

 このまま同じことを続けていてもダメなんだ、と。


「約束……守れなかった」


 泣きじゃくりながらも、ぽつりとつぶやく。

 湿りきったそのつぶやきも、涙の粒が落ちるようだった。


 三年で万能の聖女になる。

 そう宣言して、なかば飛び出すように家を出たのが十五のときだ。

 そこからは毎日が目まぐるしく、気づくとあっという間にときは過ぎていた。

 この街にやってきたのも、つい昨日のできごとのようだ。


 はじめてフロレンティアに上京したときは、この狭苦しい部屋に絶望したものだ。

 けど、ここを去らなければいけないと思うと、無性に愛着が湧き上がってくる。

 もっとここにいたかった……。


 たしかに、三年という約束をしたのはニーナ自身だ。

 けど、それはそうでも言わなければ、実姉が納得してくれなかったからでもあった。


 三年のあいだ、決してなまけていたわけじゃない。

 今日この日まで、一生懸命がんばってきた。


 それだけは自信を持って言える。

 それだというのに……。


「なのに、なのに……」


 ニーナの頭の中は、けっきょく同じ思考に戻ってしまう。


 コンテストの落選。

 ナタリアの冷たい態度。

 過保護な姉。


 そのすべてがないまぜになって、恨みがましい思いが募っていく。

 そんな気持ちをどこにもぶつけられなくて、ただ一人泣いているしかなかった。


 食事をするのも忘れて、ニーナはひとりでぐずり続けていた。

 季節は夏の盛りを過ぎようとする頃だ。

 日が落ちるのもずいぶん早くなった。


 ベッドで泣いているあいだに、部屋はすっかり暗くなっていた。

 起き上がる気力はいまだ湧かない。


 泣き疲れて、寝落ちそうになったとき……。

 部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。


 こんこん、というよりどんどん。

 少し乱暴な音だった。


 ――誰だろう?


 待ちに待ったコンテストの結果は、このあいだ受け取ったばかりだ。

 それ以外に、部屋をたずねてくる用事がある人なんて思い浮かばない。


 空耳か、とも思ったけど、最初よりも大きな音で再度ノックが聞こえてくる。

 あまりに大声で泣きすぎて、階下の住民から苦情がきたのだろうか?


「……は~い」


 仕方なしにニーナは涙を袖でふき、のろのろと立ち上がった。

 首をかしげながらもドアを開ける。


「邪魔するぞ」

「お、親方!?」


 玄関口に立っていたのはニーナの雇い主。

 工房の親方、ナタリアだった。


 反射的にニーナの背筋がぴしりと伸びる。

 ナタリアはひらひらと手を振って、それをおさえた。


「工房じゃねえんだ、自分の家でくらい楽にしてろ」

「うっ。は、はひ……」


 そう言われても、ニーナの緊張は簡単にはとけない。

 ナタリアが家に来たことなんて、いままで一度もなかった。


 いったい自分は何をやらかしてしまったのか、とニーナの顔は青ざめていく。

 おそるおそる用件を聞こうかと口を開きかけた矢先――、


「おい、これ」

「あっ!」


 ナタリアが差し出したものを目にして、ニーナは声を上げた。

 それは自分の命の次に大事にしているはずのものだった。


「おまえ、絵筆を忘れるヤツがあるか!」

「す、すみませんすみませんすみません。今度からゼッタイ、気をつけます! っていうか、親方。わざわざ届けにきてくれたんですか?」


 いままで筆道具を肌身離したことはなかった。

 どれだけ自分が動揺していたのか、いまさらながら感じるニーナだった。


「まあな。こいつはお前の魂だろうが。二度と手ばなすな」

「は、はい、ホントすみません! あっ、でも……」


 ニーナの顔が不意に暗くかげる。

 その理由を察したように、ナタリアはニーナの目をまっすぐに見つめた。


「でも、なんだ?」


 こうして親方に問い返されるのは、さっきとまったく同じやり取りだ。

 けど、ナタリアのまなざしは、工房にいたときほど厳しくはなかった。


「その、なんというか。わたしには、それはもうあってもしょうがないというか、だってもう……」

「あっ? まさかとは思うが……。お前、筆を折る気ででもいるのか?」


 ぎくり、とニーナの肩がこわばる。

 それも工房のときと同じだ。


 けど、それはすぐに憤慨に変わった。

 ニーナはぷくっと頬を膨らませて言い返す。


「だって……。だって、故郷に帰れ、って言ったのは親方じゃないですか!?」

「もともとそういう約束だからな。っと、部屋の前にいつまでも突っ立ってるのもナンだ。邪魔するぞ、ニーナ」

「えっ? ちょ、ちょっと親方? 部屋、すごい散らかってて。ああ、そっちはダメ!」

「なんだ? 艶本つやほんでもあんのか? 別に気にしねえぞ」

「持ってません、そんなの!」


 部屋にずんずんと入っていくナタリアに、ニーナは顔を真っ赤にして叫ぶ。

 けど、ナタリアはひょいっと振り返り、肩をすくめただけだった。


「絵画の聖女を目指すのに、勉強にもなるだろ? 別に隠すようなもんじゃねえ」

「だ~か~ら~、持ってませんってば!」

「なんだ。じゃあ、あたしのを貸してやろうか?」

「え、ええ~!? 親方がまさか……。ち、ちなみにジャンルは……? っていうか、それ、冗談ですよね?」

「ああ、冗談だ。あたしも買ったことがねえ。期待させて悪かったな」

「……もうっ! 知りません!」


 頬を膨らませるニーナだが、自分の親方をまさか追い返すわけにもいかない。

 ぶ~ぶ~言いながらも、画材を無理やり積み上げ、適当にスペースを作って中に招き入れた。


 ぷんすか腹を立ててはいたが、それでさっきまで失くしていた元気も少し湧いていることに、ニーナ本人は気づいていなかった。


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