過去②

 少女の母親は、かつて共に四夫人の位にいた蘭仙だった。

 化粧っ気が薄く気付かなかったが、確かに彼女の美しさの面影があった。試しに化粧をさせてみると、むせかえるほどの色気を纏った。つい、項淑妃も『これは』と思うほどだった。


 少女の話によると、蘭仙は後宮を追放された後実家に身を寄せたのだが、皇后や皇帝から睨まれた娘を置いておけるかと、僅かな銭だけで放り出したということだった。


 この時、実は蘭仙の腹の中には子が宿っていた。

 しかし、まだ月齢も浅かったこともあり、蘭仙本人も気付いていなかった。彼女が身ごもったことに気付いたのは、東へと向かう旅路の途中。

『そういえば、月のものがまったくない』――そこではじめて、彼女は自分が皇帝の子を宿したことを知ったのだった。そうして彼女は寿鼠府で子を産んだ。


 蘭仙はしばらく寿鼠府で拾ってくれた人の元で、穏やかな日々を過ごしていたという。しかし、とある男と出会ったことで、心の奥底に沈めていた感情を再び巻き上げられる。



『賢妃という華々しい椅子から、お前を蹴落としたのは誰だ?』


『貴族の娘であるお前が、こんな場所で使用人生活を強いられているのはなぜだ?』


『お前は皇帝の子を宿して、本来ならばこの子は高い皇位継承権を持つというのに、なぜ他の兄弟達のほうが煌びやかな暮らしをしているんだ?』


 男は会うたびに、蘭仙の不遇をお前のせいではないと嘆いてみせた。

 そして、揺らぎはじめた蘭仙に、甘言を囁いたのだ。



『あの椅子は……お前の子が座るに相応しいんじゃないか?』



 彼女は息子と一緒に男と寿鼠府から姿を消した。






「そうして彼女が男と一緒に辿り付いたのが寿虎府ここよ。でも、私が離宮に来た時には、すでに彼女は亡くなっていたみたい。だから、私はあの時……彼女が追放される時何もできなかったから、せめてその娘くらいはと思って……」


 項淑妃はふうと息を吐き出した。長い語りを終え、ひと息吐いたという感じだ。

 しかし、美花達側はそんな雰囲気ではなかった。


「蘭賢妃が先帝との子を……っ、追放時点で身ごもっていたのなら、兄上のすぐ下ということじゃないのか……」


 降って湧いたような話だった。実際に、六竜には新たな兄が、美花には新たな弟がいきなりいると言われたも同然なのだから。


「瑠貴妃が亡くなったあと、確かに陛下は蘭賢妃の宮をよく訪れていたわ。次の寵妃だななんて言われていたりもしたのよ」


 当時の皇后が、瑠貴妃が自死する原因となった――双子を産んだという噂を流した者を見つけるのに、一年かかったという話だった。その間に先帝が蘭賢妃の元へ通っていたのなら、身ごもっていてもおかしくない。


「いや、ちょっと待ってください。母上を訪ねたのは少女だったんですよね?」

「そうよ。彼女は蘭賢妃が寿鼠府で出会った男との間に作った子よ」

「では……生まれた男児はどうなったのです」


 ハッとした。そうだ、彼女は最初から少女の話しかしていない。先帝の子である男児についてはまるで触れていない。

 項淑妃はまたも黙り、顔を背けてしまった。


「母上、これは大切なことなのです! 皇帝の血を引いた者が、在野のどこかにいる。それは、皇家にとって脅威でしかないんです! 新たな火種となり得るんですよ!?」


 六竜がバンと叩いた机が軋みをあげていた。

 彼女の様子からして、男児はまだ生きているのだろう。だとすると、自分と大して変わらない年頃だ。それは放置したままで良い問題とはとても言えなかった。


 欲を持った者に皇位継承権があると知られれば、その男児を立てて謀反を企てたりもする。しかも、おそらく継承順位は六竜よりも高い。母親も元ではあるが四夫人である賢妃だ。血筋は申し分ない。

 六竜が項淑妃を睨み付け、空気が薄氷のようないつ割れるともしれない緊張感を帯びはじめたとき、彼女は呟いた。


「……いい気味だわ」

「え……」


 三人は耳を疑った。聞き間違いかと思った。しかし、ぐるりと勢いよくこちらを向いた彼女の顔を見れば、間違ってはないことを悟る。


「いい気味だわっ!」


 嘲笑と怒りがない交ぜになった顔をしていた。



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