あの暗殺娘、不安しかない 

 狗哭の里は、いわば隠れ里である。

 照国王都の北側に厳然として佇む山――『ざん』。

 険しく切り立った崖や、無造作に生い茂った大小の樹木が乱立するせいで、人が立ち入ることは滅多にない。時折、狩りに来た猟師が、山から下りてきたイノシシを捕まえていくくらいだ。

 そんな玻山の奥深く。誰も住まないだろうというところに里はあった。必要な広さのみ切り開き、それ以外は自然のまま。里に入るには、獣道を上下左右に複雑に進まなければならず、無闇に山の中を歩き回っても、決して里にはたどり着けないようになっている。





 背中に担いでいた皇帝を敷布に寝かせ、ジウチヨウの家を出た。

 元より弱っていたこともあって、背中に負ぶって里まで走っている間に寝てしまったようだ。

 平民が使う質素な敷布に、正絹の夜着をまとった貴人が寝ている光景は、なかなかに珍妙なものだったが今は仕方がない。豪華さは皇帝の寝殿とは比ぶべくもないが、安全性でいえば、チヨウの家のほうがはるかに上だ。

 家を出てすぐ脇にある切り株に、チヨウは座っていた。

 ジウは、背中を家の壁に預ける。


「あいつ、皇家の血を引いとったんですね」

「驚かないんだな」

「この里にいる時点で、皆何かしらのワケありですし」

「それもそうだ。だが、あまり周りには言うなよ」

「っても、陛下の顔を見たら、皆気付くと思いますけどね。それに、バレたところで誰もなんもせえへんやろし」


 狗哭は皇家に忠誠を誓っている。

 好悪感情でというより、そのように教育されてきたが故と言ったほうが正しい。好悪がない分、より忠誠の純度が高い。自身の存在意義と言ってもいい。

 だから、メイファが皇家の血を引いていたとしても、わざわざ言いふらして皇家を不利にするような者はいないだろう。もしかしたら、王宮の任務に当たっている者で、皇帝の顔を見たことがある者は既に気付いていたかもしれない。が、その話がこちらに届いていない時点で、それが答えだろう。


メイファは上手くやれると思うか?」

「あいつ自身が言うたように、あいつは強いし場を読む能力も抜群ですよ。よっぽどな多勢に無勢やない限り、どの任務も完遂してきとるし。まあ……何もなければの話ですけど」

「何も……なあ……」


 ジウはチラッとチヨウを横目で見やった。チヨウも同じくジウに目だけを向ける。

 次の瞬間、二人は深く息を吸った後、腹の底から大きなため息を吐き出した。


「はぁぁ……何もないわけないよなあ」

「ですよねえ……」


 王宮など、権力と欲望と愛憎のるつぼでしかない。

 どう足掻いても、何もないはずがないのだ。

 まず、皇帝暗殺が頻繁に行われている時点で普通ではないのだし。


「お前が言うようにメイファは優秀な暗殺者だ、基本的にはな。――っただ! 自分が許せないと思うことがあると、後先考えず武力に突っ走るんだよ!」

「分かりますー! いや、武力ってか暴力ですわ、あれ。知ってます!? この間、女を無理矢理金で買い漁ってた県令の頭を剃り散らかして、『僕は乳離れできない赤ちゃんでちゅ』て布と一緒に城壁に全裸で吊るしたんあいつですよ!? 一緒に任務状況確認しに行った奴、『憐れすぎて無理』って震えてましたわ」

「きっつ……さすが、メイホウが手塩に掛けて育てただけはあるな。的確に人の一番嫌なところを抉ってくる」

「あれ、おさが教育したんやないんです?」

「暗殺術や技術面に関しては儂だが、精神面というか心持ちとか……そっちは明芳だ」

「はは、納得ですわ」


 明芳は、チヨウと共に里を率いた女傑だ。

 既に亡くなっているが、メイファの育ての母親でもある。基本的に、狗哭の女は潜入部隊に入り、花楼や後宮など比較的直接の衝突がない場所で情報収集をする。だが、明芳はチヨウと共に最前線で戦い続けた人だ。暗殺術だけでなく詐術、話術、房中術とあらゆる手札を持っていた。特に、最小限の行動で対象者の心を折るのを得意としていたという話だ。嫌過ぎる。


 そんな女傑に育てられたメイファもやはり、普通の任務であれば難なくこなすし、国の暗部である狗哭に相応しく静かに仕事を終える。しかし、一旦彼女の逆鱗に触れようものなら、こちらが相手に同情してしまうほどのことをしでかすのだ。


「あいつ、政とか分かるんですかね。反対意見とか拳で黙らせそうやないですか。もしくは、それこそ陛下の障害とかいって暗殺したり……」

「そこまで倫理崩壊はしていないと思うが。一応、話を振られて分からない時、切り抜けるための万能の文言は授けたし大丈夫だろう……多分」

「語尾が不安やわぁ」


 皇帝を里に避難させたため、王宮に置いていた人員もすべて里に引き上げてきている。狗哭には人手の余裕などないのだ。

 メイファならば自分の身は自分で守れるし、心配はいらないと思うのだが。


「まあ、頭の良い娘だ。適応力と問題解決力は儂でも目を瞠るものがある。一緒に過ごしていたが、立派に先帝の血を引いていると感じることも多々あった。あの子なら、やり遂げられるだろうて」

「……でも一応、俺が定期的に様子見に行きますわ。ぎりぎりにならへんと、あいつは助けを呼ばんやろうし」


 足元に視線を落として頬を掻くジウを、チヨウが瞼を重くして見つめる。


「お前……あれを嫁にしたら苦労するぞ」

「ばっ!? 違っ、いや、そっ、そんなつもりあらへんわ! 長の勘違い馬鹿ァ!」


 ジウは、顔を真っ赤にして風と共にあっという間に姿を消した。

 先ほどまでジウがいた場所を眺め、チヨウはハンッと片口をあげて笑った。


わか……」



――――――


★や♥、感想など何かしらの反応をいただけますと、執筆の支えになります。

精神&武力共に強い男装娘が王宮の闇を暴き、全員の性癖を狂わせていく物語です。

どうぞよろしくお願いいたします。


明日の更新は2回(12時半ごろ、21時ごろ)です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る