男装の偽皇帝誕生

 しょう国王都・寿じゅえん

 王宮の中央より北側は、皇帝の私生活の場である内朝が広がる。

 その内朝も区画毎に役割が分かれていて、内朝の南側から政治を行うちょうせいどう、皇帝が私生活を送るにっ殿でん、そして皇族と皇帝の后妃達が住まう後宮となっている。


 メイファチヨウは、日華殿の中にある寝殿にいた。当然、門などくぐっていない。狗哭の存在は秘中の秘であり、存在を悟らせてもいけない。


チヨウ、すまないね。苦労を掛ける」

「そのようなお言葉もったいのうございます、陛下。我らは狗哭。皇家をお守りするために存在するのですから」


 正直、この場に立つまでは、自分が皇帝の双子の妹などと半信半疑だった。

 しかし、寝台で上体だけ起こして座っている男を見たら、父の話が適当ではかったのだと信じざるを得ない。

 彼は鏡があるのかと思うほど、自分とよく似た顔立ちをしていた。

 だが、驚くほどに生気はない。

 父が「一刻を争う」と言った意味がよく分かった。


 双子だから歳は同じ二十二だと思うのだが、三十過ぎにしか見えない。

 顔は土気色になり、掛布から出ている手は、木の枝のほうがまだ強靱だろうと思えるほどの細さだ。生気がないというよりも、もはや死相が出ている。

 日華殿に入るまで、ずっと父に嫌だ嫌だと言っていたが、この光景を見てしまった今は、とても嫌とは言えなくなってしまった。

 自分とよく似た目が、チヨウからこちらへと向けられる。


「ああ……あなたが私の妹なんだね。こんな時だけど、会えて嬉しいよ」


 意外と声はしっかりしているなと思ったが、喉が小刻みに震えているのを見て、精一杯取り繕っているだけなのだと気付く。


メイファ、陛下に挨拶を」


 はじめて見る血を分けた存在の、あまりの痛々しさに言葉を失っていたら、隣から注意を受けた。慌てて膝を折り、拱手を頭上に掲げる。


「し、失礼いたしました」

「良い良い、気にするな。私の妹だ、チヨウ。せっかく会えたのに、堅苦しいことは抜きにしよう」


 握ったら簡単に折れてしまいそうな手が伸ばされ、思わず掴んでしまった。掴まずにいたら、手がぽろっと取れてしまいそうに見えたのだ。


メイファと言うのだね。私はジョウフーウェン。世ではろうていなどと呼ばれている。または、弱腰皇帝ともね。ははっ、それにしても、思わず笑ってしまうくらい、本当に似ているなあ。まあ……今の私と似ていると言っても信じられないだろうが」

「いえ、鏡があるのかと思いましたわ、陛下」

「名で呼んでくれ。それと口調も。私達は双子の兄妹ではないか」


 目で隣の父に確認すれば、瞼で頷かれる。


「……ええ、フーウェン。ねえ、もっと声をよく聞かせて。色々話しましょう」

「ふふ、可愛いおねだりだ。妹とはこんなに愛らしいものなのだな」


 彼は満足そうに頷いた。

 握るメイファの手に力が籠もる。フーウェンの手は簡単に折れはしなかったが、握り返された指の力は赤子よりも弱かった。

 ずっとメイファは拾い児だと言われてきた。

 だから、自分血を分けた兄がいるとは考えたことすらなかった。

 ましてや、それが照国の皇帝だとは……。

 こみ上げてくる不思議な感情に、知らぬ間に唇を噛んでいた。フーウェンに「綺麗な顔は歪めるものじゃないよ」と苦笑と共に言われて気付いた。


「こんな状態でも皇帝を……?」

「こんな状態だからだよ。私にはまだ子がいないからな。玉座を空にした途端、王宮どころか国が荒れる」


 疲れたように彼が肩を落とすと、よりいっそう小さく見えた。よくも今日までもったものだ。

 弱腰皇帝などと言われているが、それは状況からの渾名だと分かった。彼の芯は強い。

 普通ならばとっくに音を上げて掛布の中で丸まっているはずだ。なのに、彼は未だ朝議にも出ているというから驚きだ。


「何かの病気なの?」

「色々だ。毒もあるし、刺客を送られる日も最近は増えてきた。狗哭が処分してくれているが、やはり、夜中に近くで叫声が聞こえたりすると、気が気ではなくてね。寝ずの日が続いて身体を壊してしまったんだ。薬は処方されているのだが、もはや効いているのか分からん」


 今の照国は絶対的に治安が良いとは言えないが、それでも荒れているわけではない。周辺国との関係も悪化していないし、苛烈な政治を敷いているわけでもない。

 フーウェンの治世は荒れていないのだ。

 それでも、見えない何者かから死を望まれている。


(本当は笑顔でいるのもキツいくらいなのに、それでもこちらに気を遣わせないように、皇帝としての責務だとばかりに懸命に取り繕ってる彼が、死を望まれる存在?)


 そんな馬鹿げた話があるか。


「……許せないわ」


 口を突いて漏れ出た声は、自分でも驚くほど禍々しい響きがあった。


「これから陛下は我が里で療養される」


 チヨウの言葉に、一瞬遅れてメイファは頷いた。


「なるほど。玉座を空にするわけにはいきませんものね。陛下がいないと判明すれば、二心を持った者は自由し放題ですもの。この国で里より安全な場所はありませんし、再び玉座に戻られるまで健在だと思わせればよろしいんですね。ついでに、襲ってくる者達から、指示をしている黒幕の手がかりを得ろと」

「お前は、皆まで言う必要がなくて助かるよ」


 里への出入りは容易ではない。あり得ないが、どこかの刺客が侵入したとしても、森の中には狗哭の手練れ達がウロウロしている。チヨウがひと声あげれば、袋のネズミだ。そのチヨウだとて、未だに実行隊を率いる現役なのだから、彼がフーウェンの傍にいれば何が来ても大丈夫だろう。それに里にも薬師はいるし、療養には最適な場所だ。


ジウ」と、チヨウが天井の暗がりに向かって叫んだ。


 暗がりから溶け出したように、するりと一匹の蜘蛛が降りてきた。

 否、蜘蛛ではなく黒衣に身を包んだ男だ。後頭部でひとつに結った赤茶けた髪が、暗闇の中チラチラと揺れている。

 足音も気配もなく近付いてきた男――ジウは、メイファの前までやって来ると、彼女の頭を大きな手で撫でた。


メイファ、ほんまにひとりで大丈夫か」


 独特の抑揚を持つ喋り口調は、彼の特徴だ。


「平気よ、私は実行部隊にいたんだもの。少なくとも、諜報部隊のジウよりは強いわ」

「足は俺のほうが速いけどな」


 ジウは里で一緒に育った仲間であり、謂わば幼馴染みだ。

 二十三と歳はひとつしか変わらないのに、なぜだかいつもこのように子供扱いしてくる。


「なんかあったら知らせや。ずっと傍にいられるわけちゃうけど、すぐに駆けつけるわ」


 面倒見の良い彼らしい言葉だ。

 生来の世話焼き気質のようで、仕事明けは、よく里の子達相手に遊んでやっているのも見た。子供達にはにーちゃんにーちゃんと雛鳥のようにピーチクパーチク呼ばれ、懐かれている。


「ありがとう、ジウ

「おやおや、私の妹には好い人がいたのか。それは重畳重畳」


 寝台からクスクスと、控えめだが楽しそうな声が聞こえて我に返る。


「そんなんじゃないわよ、フーウェンジウとは昔から一緒に育って、それこそ兄妹みたいなのよ」

「おや、私という兄がいながら。妬いてしまうなあ」

「ご冗談を、陛下」


 ジウは苦笑しつつも、自分が呼ばれた役目に努める。軽々とフーウェンを背負い、目隠しに彼の頭上から羽織を被せてしっかりと紐で腰に結びつける。


メイファ、大変な役目をすまないね。私は必ず戻るから、それまで『フーウェン』は任せたよ」

「ええ、完璧にこなしてあげるわ」

「……危ないことはしないでくれよ」

「この状況でそれを言う? もう充分にこの状況が綱渡りよ」


 苦笑してやれば、フーウェンも「確かに」と申し訳なさそうに苦笑を返した。


「では、メイファ。しっかりやるんだぞ」


 チョウの声を合図に、瞬きの一瞬で三人の姿は音もなく消えていた。


「ふぅ……しっかりやれ、ね」


 メイファは喉に触れながら「あ、あ」と声を調整する。

 彼の声なら、たくさん聞いた。口調も真似できるには聞いた。


「まったく……どこが影武者よ、これじゃ成り代わりじゃない。話が違うんだけど」


 高く女の色があった声は次第に低くなっていき、多少のかすれを声に混ぜ込めば、先ほどまで耳にしていたフーウェンの声に仕上がる。


「でも、あんな姿の兄を見たら仕方ないわね。サクッと刺客を締め上げて、サクッと犯人を吐かせれば、サクッと任務完了よ――っと、口調も変えないとな。危ない危ない」


 さて、一週間あればこちらは片付くだろう。


――――――


次話で本日更新分最後です。21時過ぎです

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