黒幕は外のものだと思っていた

「お、俺が知ってることは全部喋ったぞ! なあ、頼むよ。皇帝が偽物だなんて誰にも言わねえから解放してくれよぉ」


 刺客は情けなく尻が伸びた声を出していた。まさに、懇願だ。


「母親が心配なんだよ。戻ったらすぐに母親を連れて、どっか遠い街に身を隠すって」


 このような仕事を生業にしているわりには、情に篤いことだ。

 いや、狗哭も暗殺を生業にしているが、身内には皆あまいところがある。身内以外には冷めているというのが、もしかしたら暗殺者のひとつの特徴なのかもしれない。


 身内で裏切りや腹の探り合いが横行していたら仕事にならない、という事情が関係していると思う。いつ誰を刺して、誰に刺されるかわからない世界だ。せめて背中を預けたものや、腕に抱いたものからは刺されないようにという防衛本能が、そうさせているのだろう。


 美花メイファは男の手の拘束を解いた。

 男の表情があからさまに緩んだ。


「安心しろ。母親は狗哭のものが安全な場所に逃がすさ。だから安心して……眠れ」


 美花メイファは男の首元で右手を一閃させた。暗闇の中、嗅ぎ慣れた錆の臭いが立ち上った。

 男はひと言も声を上げる暇なく、ドシャリと顔から床に倒れると絶命した。

 依頼主は任務失敗で戻ってきた暗殺者を、再び使うことはしないだろう。どのみち、戻ったところで彼に待つのは死のみだ。その時は母親も一緒だろう。であれば、まだ母親だけでも生き残る道のほうが、彼もすこしは浮かばれるというもの。


「悪いわね。狗哭の存在や、私が偽物ってことを知った人間を生かしてはおけないのよ」


 美花メイファは小刀の血を床で我がわだかまっていた帯で拭き取ると、もう刺客のことは思考から追い出した。

 そして、彼女の脳内は依頼主――おそらく黒幕と思われるものをはじき出す。


 刺客の話を聞いて、頭に浮かんだのは寿鼠府で襲ってきた者のことだ。その時の刺客と今回の床で寝ているこの刺客は別人だ。おそらく、寿鼠府の時の刺客のほうが、この者よりも数段優れている。


 あの刺客もいつも通りただの雇われ暗殺者だと思っていたのだが、もしかして黒幕本人だったのではという疑惑が浮上したのだ。

 暗殺術というのは、誰しもが身につけられるわけではない。やはり適性が必要だ。狗哭でも適性が薄い者は諜報や潜入部隊に回される。暗殺者の矢を使えるほど適性がある者で、かつ武術の心得もある。

 そして、六竜リウロンの言葉。


『――王宮だけでも男はウン千人いるし禁軍なんか全員鍛えてるし、それは大層な手がかりだな』


 おそらく、彼はこの言葉にさほど意味など込めていない。『王宮ですら該当者がこれだけいるのに、この国の中に刺客と思われる者がどれだけいるんだろうな』という意味の皮肉で言っただけだ。

 だが――。


「私の馬鹿……っ」


 忘れていた。王宮ここがどういったところか。

 轟尚書令を処断し、周囲の者も自分を崇敬するような目で見るようになっていたから、いつの間にか無意識に候補から外していた。

 黒幕は外部にいると思い込んでいた。

 美花は一目散に日華殿を飛び出した。




        ◆




 美花がやって来た場所は、王宮勤めの武官達が過ごす官舎だった。

 夜だというのに突然現れた夜着姿の皇帝に、夜番で起きていた者達の間でちょっとした騒ぎがおこった。皇帝の「飛訓フェイシンはいるか」との声に、飛び跳ねた夜番武官は敵陣に突っ込むような勢いで飛訓フェイシンをたたき起こしに行った。




 起こしに来た武官の言葉に、半信半疑といった様子で部屋から出てきた飛訓フェイシンは、美花の姿を認めるなり声を失っていた。

 美花が少し話があると言うと、飛訓フェイシンは人気のない官舎の裏へと美花を連れていった。


「官舎の敷地内なので危険はないですし、こちら側の壁には窓がなく、部屋にいる者達に話し声は聞こえません」


 灰白色の飛訓フェイシンは、いつも全身真っ黒な彼と比べいくらか柔らかく見えた。色のせいか、夜着姿という隙だらけな格好のせいか。


「今襲われたら危ないな」

「それはこっちの台詞ですよ。そのような格好でいきなりどうされたんですか。あまりにも危機感がなさすぎます」


 飛訓フェイシンは自分の肩に引っ掛けていた羽織を、美花の肩へと引っ掛けた。美花は「確かにな」と大人しく羽織を胸前でたぐり寄せる。

 そして、美花はいきなり本題を口にした。


「皇帝暗殺の黒幕は禁軍内にいる」


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