過去③

「瑠葉の子が玉座に座るだなんて汚らわしい! だったら、蘭仙の子がついたほうがましってものよ!」

「は、母上……」


 人が変わったように叫ぶ項淑妃に、六竜リウロンだけでなく美花も飛訓も面食らっていた。


「父とも噂があったなんて……あぁっ、なんて汚らわしい女なの! 私と同じくらいの歳というのに、父の恋人だっただなんて。あの女は、何も汚れなど知らないというような無垢な顔して……でもあの女のせいで、父がどんな目を向けられてきたか!」

「それは噂が一人歩きしただけで、実際にそのような関係にはなかったと項中書令も仰って――」

「信じられるものですかっ! ハハッ! 今の皇帝なんて、どっちの子か分かったものじゃないわね! あの頃を知っている者は、皆そう思ってるわ」


 美花メイファが間違いを正そうとしても、項淑妃は聞く耳を持たなかった。白かった肌は、興奮した今は薄紅に染まっている。


「――っまさか! 兄上に刺客を差し向けていたのは母上ですか!」

「刺客……? アッハハハ! そう。あの子はそんなことをやっていたのね。ふふ、実に愉快なものだわ」

「母上……っ」


 絞り出すような声で六竜リウロンが呻いていた。後ろにいるため、彼の表情まではわからなかったが、きっと悲しそうに眉を寄せているのだろう。そんな痛々しい声だった。


「安心して、六竜リウロン。私は陛下に刺客だなんて向けていないわ。心では思っていても、私にはそんな度胸なかったもの」


 安心して良いはずなのに、何ひとつ安心などできなかった。

 彼女は『私』と言ったのだ。それに、その前の『あの子はそんなことをやっていたのね』という、まるで事情を知っているかのような物言い。下手すれば、彼女も幇助という罪に問われかねない。


「母上……息子の情けとして、今までの話は聞かなかったことにしてさしあげます」

「優しい息子ね。母は幸せ者よ」


 吐き出したいことを吐き出し終えて、彼女はまた柔らかな女性へと戻っていた。しかし、楚々とした笑みを向けられても、もう今までと同じようには受け取れない。


「ただ、質問には答えていただきます。蘭賢妃の息子はどこにいるのですか」

「息子のほうは分からないわ。あの子は、兄の居場所を言わなかったもの」

「では、その『あの子』――蘭賢妃の娘は今どこに」


 項淑妃はクッと口端をつり上げた。


「何を言っているの。あなたは、あの子をよく知っているじゃない」

「はい?」

「雲蘭よ」


 クスクスという、華奢な笑い声だけが異様に耳に響いていた。





        ◆




「俺は急いで戻る。美花メイファ、お前は」


 預けていた馬が引いてこられた瞬間、六竜リウロンは手綱を馬丁からひったくるようにして奪い飛び乗った。馬は六竜の気持ちが伝わったのか、早く走らせろとばかりにその場でたたらを踏んでいる。


「私達はもう少し探ってみるわ。寿虎府に蘭賢妃が住んでいたのなら、行方知れずの息子の手がかりが、何かあるかもしれないし」

「そうか。悪いが、そっちは頼んだ」


 馬上から向けられる強い眼差しに、美花メイファも力強く頷いた。


「おい、護衛兵」


 六竜リウロンの視線が、美花メイファの後ろへと向けられる。


「なんでしょう、殿下」


 そこにいたのは飛訓フェイシンだ。


「いいか。美花メイファには手を出すなよ……絶対にだ」

「……かしこまりました」

「変な間があったな……本当に手は出すなよ? これ以上面倒事は増やすなよ! そいつは、俺のあ――」

「ほら、早く行かないと日が暮れるわよ」


 まったく、なんの忠告をしているのか。


(多分、私のことを姉上って言おうとしたわね)


 皇帝の妹――本来であれば公主であった存在ならば、飛訓フェイシンも迂闊に手は出さないだろうと思っての牽制だろう。


(確かに、これ以上飛訓フェイシンに迫られるのは困るけど、だからって私が虎文の妹だってバレるのも面倒なのよね)


 いつかは話さないといけないのだろうが、生まれがいわく付きだからあまり話したくはない。


(それに……双子は災いをもたらすなんて言われてるし。実際、虎文は刺客を向けられてたわけで……『お前のせいで皇帝は』なんて言われたら……)


 苦しくなりかけた胸を押さえ、美花メイファは余計な考えを追い払うように強く頭を左右に振った。


「それじゃあ、そっちは任せたわよ」

「ああ、お前達も気を付けろよな」


 言うなり、六竜リウロンは馬上で腰を折り顔を近づけてきた――と思った時には、頬に口づけをされていた。いや、これは頬と言えるのか……。口の端ギリギリにかかっていた。


「――でっ、殿下! 女人の唇をいきなり奪うとは、なんという不埒を……っ!」


 ほら、見間違えた飛訓フェイシンが叫びだした。


(というか、それをあなたが言う? って話だわ)


 いつもいきなり奪うくせに。

 六竜リウロンはベッと舌を出すと、ひとつ手綱を大きくふるって、あっという間に駆け去ったのだった。

 美花メイファが「気をつけて」と、小さくなる背に手を振って見送る一方、飛訓フェイシンは「失礼」と、美花の唇を袖でゴシゴシと拭っていた。


 もう、なんでもいい。


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