倒れた皇太后
「――母上!?」
いくら気に食わない相手だろうと、何かあったといわんばかりの音を聞いてしまったら、駆け込まずにはいられなかった。
そこで見た光景に、
先ほどまで、屏風の前に悠々と座っていたはずの皇太后の姿が、どこにもなかったのだ。否、卓の向こう側で伏していた。
「母上っ!」と切迫した声を上げながら、
柳のように力なくぐったりと伏している彼女を、
「さ、わぐな……っ、虎文」
「良かった、母上!」
「だから、静かにしなさいと……」
「この状況で何を……!」
ゲホッと大きくむせた皇太后は、微かに血混じりの唾を吐いた。
(毒……!)
床には割れた茶器が転がっている。
「侍女を呼びます」
しかし、
この状況で皇帝に施されるのがそれほどに嫌かと、悲しみに似た怒りすらこみ上げてきたのだが、彼女の目を見て
皇太后の身体に力はなくとも、目からは、得物を射殺すような強い意志が感じられた。『絶対に言ってくれるな』という強い意志を。
「……苦いですが、頑張って飲み込まれてください」
皇太后は、じっと
それは彼女も同じようで、しばらくすると自分で身体を起こせるくらいには、手足に力が戻ってきていた。
「あなたが来た時から、人払いは済ませてある。だから、あなたさえ黙っていればこの件は外には漏れない」
「……いつからですか」
「もうずっと昔からだ。先代の皇后であった時から……知っているだろう、虎文。ここでは毒など、天気が雨だったというくらいありふれたものだと」
皇太后は口元についた血を、袖で拭っていた。多少、紅ははげたが、真っ赤な袍のおかげで、彼女の血は行方知れずとなった。
背筋を伸ばし、凜として座る皇太后。
そこで、
「いったい誰が……母上には心当たりでも」
「心当たりは多すぎるな。皇太后という存在を邪魔と思う者など、そこら中にいる。あなたも毒消しを持っていたということは……よく理解できるのでは?」
「そう、ですね」
「それにしても、この毒消し、味はいまいちだが、効果は屏侍医のものよりはるかにすごいな。あっという間に胸の苦しみが取れた」
狗哭特製の薬だ。その効果はお墨付きである。
「母上……私に茶を飲ませないために、わざとあのように振る舞われましたね」
握った手が、ピクンと跳ねた。
「犯人が誰かはわからない。だが、ここ一年、わたくし達を狙っている者の目的は予想がつく。おそらく、現政権の……あなたとわたくしの失墜なのだ」
困ったように笑った彼女の顔は、今まで向けられていた厳しい冷然としたものより、彼女によく似合っていて、こちらが本当の顔など理解した。
◆
皇太后曰く……。
昔から毒は頻繁に様々な場所で使われてきた。だから、多少のことでは気にもしていなかったという話だ。皇后時代から付き従ってくれている、腹心の侍女ひとり以外は心を許していないという。おそらく、皇太后の言葉を与って、毎度追い返してくれていたあの侍女だろう。
しかし、数年……特にここ一年での毒の使用状況に、今までとは違う意思を感じるようになったという。
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