バレてはいけない…はずだったのに
夜。寝る前、必ず寝所には薬が運ばれてくる。
薬を水呑みの中の湯で溶いて薬湯にするのだが、
しかし、規定量を飲み終わるまで侍医が監視して出て行かないので、息を止めてひたすら無心で飲むしかない。血や毒は平気だが、昔から苦いのだけは嫌なのだ。
「陛下、お薬の時間です」
寝台に腰掛けていると、部屋の外から声が掛かった。
いつも通り入室を許可すると、入ってきた壮年の侍医は、寝台の傍らにある卓でさっそく薬湯の準備をはじめた。
「いつもの侍医はどうした」
「
「皇太后宮か。ならば仕方あるまいな」
皇太后は先帝の皇后であり、
たとえ世代が変わろうとも、先帝の皇后だったという肩書きは強いもので、
カチンカチンと、薬を溶かす匙が、陶器の水呑みの縁にあたって涼しげな音をたてる。
「君に言うのもなんだが、実は、私はこの薬湯が嫌いでね」
「ふふ、陛下でも嫌いなものがあるのですね」
「当然だ」
「わたくし共にとって、陛下はこの大地を統べられる神にも等しい存在ですので、少々意外でした」
やっと薬が溶けたのか、ずっと響いていた繊細な音が止んだ。
「しかし、こればかりは嫌でも飲んでいただきませんと。早く回復なさってくださいませ」
「ああ、そうだな。それじゃあ――」
「飲んでみろ」
しかし、次の瞬間には、水呑みは再び侍医の胸へと押し戻されていた。
「……え」
侍医の顔が強張った。
「聞こえなかったか? 飲めと言ったんだ。神にも等しいこの私が言ってるんだ。お前に飲まないという選択肢があるのか」
水呑みを持つ侍医の手が震えはじめる。水呑みは、蓋をした茶器に三角の飲み口がついている形なのだが、飲み口からチャプチャプとした水音が聞こえていた。
「こ、こちらは陛下のための薬湯ですので……つ、使っています薬草も高価で、わたくしめには勿体なくございまして……」
「お前の主は誰だ?」
「……っへ、陛下でございます」
「では、主の言うことには従わないとなあ?」
薄暗い中でも、侍医の顔色がだんだんと青ざめていっているのが分かった。
「飲め」
「――っ!」
侍医の手から水呑みが落ち、床で砕け散った。割れた破片と一緒に薬湯が飛び散る。侍医は踵を返して、脱兎の如く寝室の入り口へと向かっていた。
しかし、それよりも
「あ゛あ゛っ!?」
侍医の右腕は背中でねじり上げられていた。
首元には小刀を突きつけられ、侍医の奥歯がカチカチと恐怖で揺れる。
「お、お許しください、お許しください、陛下――い゛ぃッ!」
「それは、お前の返答次第だ」
本来、病人である皇帝がこのような機敏な動きができるはずがないと、少し考えればわかることだろうに、彼は壊れたように「お許しください」とばかり呟いていた。
掴んだ腕から、彼の震えが伝わってくる。
「あの薬湯は毒だな?」
「もっ、もぅし……わけ、ありませ……っ」
「誰に頼まれた?」
「お、おゆ、ゆぅ……許し、を……っ」
侍医の呼吸は荒くなり、声よりも、ヒューヒューと息が喉をかする音のほうが大きくなっていた。
今まで襲ってきた刺客とは明らかに違う。
奴等は、拘束された次の瞬間には舌を噛んで死んだ。
この侍医は、
そうであれば、懐柔できる余地はある――と思っていたのに……。
「ん゛ぐっ!」
突然、侍医は口から大量の血を吐いて、床に崩れ落ちてしまった。
「……冗談でしょ」
思わず、『
侍医は血だまりの中で泡を吹いて沈黙している。
毒だ。
どこかに隠し持っていたのを隙をついて飲まれたか、それとも、最初から口の中に忍ばせていたのか。
もしくは、はじめから遅効性の毒を飲まされていたか……。
「ここまでだなんて……」
背後に控える黒幕は、やはりそれほどの者ということか。
床に転がる男を眺め、しかし、このままこうしているわけにもいかず、頭を振って意識を切り替える。
「とりあえず、狗哭に処理を――」
しかし突如、部屋の外の気配が騒がしくなった。
入室の声掛けもなく、いきなり扉がバンッと強い音をたてて開けられた。
「兄上ッ!」
飛び込むようにして入ってきた男に、
しまったと思った時には手遅れだった。
同じように、男も目の当たりにした光景に、眦が裂けんばかりに見開いて息をのんでいた。
――――
文字数が多いと思うので(特に中華だと読みにくいと思うので)、明日の更新分から一日二話に分割します。(朝と夜)
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