第6話 ニーナの故郷と姉

 勢いよく飛び出してしまったニーナの姿に、作業中だったベルタとピノカが目を丸くした。


「ニーナちゃん!?」

「ニーナ先輩!」


 すぐに呼び止めようとするが、


「追うな、お前ら」 


 ニーナのあとから部屋から出てきた、ナタリアが厳しく止める。

 ベルタはそちらを振り返り、やんわりと抗議する。


「ニーナちゃん、泣いてましたよぉ。何を言ったんですかぁ、親方?」

「デスデス! 親方、泣かせたデス!」


 ナタリアはぽりぽりと頬をかきながら答えた。


「ベツに。あいつの姉貴と約束した期限が三年だった、っていう事実を思い出させただけだ」


 その表情は、ニーナを睨んでいたときほど鋭くない。

 どこか、途方に暮れているようにすら見えた。


「それは……故郷に帰れ、ってニーナちゃんに言ったってことですかぁ?」

「あぁ」


 徒弟のふたりは、非難を込めた目でナタリアを見ていた。


「あらあらまあまあ。そんなこと親方に言われたら、ニーナちゃん、ショックだったでしょうねぇ。それは飛び出したくもなるわぁ」

「オヤカタ。ヒドい。デス!」

「ひどかねえ。もともとそういう約束だ」


 ナタリアは肩をすくめた。


「……あいつはな。あたしに期限延長を頼む前に、約束を忘れたフリしやがった」

「それは……。よくないことだとは思いますけどぉ」

「それにな。フロレンティアで結果出したいってんなら、ここを追い出されたって、別の働き場所を見つけることだってできるはずだ。でもあいつは、そんなこと考えもしねえ」


 ベルタもピノカも、微妙な顔で黙ってしまう。

 ベルタも、ナタリアの片腕として働きながら彼女を支え、いっしょに工房を開くまでに至った。


 ピノカは、遠い外国からツテも何もなくやってきて、工房に転がり込んだ。

 腕一つでここまでやってきた、という自信がふたりにはあった。


 ニーナはフロレンティアに単身やってきたものの、工房で働けることになったのは姉のツテだ。

 それから三年の月日が経っている。


 本気でフロレンティアで生きていこうとすれば、ニーナのいまの腕があれば、他の工房で働きながら絵を描くという選択肢もあるはずだが、彼女にはハナからそういう発想が頭にないようだった。


「う〜ん。たしかに、いつまでもウチにいたらニーナちゃん、私たちに甘えたままになっちゃうかもしれませんねぇ」

「ピノカ、知ってるデス! “カワイイ子には旅をさせろ“デス! ニーナ先輩。カワイイ子、マチガイないデス!」

「この場合、故郷に帰す、になっちゃうけどねぇ。そのほうがいい、と親方も思ったんですね? あの子のために」


 ベルタとピノカの二人にも、ナタリアの内心は伝わったようだった。

 ナタリアは空いている椅子に腰を下ろして、息をつく。


「だなぁ。あいつは、甘えたとこはあいかわらずだが、持ち前の素直さで伸びてはいた。あたしらも驚くくらいにな」

「そうですねぇ。そこはニーナちゃんの長所ですものねぇ」


 ナタリアは、ベルタの言葉にうなずきながらも、同時に否定もする。


「けど、それも三年が限界だな。あいつの姉貴、エリザはそれを見抜いてたんだろうさ」

「ニーナちゃんのご実家って、ワイン農家さん、でしたっけ?」

「つうか、ワイン製造業、いわゆるワイナリーってやつだな。お前もオルネライア家のワイン、って名前くらい聞いたことがあるだろ?」

「あらぁ、銘品ブランドねぇ。ニーナちゃん、いいトコのお嬢様だったのねぇ」

「まあ、な。姉貴のほうは、まるで貴族みてえなヤツだ」


 ナタリアは、懐かしげに目を細めた。


「ピノカ、分かんない、デス! ワイン、呑めないデス!」

「そうねぇ。ピノカちゃんには、まだ早かったわねぇ」


 ふたたび、ベルタはピノカを抱きしめようとする。

 ピノカは、今度は親方であるナタリアのうしろに逃げた。

 ベルタは一瞬、残念そうに肩を落とたけど、気を取り直して会話を続ける。


「親方はニーナのお姉ちゃん……エリザさん、でしたっけ? お知り合いなんですねぇ」

「ああ。……なんつうかなぁ。ひと言でいや、おっかない女だよ」


 徒弟のふたりは、冗談を言ってるのか、とナタリアの表情をうかがう。

 けど、彼女の目は真剣そのものだった。


「ニーナのヤツが卑屈っていうか、やけにおどおどした性格になっちまったのも、まあ分かる気がするな。上ににあんなのがいたんじゃな。そこは同情する」 

「オヤカタ。そんなに、たくさんたくさん、ヒト、褒める。珍しいデス!」

「私もびっくりだわぁ」


 ベルタとピノカのふたりは、目を丸くして驚いていた。

 フロレンティアの貴族相手でも、平然と喧嘩腰で相手するナタリアが、誰かを恐れるような発言をするところなど、新弟子のピノカはもちろん、長い付き合いのベルタも見たことがなかった。


「お前らも会ってみりゃ、分かる。万能の聖女もびっくりするだろうさ」

「ニーナちゃんのお姉さん……。一度お会いしてみたいですねぇ」

「ピノカもデス! ごあいさつ。したいデス!」

「ま、縁があればな」


 話が逸れてると感じたのだろう。

 ナタリアは椅子から立ち上がり、ニーナの姉の話はもうおしまい、と手ぶりで示した。


「とにかくニーナだ。あいつは姉貴のトコに送り返す。まだ鉄が熱いうちに、叩きなおさなきゃ、手遅れになる」

「親方はニーナちゃんのこと、信頼してるんですねぇ」


ベルタの言葉に、ナタリアは鉄クズを誤って口に入れたような顔をした。


「いまのあたしの話で、どうしてそんな感想になる?」

「……親方はニーナちゃんなら一度突き放しても、きっと自分で立ち上がってくれると思ってるのでしょう?」

「ホント、デスか!? ニーナ先輩。また、戻ってクレる。また、絵描くデスか?」

「そうねぇ。どう思いますかぁ、親方?」


 ベルタの試すような口ぶりに、ナタリアは苦笑を返した。


「さあな。けど、あいつは万能の聖女になろうってんだ。こんな狭い工房にいつまでも閉じ込めておくわけにはいかねえだろ」

「ピノカは? ピノカはいつ、卒業、デキますデスか?」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねて問うピノカに、ナタリアは面白げに目を細める。


「お前がいまの調子で真剣に学べば――そうだな、あと五、六年ってとこだな。その頃には、独立開業できるだけの腕はつけてやる」

「ドクリツカイギョー! ……ってなんデス?」

「自分の工房を持つということよぉ、ピノカちゃん。凄いわぁ、親方のお墨付きなんて」


 ピノカの問いかけには、ベルタが笑顔で、ナタリアに代わって答えた。

 そのついでに頭をなでようとして、また、さっと逃げられる。


「ジブンのコウボウ! ワクワク、デス! ピノカ、やる、デス!」

「おう、その意気だ。しばらくはうちからも仕事回してやる。っと、どっちにしろ、まだ先の話だけどな」


 ナタリアも、笑い声をあげた。

 まるで娘の成長を見守る親の目だった。


「それでぇ、親方ぁ。わたしは~、いつ独立開業させてもらえるんですぅ?」

「あぁ? お前は逃がさねえよ、ベルタ。うちがやってけなくなるだろうが」

「あらあら」


 ベルタは喉の奥でころころと笑った。

 実に幸せそうな笑い声だった。


「偶然ですねぇ。わたしも一生、親方と仕事したいと思っていたわぁ」

「オー、アツアツデス。ピノカ、溶けるデス。退散、デス!」


 ピノカがまるで真夏の直射日光を浴びたように、オーバーリアクションで目を腕で覆った。

 それで我に返ったように、ナタリアとベルタは同時に咳払いして、互いから目をそらした。


「ま、とにかくニーナだ。あいつは一度故郷に戻って、逃げてきたもんと向き合うのが、あいつのためだ」

「あの子がいないと、うちも寂しくなりますねぇ」

「まっ、しゃあないさ。コンテストの結果がどっちだったとしても、ココを出てくことは決まってたようなもんだ」


 ナタリアは、ニーナの去っていた向こうを見るように、工房の入り口に目を向けた。

 釣られてベルタもそちらに目を向け、床に落ちている何かに気づいた。


「あっ、これ、ニーナちゃんの筆道具一式……」

「あのバカ。こいつを落っことすヤツがあるか」

「落としたのが工房の中で幸いでしたねぇ」


 ふたりの会話を聞いて、ピノカが素早く走り寄り、ニーナのポーチを拾いあげた。


「コレ、ニーナ先輩のウチ、届けマスデス」

「そうねぇ。それがいいと思うけど、仕事が終わったあとにするべき、ですよねぇ、親方?」


 ベルタに目で問いかけられ、ナタリアは首を横に振った。


「いや……。貸せ、ピノカ。こいつはあたしがあのバカに届けてくる」

「オヤカタが、自分で、デスか!? わざわざ!? オヤカタなのに、デスか!?」

「そんな大仰に驚くことじゃねえだろ。ちょうどあいつに話があったんだ。貸せ」


 ナタリアは、なかばひったくるようにして、ピノカの手にした筆道具を受け取った。

 その乱暴な手つきに照れ隠しが混じっているのに気づき、ベルタがころころと喉の奥で笑い声を上げた。

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