第一章 偽皇帝と王宮事情

専属護衛兵がつくなんて聞いてない

「いや、あまりにも想定外でしょ……」


 日華殿の執務室。

 メイファは、ひとり執務机で頭を抱えていた。


「そりゃ、皇帝暗殺だもの。襲ってくるのは、そこら辺の雇われ暗殺者とは思ってなかったけど……ここまでのものとも思ってなかったわよ……っ」


 既に当初予想していた、任務完了まで一週間というのは過ぎている。しかし、メイファは送り込まれてくる刺客から、何ひとつ情報を得られていなかった。


 皇帝になって十日。

 襲ってきた刺客は二人。

 ひとり目は、深夜、寝ている時に寝所で。

 二人目は、日華殿から湯殿に向かっている途中、建物の影になった場所で。

 もちろん、この身体には傷ひとつつけられていないし、返り討ちにして拘束した。

 したのだが……全員口を割るよりも自死を選んだ。

 これは異常なことだった。


 狗哭も、万が一皇家に仇なす者に捕まった際は、自決するようにと決められている。皆、皇家に忠誠を誓ってはいるが、拷問の責め苦に屈して情報を吐かないとも限らない。その前に自ら口を塞げということだ。ただ、これは忠誠相手が皇家だからというのが大きい。

 今回の刺客達は誰に雇われたのか不明だが、全員が全員同じように自決するとは、明らかに予想外であり異常だ。刺客になるような者は流れ者が多く、雇われる時は忠誠ではなく見返りの大きさのほうが重要視される。

 生き残ってこそなのだ。


「なのに、命を懸けるって……いったい誰がフーウェンを狙ってるのよ」


 黒幕は、それほどに忠誠を抱かせる相手なのか。

 しかも、気を付けなければならないのは、刺客だけではなかった。


「今のところ毒を入れられたことはないけど、フーウェンのあの状態は絶対に毒の影響もあったでしょうから、今入れられてないからって安心はできないのよね」


 皇帝の食事には毒味役がつく。

 茶を飲む時ですら、淹れた者がその場で試飲して渡される。

 だから、ある程度は安全なのだが、そうなるとフーウェンの弱りかたが気になった。


「食事じゃないのなら、どこで毒を盛られていたのかしら」


 確かに、毒の摂取は口からのみということもない。

 思いのほか、気を付けなければならないことばかりで、自然とため息が漏れた。

 よくフーウェンはこの中で皇帝を勤めてきたものだ。

 確か、彼は即位して三年だったか。

 三年も気を張り詰め続けていれば、誰だって死相もでるだろう。


「それと……私はもうひとつ注意しないと……」


 顔を覆った手の下で、メイファは苦々しい表情を作った。

 どちらかと言えば、刺客や毒よりも自分にとっては、こちらのほうが問題なのであって……。

 執務室の扉がコンコンと叩かれた。


「陛下、朝議の時間ですのでそろそろ……」


 自分とは違う、太く逞しい男の声だ。

 メイファはすぐに喉を調整し、意識を『狗哭のメイファ』から『皇帝のフーウェン』へと切り替える。


「分かった、すぐに行く」


 メイファは重い腰をゆっくりと上げ部屋を出る。

 開けた扉の向こう。

 待っていたのは、皇帝直属軍――禁軍特有の漆黒の長衣をまとった、メイファより少し年長の青年。


「それじゃあ行こうか、フェイシン


 フェイシンは「ハッ」と武官らしく短く応えると、メイファの斜め後ろにピタリとつく。


「…………」


 確かに皇帝だし、身の回りの世話をする者がつくのは知っていた。

 だが――。


(専属の護衛兵がつくなんて聞いてないわよ、お父様……っ)


 この任務が終わったら、やはり父には辞世の句でも詠んでもらうしかない。

 





 皇帝の日常的な身の周りの世話は、内朝の物事を管理している女官や宦官の役目だ。

 皇帝の着替えや湯浴みの介助は女官の役目なのだが、もちろん影武者になって最初に今後は不要だと断っている。

 当然、不思議そうな顔をされたが、薬の副作用で人に見せられないような肌になっているからと言えば、気の毒そうな顔をしながら了承してくれた。

 皆、薄々と皇帝がただの病ではないと気付いていたのだろう。

 それでも、この三年、誰も皇帝を助けようとはしなかった。

 そんな彼が、唯一自分の隣に置き続けたのが、フェイシンという武官だった。


フェイシン……そんなに近寄らなくても良くないか」


 肩越しにフェイシンへと目を向ける。

 ぴったりと斜め後ろを歩く彼は、こちらが歩幅を変えても同じ距離を保ってついてくる。


「近いでしょうか。いつもと同じですが」


 近いと言っているのに、不意に、なぜかフェイシンの顔が近付いてきた。


「……なんだ?」


 彼はスンスンと鼻を揺らし、眉をひそめる。


「陛下、焚かれる香を変えましたよね?」

「最近、お前はそればっかり言うな。何度も言うが、何も変えていない」


 メイファは「近い」と言って、首元に寄ってきたフェイシンの顔を手で押し返した。

 フェイシンメイファの返答に納得がいっていないのか、まだ眉をしかめている。


(何? 変な匂いでもする? でも、本当に何も変えてないんだけど……)


 つい、袖口の匂いを嗅いでしまった。しかし、やはり違いはないように思う。最初にフーウェンと会った時に覚えた彼の香りと同じだ。

 香も衣装もすべてフーウェンが使用していたものを使っているから、違いなどないはずなのだが。


「お前の勘違いだ。きっと、秋風にのってやって来た花の香りが邪魔してるんだろう」

「そうですかね。結構、同僚達に鼻が良いと言われるのですが」

「その鼻の良さは戦場での話だろう。あいにく、王宮には槍を持った伏兵などいないから、今はそれこそ無用の長物だな」


 彼は釈然としていないのか、まだスンスンと美隣で鼻を鳴らしていた。


「はぁ……それよりも、もう少し離れてくれないか。身体の大きなお前がそんな近くにいると、圧迫感があって余計に暑苦しいんだ」


 武官らしい分厚くも引き締まった体躯は、彼の長身とも相まって、たじろぐくらいには圧が強い。

 纏う長衣と同じ色の短髪は、本来闊達な印象を与えるはずなのだが、いつも冷めた顔をしているからか、明るさや闊達さなど微塵もない。

 加えて、黒ずくめの禁軍の衣装のせいで、いっそう凄みが増している。こんな晴れ渡った秋空の下、ここだけ嵐でも巻き起こりそうだ。

 圧迫というより、もはやこれは威圧だと思う。

 しかし……。


「陛下の御身を守るのが私の役目ですし、ね?」


 フェイシンは、にっこりと人好きのしそうな笑みでもって首を傾げた。

 そう、この男は無愛想一辺倒というわけでなく、こういった小技も使ってくる。普段、無愛想な人間が不意に笑みを見せれば、誰でも心に隙ができるというもの。

 狗哭でも潜入時の技として学ぶ、人心掌握術である。

 メイファには効かないが、そのような小技を使ってくるのも苦手だった。

 あと、単純に笑みが嘘くさい。


「そんな顔しても、暑苦しいものは暑苦しいんだ。離れろ」

「護衛が離れたら護衛できませんから。それでは役目放棄だと私が罰せられてしまいます。それに、また倒れられては危険ですから」


 どうやら、フーウェンは以前歩いている途中に倒れたことがあるようだ。

 あの容態ならさもありなんか。


(というか、つまり離れないと?)


 皇帝が離れてくれてと言ったのなら、普通の者だったら一も二もなく言うことを聞くというのに、この男は……。


フーウェンも、よく望んでこんな男を傍に置き続けたわよね……兄妹だけど好みは全然違うみたいね)


 フェイシンという専属の護衛兵がつくと分かった時、すぐに諜報部隊にフーウェンフェイシンとの関係を調べてもらった。


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