序章 暗殺娘は男装して偽皇帝になる

暗殺娘の正体

 古来より、貴人の双子は忌まれる。

 ひとつを分かち生まれてきた双子は、どちらも欠けた存在と見なされ、貴人にのみ与えられるという天の恩寵も、半分になると考えられていた。

 その中で、皇帝と貴妃の間に子ができた。皇帝にとって初めての子であった。

 貴妃がお産のために産屋に入った時、外は嵐だった。

 雷鳴が轟き、風は唸り、雨は大地を激しく打ち付け、山が火を噴いた。

 しかし、貴妃が子を産むと同時に嵐は止み、大地は何事もなかったかのように静まり、王宮に天から茜色の梯子が掛かった。


 宮廷占術師が言った。


『難事を鎮め生まれてきた子には龍神の加護が宿っている。きっと国に難事があろうとも加護の子が福と成すだろう』


 その言葉に、さらに皆がわいた。

 たなびいた雲が夕日に色づけられ、皇家の象徴である黄龍が空を泳いでいると、誰もが指さして喝采した。


 しかし、生まれた子は双子。


 可愛らしい、男と女の双子であった。




        ◆




 萎びた山小屋の中。

 囲炉裏を挟んで若い女――メイファと、小屋と同じくらい歳を重ねた男――チヨウが座っている。囲炉裏には鍋がさがっており、食欲をそそる香りが小屋に漂う。

 メイファは先にチヨウの椀に汁を多めに注いだあとで自分の椀にも注ぐ。しかし、まだ口に運ぶようなことはしない。

 彼が箸を料理につけてはじめて、食事が許される。

 この家だけでなく、年長者を敬う里の暗黙の掟のひとつだ。


「仕事だ、メイファ

「はいはい。次はどんな任務ですの」


 仕事の話だというのに畏まった雰囲気はなく、二人とも椀を傾けながら日常会話のひとつとして話を続ける。


「どこかの一族を全滅させます? それとも、後宮など知らないと嘘吐く脱走宮女を山中に埋めまして? ああ、酔って陛下の悪口を犬に吹き込んでいた官吏を、市中四足歩行引き回しの刑に処すのもよろしいですわね」


 表情を変えずになかなかに恐ろしいことを言った口で、平然と汁をすすって「美味し」と言うメイファに、チヨウは目の下を痙攣させた。


「相変わらず、口調と言うことの乖離が激しいな、お前は」

「仕方ありませんわ。お母様にこのように躾られたんですもの。文句はお母様に言ってくださいませ。ああ、そうすると、お父様も天へと向かわなければなりませんわね。ご自分でいけます?」


 背中に手を回しながら言ってくるメイファに、チヨウは椀を置いて手で顔を覆った。彼女の帯の背面部には小刀が仕込んである。

「育て方を間違えた」とぼそりと呟くチヨウに、メイファは「ご愁傷様ですわ」と彼の椀におかわりをよそってあげていた。


「ええいっ、そんなことはどうでも良い! 次のお前の任務の話だ!」

「はいはい。それで任務はなんでございましょうか」

「皇帝を知っているな」

「今上皇帝でしょうか……あの、周囲から密かに弱腰皇帝などと言われている?」

「頷きたくはないが、まあそうだ。お前はその皇帝になるんだ」

「は?」


 メイファの手からすり落ちた箸が、カランと床に転がった。





 聞き間違いかと思った。


「あの、お父様……皇帝になれと聞こえた気がしたのですが。すみませんが、もう一度言っていただけませんか」

「皇帝になれと言ったんだ――っと」


 鋭く飛んできた物体を、チヨウはさして驚いた様子もなく自らの箸で掴んだ。


「おいおい、人の顔めがけて箸を投げる奴があるか」

「あらぁ、すみません。お父様のご冗談が面白すぎて、手が滑ってしまいましたの」


 チヨウの箸が掴んでいたのは、メイファが矢のように投げた箸だった。

 彼は掴んだ箸をそのまま投げて、メイファの手元に戻す。


「……次は滑らないようにな」

「お父様が馬鹿げたことを言わなければですね」

 メイファは大人しく箸を拾い上げ、二人は何事もなかったかのように食事を再開させた。

 しばらく、二人の汁をすする音だけが続いていたが、先に言葉を発したのはメイファだった。


「それで……つまりは、玉座簒奪をしろと? 皇家を裏切るということですか。私達、こくが?」


『狗哭』――それは、代々皇家にしか伝えられない秘密の組織。

 皇家を守るためだけに存在するそれは、法に守られることもなければ法にも縛られず、ただただ皇家に害をなすものを暗々裏にほふり、国の暗部を担っている。

 簡単に言うなれば、皇家専属の諜報暗殺者集団。

 メイファもその一員であり、チヨウは狗哭のおさだった。


 そう。皇家専属であり、間違いなく狗哭の主人は皇帝だというのに、彼はその主人になれと言ったのだ。裏切りと言われても仕方のないことだろう。

 箸よりも鋭いメイファの視線が、チヨウを射抜いていた。

「はぁ」と、ため息と一緒に彼は食事の手を止める。


「話を最後まで聞け。いや、儂の言い方も悪かったな。メイファ、お前には皇帝の身代わりを頼みたいんだ」

「なんだ、影武者ですの。そうならそうと言ってくださいませ。紛らわしいのは、お父様の性別だけで結構ですわ」

「紛らわしいって、儂は竿がないだけで男だよ」


 彼はきゅうしている。

 自宮とは、男が性棒を自らの意思で切り落とすことである。そのような者達は、もっぱら権力を握れる可能性が高い宦官になりたくて手術するのだが、彼が宦官になった事実はない。

 今は亡き母に聞いた話だが、男子禁制の後宮に、宦官として潜入するためだけに、自宮したのだとか。当時、「どうせ子など持つ気はないし、なくても困らん」と言っていたらしい。怪しまれず潜入できることのほうが得だと笑っていたとかなんとか。


 その話を聞いた時、最初に口を突いて出た言葉は「馬鹿じゃない」だった。いくらなんでもそこまでせずとも……。後宮への潜入など容易いし、必要ならば潜入部隊の女を宮女にして入れれば良いだけだし。どれだけ皇家のために生きているのか。

 母は「違いないねえ」と腹を抱えて笑っていた。


(よく考えたら、そんな人が皇家を裏切るはずないわね)


 そこで、ひとつ違和感を覚えた。


「いえいえいえ、ちょっと待ってください。影武者なら女の私なんかじゃなくもっと適任がいるじゃありませんか。宮廷は男社会。女の私を行かせて、わざわざ別の危険まで冒さなくても……」


 狗哭の人数は多くはない、しかし、その中でもしっかりと宮廷部省並みに組織化されている。

 実行部隊の他に、伝令や情報収拾を行う諜報部隊、怪我をしても表の医者になどかかれないため専用の医薬部隊もあり、そして潜入部隊だ。潜入部隊はまた男女で班が分かれており、女は主に妓女や舞手などの女が重宝される場所で働いている。

 今の皇帝の顔は知らないが、男であることは間違いない。であれば、顔が似た男を送り込んだほうが間違いはないというのに。


「後宮での任務でしたら話は分かりますが、さすがにこの件は無謀ですわ」

「いや、お前以上に陛下と似ている者はおらんよ」

「まあっ、私が女らしくないと言いたいのですね。もう、嫌ですわ。そんなに早くお母様の元に逝きたいのですね、お父様ったらぁ……もう……」


 ふふ、と後宮妃も嫉妬するような綺麗な笑みを浮かべつつも、メイファの両手は背中へと回される。既に正座していたつま先は立てられ、臨戦態勢である。


「辞世の句はいりまして?」

「辞世の句くらいは詠ませろ――って違う違う違うっ、待てい! だから話は最後まで聞けいと言っておるだろっ。お前は陛下の双子の妹なんだ!」

「は?」


 本日二度目の「は」だった。

 頭が痛くなってきた。


「お前は拾い児などではなく、陛下の母親である貴妃様より儂らに預けられた公主だ……世には存在しないことになっているがな……」


 さて、どこから驚けば良いのだろうか。

 彼の言葉すべてが驚愕に値するものなのだが、驚きが過ぎると人間逆に冷静になれるということを、今まさに体験中だ。


「陛下にも話は通してある。ここを片付けたら、儂と王宮へ行くから支度しろ」

「まさか、今日からですか!?」


 影武者、しかも皇帝のとなれば絶対長期任務だろう。嫌だ。

 男装するのは潜入などで時にあるから構わないが、皇帝業などやりたくない。姿を偽りながら大勢の異性の中で生活するなど、絶対に面倒だし疲れるに決まっている。

 サクッと潜入してサクッと殺して終了、という今の生活が自分には合っているのに。


「時は一刻を争うからな」

「はぁ……やっぱり辞世の句を、お父様……」

「実力行使しようとするな、この物騒娘め! ほら、さっさと食べて行くぞ」


 めまぐるしい速さで、メイファの世界が変わろうとしていた。


――――――――


次話は本日17時過ぎです

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