狼を護衛兵にしてしまったらしい

 美花メイファはにっこりと微笑みを返した。


「母上が芙蓉に喩えられるほど美しかったらしいからな。私は顔も知らないが、きっとよく似ているのだろう」

「ああ、瑠貴妃様のお噂はわたくしも存じておりますわ。それはそれはとてもお美しく、先帝のご寵愛をほしいままにしていたと」


「へえ、よく知っていたな」と六竜リウロンが意外そうな顔をする。


「ええ。以前、淑妃様に少しお話を伺いまして」


 どこで淑妃と繋がりが、と一瞬不思議に思ったが、そういえば雲蘭は淑妃が送ってきた最初の妃だと、六竜リウロンが言っていた覚えがある。


「先帝の淑妃様は今どちらに?」

「俺の母上は、今は寿じゅの近くにある離宮にいますよ」


 彼女の代わりに六竜リウロンが答える。寿虎府というと、五寿府のひとつで、国南にある大都市である。


「先帝の后妃か……」


 母である貴妃はもういない。皇后は今も皇太后として後宮にいる。淑妃は離宮にいる。では、四夫人の他の二人は?


(しかも、片方の賢妃は、確か私を殺すことになった理由を作った后妃……)


 そういえば、項中書令は貴妃と恋人関係だと虎文が言っていた。


(虎文だけじゃなくて皇太后殿下にまで毒が盛られたことを考えても、先帝時代の人達について少しは知っておく必要があるようね)


 いよいよ黒幕が自分を直接殺しに来ている。もしかすると、令慈が皇太后に毒を盛った『見慣れない侍女』だったのかもしれない。


(殺気も令慈だったってことね)


 結局一度も姿を見たことはなかったが、虎文を殺そうとした者の姿など知る必要などなかったのかもしれない。


「気を付けろよ、六竜リウロンも」


 六竜リウロンの妃が皇帝に毒を盛ったということで、王宮も少しばかり騒がしくなるだろう。兄上も、という言葉を耳に入れながら皇嗣宮を後にした。







 執務室に戻った瞬間、美花メイファは背中を押されドタドタと慌ただしく長牀に押しつけられた。


「んんっ!?」


 そのまま覆い被さるようにして口づけされる。


「――っちょっと、飛訓フェイシン! 何するのよ!」


 いきなりなんなのか。

 飛訓フェイシンの胸を押し返すが、ピクリともしない。

 身を引こうにも長牀の背もたれが邪魔で身動きが散れない。両側には飛訓フェイシンの手が逃げ道を塞ぐように、背もたれを掴んでいる。


「随分と仲がよろしいご兄弟ですね」

「は、はあ?」

「以前の陛下の時は、殿下は陛下と関わり合いになられなかった。おそらく、後継問題で波風を立てるのを恐れてだろうと思っていたので、俺も特に気にはしていませんでしたが」


 飛訓フェイシンの手が、美花メイファの頬をするりと撫でた。


「いつから、頬に触れるほど仲がよろしくなったのでしょうね?」


 冷笑でもって見下ろされ、しまった、と美花メイファは内心で歯噛みした。

 六竜リウロンに触れられるのになれてしまって、まるで気にしていなかったが、虎文の時は確かに交流はなかったという話だ。皇帝と王弟として話をするだけならまだしも、さすがに肌に触れるのはやり過ぎたか。


(そういえば、飛訓フェイシンって変に勘が良かったのよね……っ)


「まさか、殿下もあなたが身代わりだと……女人だと知っていたり?」

「そ、れは……っ」


 そう、彼は勘が良い。だから、すぐに否定できなかった時点で肯定しているも同じだった。

「なるほど」と飛訓フェイシンの口端がヒクリと微動した。


「俺は手当などの口実がなければ、人前ではあなたに触れることすらできないのに……」


 やっと頬から手を離してくれたと思ったら、代わりに彼の顔が近付いてきた。


「おいしくも、嫌な立場ですよ」

「――っ――!」


 頬を飛訓フェイシンの唇が滑る。頬ずりのような柔らかな口づけがくすぐったくて、美花メイファは身を捩る。しかし、反対側の頬を手で押さえられ顔を逸らすこともできない。


六竜リウロン……っは、王弟なん……っだから、私に、変な感情なんか……っない、わよ……」

「男を知らなすぎですね」

「そこで喋、っら、ないでっ」


 まるで食まれているようだ。ビリビリと背中から指先へと痺れが走る。飛訓フェイシンは口はそのまま顎をなぞるように下り、首筋をツと撫でていく。


「~~っ!」


 さらに美花メイファの衣装の合わせに飛訓フェイシンが指を掛け、引き下ろそうとした瞬間、彼は「おっと」と目を丸くして身を離した。

 腹立つほどに勘のいい男だ。


「身代わり……ですか。なるほど、なら身代わりになるのも納得ですね」


 美花メイファの手には、帯の隙間に仕込んでいた小刀が握られていた。掌に隠れる程度の大きさだが、しっかり飛訓フェイシンの目は捉えたようだ。


「顔に線でも入れて、色男にしてあげようと思ったんだけど」

「あなたがそちらのほうが好みというのなら、謹んで受け入れますよ」


 食えない男だ。

 美花メイファは小刀を帯の中に戻すと、扉を指差した。


「呼びに行きなさい」

「誰をです」

「項中書令を! 早く!」


 彼は肩をすくめると、「かしこまりました、陛下」と何事もなかったかのように、さらりと出て行った。

 美花メイファは足音が遠ざかると、顔を手で覆って「はぁぁぁぁ」と腹に溜まっていた空気をすべて吐き出した。


「……これから昼間は白梅宮に籠もろうかしら」


 顔が熱かった。



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