バレてはいけない…はずだったのに

 夜。寝る前、必ず寝所には薬が運ばれてくる。

 薬を水呑みの中の湯で溶いて薬湯にするのだが、メイファはこれがあまり好きではない。いたって健康な彼女にとって、美味くもないただの苦い湯など不要の拷問に等しい。

 しかし、規定量を飲み終わるまで侍医が監視して出て行かないので、息を止めてひたすら無心で飲むしかない。血や毒は平気だが、昔から苦いのだけは嫌なのだ。


「陛下、お薬の時間です」


 寝台に腰掛けていると、部屋の外から声が掛かった。

 いつも通り入室を許可すると、入ってきた壮年の侍医は、寝台の傍らにある卓でさっそく薬湯の準備をはじめた。


「いつもの侍医はどうした」

ビン侍医でしたら皇太后宮へ。ちょうど陛下の元へ向かう直前、皇太后宮の侍女が怪我人が出たからとやって来まして、屏侍医が対応を……」

「皇太后宮か。ならば仕方あるまいな」


 皇太后は先帝の皇后であり、フーウェンの義母にあたる人だ。

 たとえ世代が変わろうとも、先帝の皇后だったという肩書きは強いもので、フーウェンよりも優先されたのをみると、未だに権力は衰えていないのだろう。

 カチンカチンと、薬を溶かす匙が、陶器の水呑みの縁にあたって涼しげな音をたてる。メイファは目を閉じ、いつもより長く感じるその音に耳を傾けていた。


「君に言うのもなんだが、実は、私はこの薬湯が嫌いでね」

「ふふ、陛下でも嫌いなものがあるのですね」

「当然だ」

「わたくし共にとって、陛下はこの大地を統べられる神にも等しい存在ですので、少々意外でした」


 やっと薬が溶けたのか、ずっと響いていた繊細な音が止んだ。


「しかし、こればかりは嫌でも飲んでいただきませんと。早く回復なさってくださいませ」

「ああ、そうだな。それじゃあ――」


 メイファは、侍医が差し出した水呑みを受け取り一瞥した。



「飲んでみろ」



 しかし、次の瞬間には、水呑みは再び侍医の胸へと押し戻されていた。


「……え」


 侍医の顔が強張った。


「聞こえなかったか? 飲めと言ったんだ。神にも等しいこの私が言ってるんだ。お前に飲まないという選択肢があるのか」


 水呑みを持つ侍医の手が震えはじめる。水呑みは、蓋をした茶器に三角の飲み口がついている形なのだが、飲み口からチャプチャプとした水音が聞こえていた。


「こ、こちらは陛下のための薬湯ですので……つ、使っています薬草も高価で、わたくしめには勿体なくございまして……」

「お前の主は誰だ?」

「……っへ、陛下でございます」

「では、主の言うことには従わないとなあ?」


 薄暗い中でも、侍医の顔色がだんだんと青ざめていっているのが分かった。



「飲め」



「――っ!」


 侍医の手から水呑みが落ち、床で砕け散った。割れた破片と一緒に薬湯が飛び散る。侍医は踵を返して、脱兎の如く寝室の入り口へと向かっていた。

 しかし、それよりもメイファのほうが速かった。


「あ゛あ゛っ!?」


 侍医の右腕は背中でねじり上げられていた。

 首元には小刀を突きつけられ、侍医の奥歯がカチカチと恐怖で揺れる。


「お、お許しください、お許しください、陛下――い゛ぃッ!」


 メイファの手が侍医の右腕を更にねじった。


「それは、お前の返答次第だ」


 本来、病人である皇帝がこのような機敏な動きができるはずがないと、少し考えればわかることだろうに、彼は壊れたように「お許しください」とばかり呟いていた。

 掴んだ腕から、彼の震えが伝わってくる。


「あの薬湯は毒だな?」

「もっ、もぅし……わけ、ありませ……っ」

「誰に頼まれた?」

「お、おゆ、ゆぅ……許し、を……っ」


 侍医の呼吸は荒くなり、声よりも、ヒューヒューと息が喉をかする音のほうが大きくなっていた。

 今まで襲ってきた刺客とは明らかに違う。

 奴等は、拘束された次の瞬間には舌を噛んで死んだ。

 この侍医は、こちら側の人間ではない。表側の人間なのは間違いない。

 そうであれば、懐柔できる余地はある――と思っていたのに……。


「ん゛ぐっ!」


 突然、侍医は口から大量の血を吐いて、床に崩れ落ちてしまった。


「……冗談でしょ」


 思わず、『メイファ』が出てしまった。

 侍医は血だまりの中で泡を吹いて沈黙している。

 毒だ。

 どこかに隠し持っていたのを隙をついて飲まれたか、それとも、最初から口の中に忍ばせていたのか。

 もしくは、はじめから遅効性の毒を飲まされていたか……。


「ここまでだなんて……」


 背後に控える黒幕は、やはりそれほどの者ということか。

 床に転がる男を眺め、しかし、このままこうしているわけにもいかず、頭を振って意識を切り替える。


「とりあえず、狗哭に処理を――」


 しかし突如、部屋の外の気配が騒がしくなった。

 入室の声掛けもなく、いきなり扉がバンッと強い音をたてて開けられた。


「兄上ッ!」


 飛び込むようにして入ってきた男に、メイファは瞠目した。

 しまったと思った時には手遅れだった。

 同じように、男も目の当たりにした光景に、眦が裂けんばかりに見開いて息をのんでいた。



――――

文字数が多いと思うので(特に中華だと読みにくいと思うので)、明日の更新分から一日二話に分割します。(朝と夜)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る