ある影の幸せ

久里ジウリには私の幼馴染みでいてほしいの。私を小さな頃から見てきて一緒に育った大好きな幼馴染み。そして、一緒に郷を守っていく大切な相棒」


「駄目かしら」と、美花メイファは上目遣いに首を傾げた。

 じわじわと苦虫を噛んだかのように、表情を渋らせていく久里ジウリ。とうとう、はぁという盛大なため息と一緒に、目元を手で覆って天を仰いだ。


「あー……ほんまずっこいわ。そない言われたら、その特別な地位を手放されへんやん」

「ふふ、姐さん達に色々と教わってきたもの」

「それは、ほんまずっこいわ」


 敵うわけない、と久里ジウリは頭を掻いていた。


「それに、前に言ったと思うけど、私には特別な人がいるから」


 久里ジウリは大切な人だ。だが、その大切と思う感情は、に対するものとはまた少しだけ違う。その違いが理解できるようになった。


「はぁ……やっぱりあかんか。遠くのナントカより近くのっていうから、イケる思ったんやけど。じゃあ、俺と美花メイファの関係は、明芳姐さんとおさみたいな関係なん……ん? ってことは、一緒に子を育てられるってことやないか!?」

「ひゃあ!?」


 いきなり、久里ジウリに横抱きで持ち上げられた。


「せや! つまり、一緒に住んでもええってことになるやんか!」

「ちょ、ちょっと久里ジウリ!? 色々とすっ飛んでるし、危ないから――」


 下ろして、と言おうとするのと重なって「美花メイファ」と、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 久里ジウリかと思ったが声が違うし、彼は今やったやったと了承もしていないことで騒いでいる。


(だとすると……)


虎文フーウェン、突然どうしたのよ」


 頭の中で「ごめんよ」と聞こえる声は、遠言を使った虎文フーウェンのものだった。 美花メイファの声に、「陛下!?」と、久里ジウリがキョロキョロと慌てふためく。


「悪いね、久里ジウリ。妹を借りるよ。至急来てほしいんだ、美花メイファ


 今度は久里ジウリの脳内にも聞こえたようで、彼は「はいっ」とシャキッとした返事をして、美花メイファを解放した。


「至急って何かあったの、虎文。どこに行けばいいの」

「場所は――」


 美花メイファ久里ジウリに後を言付け、岩から飛び降りた。



 

        ◆




 白梅宮の扉を開けた瞬間、内側から引っ張られた。転がり込むように部屋へと入ると、背後でバタンとすぐに扉が閉められる。

 まったく。どうして、彼はいつもこんないきなりな対応しかできないのか。


「……今、私は休暇中なんだけど? 飛訓フェイシン


 手を握る相手を、湿った目つきで見上げる。


「それはちょうど良かった。ここで過ごせば良いじゃないですか」


 相変わらず、嘘くさい笑みをする男だ。

 美花メイファは部屋の中をキョロキョロと見回す。飛訓フェイシン以外に人の気配はない。


「虎文は? 私、彼に呼ばれて来たんだけど。至急だって言うし」

「ああ、それは陛下が俺のために。いやあ、皇族の方の神能ってすごいですね。遠く離れた美花メイファの様子も見ることができるとは」


 なんとなく読めてきた。


「……六竜リウロンね?」

「近頃は、殿下も積極的に参政されるようになって、よく日華殿の執務室にいらっしゃるんですよ。お二人は会うたびにあなたの話題を口にされましてね、今日もそのような感じで」

「わかったわ。それで、何気なしに六竜リウロンが遠見を使ったのね」

「ええ。あなたが幼馴染みだという男と家族になろうとしていると、殿下が騒ぎ出したので、陛下が阻止に動かれましてね」

「えぇ……神能の使い方が俗っぽすぎるわぁ」


 確か、神能は使うとすごく疲れるから、滅多に使わないと言っていなかったか。もっと重要な場面で使うべきだろう。


「もうっ、また何かあったのかって、心配しちゃったじゃない」

「ご安心を。あれから、昼も夜も陛下は安心して過ごされてますから」

「それなら良かったけど」


 飛訓フェイシンに手を引かれるまま美花メイファは大人しく付き従う。窓際に置かれた長牀に飛訓フェイシンが座り、隣にと握られた手をクイッと引っ張られた。

 大人しく隣に腰を下ろすと、腰を抱き寄せられる。


「ここに私が来るのは、十日に一度だって決めたじゃない」

「今日は緊急事態だったので仕方ありませんよ。俺の美花メイファに虫が付きそうだったんで」

久里ジウリも、あなたが私の特別だって知ってるから、あれは冗談よ」


 飛訓フェイシンに愛を告げられて、美花メイファは彼の言葉を受け入れた。

 ただし、飛訓フェイシンと一緒に表の世界では生きられなかった。そう決めたのは美花メイファだ。


 家族を守りたかった。虎文を六竜リウロンを狗哭の郷の者達を、そして飛訓フェイシンを。そのためには、美花メイファは狗哭のままでいる必要があった。一瞬の遅れが命取りになる世界だ。何か起こった時、狗哭にいなければ情報が遅れてしまう。


 大切な人達を守るためには、影の中で生きていく必要があった。

 自分の存在が誰かを不幸にする可能性があるのなら、その不幸をすべて摘み取って、大切な人達を守っていく――それが、美花メイファが選んだ道。


 その代わり、十日に一度。白梅宮で飛訓フェイシンと逢瀬を重ねることになった。


しょくじょけんぎゅうみたいね」

「十日に一度は会える俺のほうが、牽牛よりも幸せ者ですね」

「ふふっ、誰と張り合ってるのよ」


 格子窓から射し込む太陽の透明の光は、すり硝子を通して真っ白になっていた。

 白く、透き通った、光り輝く暖かな陽射し。


「眩しい……」


 美花メイファは目の前に手をかざして影を作った。

「慣れますよ」と、飛訓フェイシンが頬を撫でた。

 ただ光の中に座って過ごすだけの時間の、なんと穏やかなことか。

 身体も思考も、すべて暖かで柔らかな繭に包まれた心地だ。


「……眠くなってきたわ」


 彼の手はそのまま美花メイファの頭を抱くと、ゆっくりと肩の上に乗せた。

 瞼が重くなる。

 視界が狭まり、目に映る景色が真っ白な光だけになる。

 頭を撫でる優しい手。

 頬に感じる自分と違う心地好い体温。

 冬の澄んだちょっとひやりとした空気。

 涼やかな鳥の鳴き声。

 魚が跳ねた水音。


飛訓フェイシン……ずっと……離れないで、ね……」


 頭を撫でる手が一瞬だけ止まったが、すぐにまた撫でてくれる。


「ええ、ずっと傍にいますから。安心しておやすみなさい、俺の可憐な人」


 すべてが平穏だった。




 ああ、これが幸せなのね――。




 

       ◆



 

 とある時代。

 ろうていの後宮に、花美人という花も恥じらい、飛ぶ鳥が見蕩れて落ちるほどの美妃がいた。

 いっときは皇帝の寵妃とされた彼女だが、不思議なことに、彼女の姿を見た者は驚くほど少なかった。


 彼女の宮に人けはほぼなく、しかも決まった者しか近付くことができなかった。

 しかし、時折宮からは幸せそうな男女の笑い声が聞こえてくることがあり、いつからか、子の声もまざるようになった。


 誰しもが首を傾げた。

 この宮には誰が住んでいるのだろうと。


 宮に立ち入ることができた者達――皇帝、王弟、皇帝の寵妃、皇太后、そして皇帝の護衛兵――に訊けば、彼らは口を揃えて言った。


『ここに住むは、可憐な人だ』と。




【了】




――――――――――――

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

お疲れ様、よかった、など思ってくださったら、下部より★を入れてくださると、次回作の気力になります!よろしくお願いいたします。





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皇帝の影は、後宮の可憐~男装皇帝は護衛兵の性癖を歪ませる~ 巻村 螢 @mkei

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