男装の偽皇帝誕生
王宮の中央より北側は、皇帝の私生活の場である内朝が広がる。
その内朝も区画毎に役割が分かれていて、内朝の南側から政治を行う
「
「そのようなお言葉もったいのうございます、陛下。我らは狗哭。皇家をお守りするために存在するのですから」
正直、この場に立つまでは、自分が皇帝の双子の妹などと半信半疑だった。
しかし、寝台で上体だけ起こして座っている男を見たら、父の話が適当ではかったのだと信じざるを得ない。
彼は鏡があるのかと思うほど、自分とよく似た顔立ちをしていた。
だが、驚くほどに生気はない。
父が「一刻を争う」と言った意味がよく分かった。
双子だから歳は同じ二十二だと思うのだが、三十過ぎにしか見えない。
顔は土気色になり、掛布から出ている手は、木の枝のほうがまだ強靱だろうと思えるほどの細さだ。生気がないというよりも、もはや死相が出ている。
日華殿に入るまで、ずっと父に嫌だ嫌だと言っていたが、この光景を見てしまった今は、とても嫌とは言えなくなってしまった。
自分とよく似た目が、
「ああ……あなたが私の妹なんだね。こんな時だけど、会えて嬉しいよ」
意外と声はしっかりしているなと思ったが、喉が小刻みに震えているのを見て、精一杯取り繕っているだけなのだと気付く。
「
はじめて見る血を分けた存在の、あまりの痛々しさに言葉を失っていたら、隣から注意を受けた。慌てて膝を折り、拱手を頭上に掲げる。
「し、失礼いたしました」
「良い良い、気にするな。私の妹だ、
握ったら簡単に折れてしまいそうな手が伸ばされ、思わず掴んでしまった。掴まずにいたら、手がぽろっと取れてしまいそうに見えたのだ。
「
「いえ、鏡があるのかと思いましたわ、陛下」
「名で呼んでくれ。それと口調も。私達は双子の兄妹ではないか」
目で隣の父に確認すれば、瞼で頷かれる。
「……ええ、
「ふふ、可愛いおねだりだ。妹とはこんなに愛らしいものなのだな」
彼は満足そうに頷いた。
握る
ずっと
だから、自分血を分けた兄がいるとは考えたことすらなかった。
ましてや、それが照国の皇帝だとは……。
こみ上げてくる不思議な感情に、知らぬ間に唇を噛んでいた。
「こんな状態でも皇帝を……?」
「こんな状態だからだよ。私にはまだ子がいないからな。玉座を空にした途端、王宮どころか国が荒れる」
疲れたように彼が肩を落とすと、よりいっそう小さく見えた。よくも今日までもったものだ。
弱腰皇帝などと言われているが、それは状況からの渾名だと分かった。彼の芯は強い。
普通ならばとっくに音を上げて掛布の中で丸まっているはずだ。なのに、彼は未だ朝議にも出ているというから驚きだ。
「何かの病気なの?」
「色々だ。毒もあるし、刺客を送られる日も最近は増えてきた。狗哭が処分してくれているが、やはり、夜中に近くで叫声が聞こえたりすると、気が気ではなくてね。寝ずの日が続いて身体を壊してしまったんだ。薬は処方されているのだが、もはや効いているのか分からん」
今の照国は絶対的に治安が良いとは言えないが、それでも荒れているわけではない。周辺国との関係も悪化していないし、苛烈な政治を敷いているわけでもない。
それでも、見えない何者かから死を望まれている。
(本当は笑顔でいるのもキツいくらいなのに、それでもこちらに気を遣わせないように、皇帝としての責務だとばかりに懸命に取り繕ってる彼が、死を望まれる存在?)
そんな馬鹿げた話があるか。
「……許せないわ」
口を突いて漏れ出た声は、自分でも驚くほど禍々しい響きがあった。
「これから陛下は我が里で療養される」
「なるほど。玉座を空にするわけにはいきませんものね。陛下がいないと判明すれば、二心を持った者は自由し放題ですもの。この国で里より安全な場所はありませんし、再び玉座に戻られるまで健在だと思わせればよろしいんですね。ついでに、襲ってくる者達から、指示をしている黒幕の手がかりを得ろと」
「お前は、皆まで言う必要がなくて助かるよ」
里への出入りは容易ではない。あり得ないが、どこかの刺客が侵入したとしても、森の中には狗哭の手練れ達がウロウロしている。
「
暗がりから溶け出したように、するりと一匹の蜘蛛が降りてきた。
否、蜘蛛ではなく黒衣に身を包んだ男だ。後頭部でひとつに結った赤茶けた髪が、暗闇の中チラチラと揺れている。
足音も気配もなく近付いてきた男――
「
独特の抑揚を持つ喋り口調は、彼の特徴だ。
「平気よ、私は実行部隊にいたんだもの。少なくとも、諜報部隊の
「足は俺のほうが速いけどな」
二十三と歳はひとつしか変わらないのに、なぜだかいつもこのように子供扱いしてくる。
「なんかあったら知らせや。ずっと傍にいられるわけちゃうけど、すぐに駆けつけるわ」
面倒見の良い彼らしい言葉だ。
生来の世話焼き気質のようで、仕事明けは、よく里の子達相手に遊んでやっているのも見た。子供達にはにーちゃんにーちゃんと雛鳥のようにピーチクパーチク呼ばれ、懐かれている。
「ありがとう、
「おやおや、私の妹には好い人がいたのか。それは重畳重畳」
寝台からクスクスと、控えめだが楽しそうな声が聞こえて我に返る。
「そんなんじゃないわよ、
「おや、私という兄がいながら。妬いてしまうなあ」
「ご冗談を、陛下」
「
「ええ、完璧にこなしてあげるわ」
「……危ないことはしないでくれよ」
「この状況でそれを言う? もう充分にこの状況が綱渡りよ」
苦笑してやれば、
「では、
「ふぅ……しっかりやれ、ね」
彼の声なら、たくさん聞いた。口調も真似できるには聞いた。
「まったく……どこが影武者よ、これじゃ成り代わりじゃない。話が違うんだけど」
高く女の色があった声は次第に低くなっていき、多少のかすれを声に混ぜ込めば、先ほどまで耳にしていた
「でも、あんな姿の兄を見たら仕方ないわね。サクッと刺客を締め上げて、サクッと犯人を吐かせれば、サクッと任務完了よ――っと、口調も変えないとな。危ない危ない」
さて、一週間あればこちらは片付くだろう。
――――――
次話で本日更新分最後です。21時過ぎです
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